2012.8.28 18:37/ Jun
この数日、Apple社のプレゼンテーションソフト「Keynote(キーノート)」と格闘しています。
実は、今度、学会の企画で、トークイベントがあるのですね。
この企画は、去年までは「シンポジウム」として、いわゆるパネルディスカッション形式で開催されていたものですが – TEDの影響もあるんでしょう – 今年は、18分のトークイベント形式にするそうです。
ほほー、なかなか挑戦的で面白いなと感じます。
で、不肖中原、誠にありがたいことに、登壇のオファーをいただきました。
当日は、
「Learningful Organization :
研究のエコシステムを創りつつ、探究する」
というタイトルで発表させていただく予定です。
僕が研究している「経営 × 組織 × 学習」のお話しは、時間が限られていますので、極力しません。それはまた別の機会に。
むしろ、この機会は、僕よりも若い世代の方々に、お話ししたいと思うのです。
「新たな研究領域をどのように開拓すればよいのか。そうすると、どんな出来事が起こるのか」
ということを。
そういうストーリーをお話ししたいと思います。
▼
で、ここからが本題なのですが、トークイベントといえば、TEDだろう・・・TEDといえば、たぶん(!?)、Microsoft社のパワポ(Power point)じゃなくてKeynoteだろう、ということで、生まれてはじめて(大げさ)Keynoteでプレゼンをつくっているのです。
Keynoteを使ってみて、まず真っ先に悟ったのは、今、自分がやっていることは「プレゼンの道具を替えるということではない」ということです。
そうではなくて、パワポからKeyNoteに、プレゼンテーションツールを乗り換えるということは、「自分のプレゼンのスタイルを替える」ということなのです。
なぜか?
それは、Keynoteで推奨されているプレゼンのレイアウトが、
「いわゆるビジネスプレゼン風の文字の小さい、そのまま資料として提出できるプレゼンテーション」
や
「いわゆるアカデミック風の、細かいデータや数式・グラフばりばりのプレゼンテーション」
を「拒否」するようにできているからです。
否、本当に拒否しているかどうかは知りません(笑)。しかし、僕は、そのように感じました。「実装されている機能のレベル」で、「いかにもビジネス」「いかにもアカデミック」を「拒否」しているかのように感じられるのです。
もちろん、Keynoteを使っても、「そのまま資料として提示できるようなプレゼン」「細かいデータや数式がバリバリ入ったプレゼン」が創れないことはない。「手間暇かけりゃできる」のです。
しかし、自動文字調整の機能はないし、クリップアートもない。そういうプレゼンが、簡単にはつくれないようになっている(笑)。むしろ、そういうのに向いているのは、絶対的にパワーポイントですね。誠によい棲み分けだと思います。
むしろ、Keynoteは、「プレゼンの提示内容を極力シンプルにすること」を使い手に求めているように感じるのです。
Keynoteを使っていると、ソフトウェアから、こう話しかけられているように感じるのです。まるで誰かがのりうつったかのように・・・
「伝えたいことは、プレゼンテーションの中に文字で書き込むんじゃなくて、おまえさんの声で語りなさいよ」
、と(笑)。
つまり、そういう誰かの願いが「ツール」に込められているのですね。
「シンプリシティの思想」が埋め込まれたツールというのかな。
たかがツール、しかし、されどツールです。
全く侮れないですね。
▼
というわけで、今度のプレゼンでは、今までとは少し違うやり方でプレゼンテーションをしてみようと思います。
思えば、僕のプレゼンテーションスタイルは、この10年、全く変わっていませんでした。
そのスタイルは、先輩研究者のプレゼンをひたすら「模倣」し、それを自分なりに改善し、つくりあげたものでした。
アカデミックなことをお話しするとき、講演などでお話しするときには、今のやり方が最もよいと思います。
が、時には「慣性軌道を超えること=挑戦すること」も大切なことかもしれません。
でも、ちょっとだけ、ドキドキするよね、「いつものやり方を変える」って。
別に誰からも求められていないし、問題も起こっていないのに「自分のやり方を、自分で変える」ってのは。
でも、「他人から求められてはじめて自分を変える」とか「問題が起こってから自分を変える」ってのは、もしかすると、挑戦するタイミングを逸しているのかもしれない。
もちろん、初めてのことにプチ挑戦するのだから、失敗やリスクはあります。
初めてのことなので、失敗して、「アワアワアワアワ・・・・コココココニャニャチワ、じゃなくて、コンニチハ・・・・・ナナナナ・・・ナカハラジュンです」という感じになっちゃうかもしれないね(笑)。
まー、でも、いいよ(笑)
ヘタ打っても、命、取られるわけじゃなし。
慣れないKeynoteですが、全力は尽くします。
そして人生は続く。
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■2012/08/28 Twitter
href=”http://twitter.com/nakaharajun/statuses/240292221805535232″>12:38 「自分が相手によって変えられるということに私が開かれているのでなければ、相手を変えたいなどと望む権利はない。」(マルティン=ブーバー)
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■2012/08/27 Twitter
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