2012.8.23 14:04/ Jun
ちょっと前のことになりますが、先日、米国で開催されてきたAcademy of Management(アメリカ経営学会)に参加してきました。
これまで一度も参加したことのない学会でしたし、「アウェイ感」がかなり高いことが予想されましたので、話が通じなかったり、言われたことがわからなかったりしたらどうしようと思っていましたが(ブルブル)、エイどうにでもなれ、と覚悟を決めていきました(大げさ)。
結論からいうと、取り越し苦労。「全くそんなことはなく」、久しぶりに、じっくりと、学問のことだけを考える時間を過ごすことができました。素晴らしい!
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学会では、様々な知的刺激を受けましたし、面白い情報も得てきましたが、もっとも印象的だったのは、学会初日に行われたプレジデント(学会長)のプレゼンテーションでした。
Anne Tsuiさんという女性のプレジデントが、プレゼンテーションのテーマに掲げたのは、なんと「Care(ケア)」でした。
経営の学会で「Care : ケア」ですか?
予想外の出来事に、僕はぶったまげました。
Academy of Managementは、「世界で最も大きな経営学会のひとつ」であり、そこの会長なのだから、「利益(Profit)」の問題とか、「戦略(Strategy)」の問題とかを語るんだろう・・・プレジデントの口から最初に語られるのは、そういう「Market-Drivenなこと」なのだろうと思っていたのですが、ありゃりゃ、予想外。
よもや人文諸科学のここ十年の中心的テーマのひとつである「ケア」が、まさか、世界最大の経営学会のプレジデントのプレゼンテーションで語られる、とは思いませんでした。
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しかし、Tsuiさんの話を聞いていますと、そのことの背景がよくわかりました。ここで「ケア」が語られることの意味が。
貧困、失業、広まる社会格差・・・
飢え、資源争奪、南北問題・・・
資本主義(Capitalism)の行き着いた果てに、今、様々な問題が生まれています。そして、その問題には、企業の経営活動も無縁ではありません。
現代生まれている問題をひと言で申しますと、「Suffering(苦しみ)」だと、Tsuiさんはいいます。
まずは軋む地球環境
Suffering planet(苦しむ地球)
そして、私たちの身近なところでは、
Suffering Organization(苦しむ組織)
Suffering Workplace(苦しむ職場)
Suffering Manager(苦しむマネジャー)
Suffering People(苦しむ従業員)
が生まれてきています。
例えば、Suffering Peopleに関していえば、全米の仕事によるストレスの損失額は、1984年が9 Billionであったものが、1999年には11 billionを突破。それから2012年には300 billionにも至っているそうです。
プレジデントがこのように、Suffering(苦しみ) と Care(ケア)を学会員全員に、敢えて訴えることの背景には、こうした格差や不平等、そして苦しみをまえに、学問が、そして、企業が、経営が、何をしたらよいのか、自信を失っていることが背景にあるな、と感じました。
もちろん企業であるから、利潤は「Primary(第一義的)」に追求されなければならない。しかし、「法律以上のことを企業はなす必要がない」とするフリードマン以降の企業のあり方として理想にされていた考え方は、今、見直されなくてはならない。
つまり、Primaryを達成するのと同時に、Secondaryには、「ケアを中核にした経営」を見据えなければならない、というのです。
プレジデントはさらに指摘します。
1)経営研究は、社会に何にも関わっていない
2)ビジネススクールは、社会にとって有害である
3)経営研究の果てに、幸せな生活があるのかわからない
上記のような3つの認識が、今、世界・社会の人々のあいだに急速に広がっており(ビジネススクール卒業者の犯した不正な会計操作などの事件の影響でしょう)、それに「危機感」をもたなければなrない。今、急速に広がっている、この3つの認識を、何とかしなければならない、と。
その上で、
Corporate Financial Performance(企業の財務業績)と、Corporate Social Performance(企業の社会に対する業績)のバランスを保つことが、長期的な視野にたつと重要なことである
また、
一線にいるManagerが、Compassionately(思いやりを持ちつつ)、高い倫理観をもって振る舞うことを支援する研究をしなくてはならない
と訴えておられました。
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プレジデントのプレゼンテーションは「演出」がやや過剰なところもあり、さすがに「ケアの概念」は、「ダメな人には、全然ダメ」だったのか、席をたっていく人もちらほらいました。
僕個人としては、いろいろ思うところはあるものの、大旨、そのとおりだと思いましたし、自分の研究の方向性もあながち間違っていないな、と感じました。
また、学問の内部に、その学問のあり方に対する「批判的言説」を抱えているということ。つまり、「批判理論を内部に持っている学問」というのは、僕は、学問として「健全」である思います。
最も学問として危険なのは、その学問のあり方に対する「批判の精神」、「批評の活動」が禁じられていたり、あるいは、そのことに意識すら向かない学問だと僕は思います。
その意味でも、プレジデントの話は、非常に興味深くうかがうことができました。
聴くところによると、2013年の学会のテーマはCapitalism in questionだそうです。また何とか時間をつくって、来年も、学会に出かけたいな、と思っています。
そして人生は続く
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