2012.8.16 12:37/ Jun
今のおうちに引っ越して、はや5年。気づけば、いろいろとモノが増えて、そろそろ「整理」をしなきゃならないね、なんて、朝方、カミサンと話していました。
モノを「整理」するというと、簡単なようですが、これがなかなか難しい。
特に「靴下ポイポイ男」「引出し開けっ放し野郎Aチーム」「万年シャツ出し人間」と、生まれてこのかた、多種多様なダイヴァーシティあふれる「汚名」?を頂戴してきた小生(だらしない・お片付けができない)にとって、「片付ける」というのは、チョモランマ2個分よりもハードルが高い。
特に「いらないものを片付ける」ならまだしも、「いらないモノを捨てる」というのは、なかなか難しいのでございます。
「これ、捨てていいのかなぁ・・・まだ使うんじゃないのかな」
と思ってしまう。
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少し考えてみると、モノを「捨てる」というときに、まず、問題になるのは、その「基準」です。
つまり、「何」をもって、目の前にある、この「モノ」を捨てるのかが、重要になる。
典型的には「未来を考えて、モノを捨てるのか」「過去をさかのぼって、モノを捨てるのか」という2つの基準によって、人はモノを捨てると思うんです。
前者「未来を考えて、モノを捨てる」は具体的にいうと、こういうことですね。
「このモノは、将来、使わないだろうから、この際、捨ててしまおう」
これに対して、後者「過去を考えて、モノを捨てる」は
「このモノは、過去1年間使っていないから、この際、捨ててしまおう」
となりますね。
たいていは、人は「前者の立場」、すなわち「未来を考えて」、モノを捨てようとします。
すなわち、「将来、このモノを使うかどうか」ということを考える。そして、だから、僕も含めて、なかなか、モノが捨てられない。
前者の立ち位置にたった場合、「なぜ、モノが捨てられないか」は、少し考えてみればわかりますね。
前者の問いは「可能性を問うている」のであり、「真偽」の判定は、今を生きている「私たち」には不可能です。なぜなら、「このモノを使うか、使わないか」は、「将来」になってみないとわからないから。そのモノを使うコンテキストやニーズが生まれるかどうかは、未来になってみないと、わからないから。だから、いつまでたっても「不安」は残る。
これとは逆に、後者の立ち位置にたった場合は、「このモノを過去1年以内に使ったかどうか」は、「真偽」がでます。使ったなら、使ったわな、です。過去1年使ってないのなら、使ってないですじゃー、ですね。
「使った場合」には、このモノは残しておくということになりますし。「使っていない」のであれば、だから、捨てる、という具合になる。つまり、後者の問いは、確実に真偽判定ができ、そのうえで、モノを捨てるか、残すかの意志決定ができる。
つまり、モノを捨てるときには、真偽の判定のできる「問いかけ」をもって判断して捨てないと、なかなか捨てられないということですね。これって、大発見じゃない?? アタリマエですか? ・・・・・だって、お片付け、苦手なんだもの、小生。
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とまぁ、朝方、こんなしょーもないことを、ブツブツ言っていた。
「わかったぞ、真偽の判定のできる”問いかけ”をもって、モノを捨てることにしよう。我々は、過去を問うのだ。未来を問うてはいけないのだよ」
とカミサンに、僕の発見をシェアしたのですが、彼女は気のない返事で「そうねー」、と(笑)。聴いているんだか、聴いていないんだか、よくわかんない感じで、軽く流してくれました。
そんなくだらないことだったかなぁ。。。靴下ポイポイ的には「大発見」だと思ったんだけどなぁ。だから、今までお片付け苦手だったのかなぁ。こういうことを、ぐだぐだ言っているから、片付かないのかなぁ・・・。
そして人生は続く。
おうち、綺麗になるといいね。
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