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2012.8.5 19:09/ Jun

「背中を見て学ぶしかないもの」をいかにして他者に「伝えること」ができるのか?

「ものごとは、背中を見て学ぶしかないよ」
「それは、暗黙知だから、つたわんないよ」
「身体で覚えるしかないね」
 私たちの世の中は、「言葉によって伝えられないもの」「分割して伝えられそうにないもの」「同じ釜のメシを食べて伝えるしか方法がなさそうなもの」に満ちています。
 そうしたものは、いかに後世に「伝える」ことができるのか? 上記のように、「それは背中を見て学ぶしかないよ」という諦観のみにとどまっていてよいのか、それとも他に方法があるのか。
 このことを考えるひとつのきっかけとして、非常に興味深い論考を読みました。西平直先生の「臨床の知と書物の知」という論考です。
 この論考において、西平先生は、
「能楽者・世阿弥が、風姿花伝を書いたのはなぜなのか?」
「能楽は身体を通じて伝承されるべきことは百も承知であったはずなのに、観阿弥はなぜ、風姿花伝を書いたのか」
 というリサーチクエスチョンを考察しています。「風姿花伝」は言うまでもなく、能楽の奥義を記した秘伝の書ですね。
西平直(2010) 「臨床の知」と「書物の知」 – 世阿弥「伝書」からの問い. 矢野智司・桑原知子(編)「臨床の知」. 創元社 pp17-33

 非常に興味深い問いです。
 世阿弥は、誰のために何の目的で
 書いたんだろう・・・
  ▼
 下記、紙幅の都合で、この論考の最たる主張と思われる部分(他にも様々な可能性が探究されています)を、同論考を一部引用のうえ、要約させてもらいますと、このようになるでしょうか。
 世阿弥が書いた理由、それは「(自らが)身をもって受けついだ身体感覚だけが独り歩きすること(同書p30)」を避けるためであったのではないか。
「(身体感覚)だけが権威と成って固定してしまうことの危惧(同書p30)」を感じて、弟子達の身体感覚を「異化」するしかけとして、敢えて、文字を書き起こしたのではないか、と西平先生は考察しています。
 世阿弥は、能楽の本質は言葉や文字によって伝わらないことなどを「百も承知」であった。そんなことは「自明」である。むしろ、それを「前提」にしていたからこそ、敢えて書いた。
 曰く、
(しかし)伝書を相伝するのは、身内の「その場を共にした」者たちである。わざわざ言葉で伝えずとも、既に身体を通して伝わっている。そうした者たちに対して、世阿弥は、敢えて文字によって、理念を突きつけたのではないか。
からだの感覚を絶対化させてはいけない。「からだでわかっているつもり」になってはいけない。つまり、世阿弥は「からだでわかった」つもりの後継者たちに、問いを突きつけた。
それによって、からだの感覚を意識化し、対象化する。正確には意識することもできれば、しないこともできるという二重性を求める。
後継者たちが「自らのからだの感覚」と「文字として突きつけられた理念」との間にズレを感じ、そのズレに駆られて探究を進める。それを願ったのではないか。
(同書p30より引用)

 
 つまり、こういうことでしょう。
 共時性、すなわち、弟子達と自分が、同じ場所で厳しい訓練を行い、長い相互作用の果てに、技を伝承せざるをえないからこそ、その経験や身体感覚を絶対化させず、「常に自己のあり方・自分の技を問いなおすきっかけ」を与えるために、敢えて、世阿弥は花伝書を著したということです。
 経験や身体感覚といったものは、曰く言い難い、いわゆる「臨床の知」であるがゆえに、つねに絶対化・教条化・固定化と隣り合わせです。
「臨床の知」とは、哲学者の中村雄二郎さんが1990年代初頭に提案した知のあり方で、1)コスモロジー、2)シンボリズム、3)パフォーマンスの3つの特性によって成立するとされています。

1)コスモロジーとは、「今、ここ」といった場所・空間が意味をもつといった立場のこと
2)シンボリズムとは、物事の意味とは一義に決まらず、多義的・多角的であるとする考え方
3)パフォーマンスとは、人々がパトス(受苦)を感じたり、他者と相互作用を行ったりすること、のことです。
 こうした「知」は、客観的に分析・記述不可能で、言葉のかたちになりにくいものであるからこそ、そこに敢えて「書くこと」を侵入させる。そのことで、技の伝承をはかったのかもしれませんね。
 ▼
 くどいようですが、世の中には「言葉にして伝えられないもの」に満ちています。いいえ、そればっかりだといっても過言ではないかもしれません。
 後世に伝えるべき貴重なもの、大切なものは、いつも「言葉」ではすくい取れないものであったりすることが多いものです。
 しかし、そのとき、わたしたちは、言葉と、いかにつきあうか。
 
 現場からいったん離れ、内省を行い、この言葉では伝えられないことに諦観を感じつつも、それでも、言葉を紡ごうとするのか、否か。
 本書同論考を読んで、世阿弥の執念らしきものを感じましたし、また、「後世に伝える」って、そういうことだよな、と思いました。
世阿弥が後世に伝えたものは、「ワザそのもの」というよりは、「自己を問うことのきっかけ」であった、ということですね。そして、それを行うためには、自ら時に舞台を降りて、独り、自己のあり方を内省し、それを言葉に紡ぐ必要があったということかもしれませんね。
「上がるは三十四、五までのころ、下がるは四十以来なり。・・・このころは、過ぎしかたをも覚え、また行く先の手立てをも悟る時分なり」
(世阿弥「風姿花伝」 第一条 年来稽古)
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