NAKAHARA-LAB.net

2012.2.22 18:12/ Jun

「ゆるい学びの場」をつくりだすにはどうすればいいのか?:「仕掛けない仕掛け」「介入しない介入」の話

 ”かっちり”やるんじゃなくて、”ゆるい学びの場”をつくりたいんです。
 仕事柄でしょうか、よくワークショップ・研修・セミナーなどを企画する方々から、こんな御相談を受けます。なるほど、「ゆるい学びの場」ですか。具体的にはどんな「場」のことを指していますか、とお聞きすると、だいたい、こんな感じです。
 1.決まり切ったコンテンツを学ぶのではなく、
 2.参加者が、自然とリラックスした雰囲気の中で
 3.自発的に双方向に発言し
 4.でも、おのずから、深い理解にそれぞれが到達できる機会
 時代の変化は激しいですね。僕が、人材開発の領域で研究を始めた頃 – 10年弱くらい前 – は、誰もそんなことをいう人はいませんでした。その頃は、いかに「キチン」と、「かっちり」教えるかについての技術は聞かれることはあっても、「ゆるい」というキーワードがでてくることはありませんでした。とても興味深いですね。
 しかし、この「ゆるい場」というのは、ハードルが高いことが多いですね。僕の感覚でいえば、「きっちりやること」の方が、2倍くらい楽なくらいです。そのハードルは、めちゃくちゃ高いというわけではないけれど、決して低くない。あまり経験のない方がや安易にやると、ヤケドをしてしまいます。あちち、あち(笑)。
 もちろん、1から4までのコンセプトを、学習者全員が心の底からよく理解していて、自然と自発的に相互に交流できるのであれば、「ゆるさ」は、彼らの努力によって、実現可能です。おそらく、同じような思想・趣味・関心をもっている方が、自発的に参加しているような場であれば、その実現可能性は格段にあがります。
 しかし、多くの場合は「学びの場」は、そうではありません。
 学習者は、いつだって多様で、かつ個別的なのです。また多くの場合は、自発的に参加する学習者に恵まれることは、そう多くはありません。
 そういう現実において、「ゆるい場」を実現しようとして、学習者があっちゃこっちゃ勝手なことをしだして、さらには集団規範が崩壊し、「だらだら」「ぐずぐず」になってしまうことが、ままあります。かくいう僕も、何度も失敗してきました。
 何にもしないで、ダラダラになっちゃう。さりとて、関与しすぎて、やらされ感漂う。こういう失敗を何度も何度も繰り返してきました。
   ▼
 おそらく、「美味しんぼ」の海原雄山的セリフで言うのだとすると、めざすべきは、こういう状況なのです。
 この場は「きっちり」「かっちり」でもなければ、しかし、「だらだら」「ぐずぐず」でもない。みんなが、積極的に場に参加・貢献しつつ、しかも、それでいて、一切の”押しつけられ感”がない。シロウ、まだわからんのか、シロウ。
 上記のような状況をつくりだしたいときは、僕個人としては、逆に、「きっちり」「かっちり」やるときよりも、様々に準備を施し、仕掛けて、介入することが必要になると思っています。
 直接的ではなく、間接的に、人々の意識・行動・認知をゆるやかに統制づけるような仕掛け、働きかけ、が。 
 ここにこそ「難しさの根源」があります。「ゆるい場」とは「仕掛けられることによって実現しない場」であり、「介入されることを拒否する場」であるからです。だからこそ、「直接的」に働きかけるのではなく、「間接的」にそれをなさなければならない。
 学習者が、自分たちで語りだし、自分たちで意味づけ、自分たちで気づくような場を、直接的ではなく、間接的につくりだす必要があるのです。そして、ここにこそ「学びをつくりだす知性」が問われます。
(ちなみに、場がゆるければ、ゆるいほど、その場のロジスティクスはしっかりとする必要があります。それは最低の条件です)
 畢竟、「ゆるさ」の実現とは、「仕掛けない仕掛け」「介入しない介入」なのです。
 そこには、かつて、哲学者の鷲田清一さんが表現した「能動的受動」という言葉、あるいは、社会学者のゴフマンが主張した「聴くことの積極性」に通じるものがあるように、僕には感じられます。一見「受動的であるもの」「直接何かをしないと思われるもの」であるほど、「積極的な呈示」によって達成されるという意味です。
 「ゆるい場」を実現するという理念の背後には、そんな形容矛盾(オキシモロン)的な世界を引き受ける、ということです。それは「何もしないこと」ではありません。「何もしないということで、何かをする」ことなのです。
 うーん、今日は、「禅問答」になっちゃいました。
 わけわかんなくて、ごめんなさい(笑)。
 また今度、時間があるときに書かせてください。
 そろそろ、TAKUZOの保育園迎えにいかなくてはならないのです。
 そして人生は続く。
 
 —
追伸.
 この数ヶ月、精神的にも、体力的にも、肉体的にも、知性的にも、何とか的にも、「綱渡り」をしてきました。研究的にやらなくてはならないことが重なっていることと、ここには書けませんが、学内の業務も、まさに佳境に入っているのです。今後、ますます加速することが予測されます。いやー、ガクブルですな(笑)。
 でも、研究成果としては、何とか、少しずつ、皆様に成果をお届けできそうです。
 第一に、高尾隆さんとの共著「インプロする組織 – 予定調和を超え、日常を揺さぶる」は完成しました。カバーは下記の通りです。実は、このカバーのヒモの部分、すべてとして同じ模様はありません。「予定調和を超える」という本書のテーマ通り、すべての本の模様が変化しているのです。編集者の石戸谷さんのこだわりです。高尾君、編集者の石戸谷さん、お疲れ様でした。誠に嬉しいことです。3月に配本の予定です。
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 第二に、日本生産性本部×東大大学院 中原研の大学院生との共同研究の論文を収録した「職場学習の探究」はカバーができ、校了まで1週間です。こちらはガチプロ向けの研究論文集です。関係者のみなさま、お疲れ様でした。生産性出版・編集者の深谷さん、最後まで伴走をありがとうございます。3月21日あたりに配本の予定です。3月19日には、出版を記念して、イベントが開催されます。
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人材育成の未来をACTする
http://www.nakahara-lab.net/blog/2012/01/act_319.html
 第三に、苅宿俊文先生、高木光太郎先生、佐伯胖先生らの編著「学び学」(東京大学出版会)に小生も一章書いておるのですが、そのゲラがかえってきました。こちらは、何とか今月中にお返ししたいです。
 最後に、この一年取り組んでいた単著「経営学習論」(東京大学出版会)の草稿が、もう少しであがります。こちらは、経営と学習の研究領域を研究したいという大学院生向けのテキストです。
 東大出版会の編集者の木村素明さんに伴走されながら、何とかここまでたどり着きました。ありがとうございます。こちらはうまくいけば・・・の話ですが、8月に出版の予定です。ここから一ヶ月は、「グローバルな人材育成のあり方」に関する調査結果を分析しながら、最終章を書きます。
 今年は「待ったなし」で爆走します。

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