2011.11.19 09:06/ Jun
先日、いつものように(?)職場訪問をさせていただいていたときに、伺ったお話です。ある老舗料理店では、伝統の味を守るため、意図的かつ戦略的に、自社の料理人を「不自由に育てること」を実践しているという話が、とても興味深いことでした。
一般に「育てる」という言葉をわたしたちが聞くと、「独力で何でもできるようになること」というイメージが脳裏にうかびますね。それが、通常「育つ」という言葉から連想されるイメージでしょう。
しかし、その料理店では、それが全く逆なのです。「不自由になるように育てる」。僕は、思わず、一瞬、ギョっとしてしいまいました。
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どういうことか、というと、老舗料理店にとって一番大切なことは、「味」を数百年にもわたって守り、維持することだというのです。昔、天才料理人たちが創作した味を、外に流出させず、何とか伝承し、守らなくてはなくてはならない。
そのためにもっとも大切なことは、確実な技術をもった料理人を育てることと、そういう料理人を外に出さないことなのだそうです。一般的に料理人は、いくつかのお店で修行をつみ、料理長になり、独立していくことが多いように思います。しかし、それをいかに防止するか、そのための戦略とは何か。
それは、ある人に伝承する技術の領域を極めて限定的、かつ、狭い範囲にしておくおき、長期雇用し、ジョブローテーションさせないことです。
そうすれば、たとえば、「焼き物の、ある技術」にはものすごく長けている料理人が生まれ、彼は数十年にわたって、その技を極めることができる。あるいは「蒸し物のある工程」についてのみ高い技術をもつ料理人を育て、彼をジョブローテーションさせず、長期にわたって、その工程を極めさせる。
しかし、逆にいうと、このことは「極めて狭く限定的なことしかできない料理人」が生まれる。つまり、「ごくごく狭い領域の調理」はできても、ひとつの和食を「料理」することはできないのです。
もちろん、そういう料理人は外の店舗では使い物になりません。なぜなら、ごく狭い領域の「焼き物」しかできないからです。しかも、その老舗に特殊な技術しか、その料理人は持っていません。
もちろん、他店舗で、料理長になったりすることもできません。なぜなら、すべてを自分で組み立てることができないから。すなわち「料理」をつくることができないからです。
「不自由に育てる」とは、そういうことです。
「自由になること」をコントロールするために、「他者の学習」を意図的に「組織化」する。
もちろん、長期雇用が約束されており、雇用されている側がそれで了解さえしていれば、それでも全くかまわない、ということになります。老舗料理店の味を職人として守り抜くことにプライドをもっていれば、全く問題ありません。それを外部から云々いうことは、余計なお世話でしかないでしょう。
外部のまなざしから見れば「不自由」でも、本人にとっては「自由」と感じられれば、そこには共約不可能な世界が広がっています。
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それにしても、したたかな戦略に思わず、うなってしまいました。しかし、そうした「したたかさ」の果てに、伝統は継承され、経営は維持されるものかもしれません。
ひるがえって考えるに、「不自由に育てること」は「料理の世界」のみならず、いろいろな世界にあるような気がします。
あなたは「不自由に育ててられていませんか?」
学びとは、人を自由にもしますし、不自由にもします。
そして、「自由」「不自由」の意味づけとは、あなたがたつ視点によって変化します。
嗚呼、学びとは、かくも、すさまじきもの。
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