2010.10.7 06:39/ Jun
日本のインテレクチャルは、ひじょうに間違っている。全部分類がほんとに好きで、すぐに分類したがる。全部、分類が本当に好きで、すぐに分類したがる。
(梅棹忠夫 語るより)
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「知の巨人」の痛快な対談集である。かつて「文明の生態史観」「知的生産の技術」などで日本社会に痛烈な影響力を誇った梅棹忠夫氏の最後の対談集「梅棹忠夫 語る」を読んだ。
「あんたは自分で確かめたのか?」
世の中に跳梁跋扈する「インテリ道」に対して、小気味よく連発される皮肉に、思わず苦笑しつつも、とても考えさせられた。
どこかで誰かが書いていたんだけど、「梅棹忠夫の言っていることは、単なる思いつきに過ぎない」って。それは、わたしに言わせたら、「思いつきこそ独創や。思いつきがないものは、要するに本の引用。ひとのまねということやないか//学問とは、ひとの本を読んで引用することだと思っている人が多い。
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社会学者の加藤秀俊さんは、梅棹さんのことを、下記のようにも語っている。
梅棹さんは、しばしば学問なるものは「最高の道楽」だと説かれた。若いころ、私は、学問というのは、高尚な真理の探究を目的とするものだと信じていた。しかし、そもそも真理なるものが相対的なものである以上、あんまり高尚な思想にお付き合いをしていたのでは損をする。あたらしいことを知って、なるほど、と知的興奮を経験する。それが学問の楽しみということが、わたしにもだんだんわかってきた。
(加藤秀俊)
梅棹忠夫さん、90歳没。
最後の最後まで、「道楽」を追求した「巨人」だったのかな、と思う。
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■2010年10月6日 中原 Twitter
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