2010.5.19 08:06/ Jun
昨日は大学院のゼミでした。2人の大学院生から各自の研究報告、その後、英語文献の購読を行いました。昨日の発表は、下記のとおりでした。
■我妻さん(M2)の研究発表
「協調学習が、大学生の学習観変容に及ぼす効果とプロセス」
・・・大学でのグループ学習を通して、大学生のもっている学習観(学習に関する価値)は変化するのか、どうか。もし変化するのだとしたら、どのようなプロセスを通して、それがなされるのか?
■島田さん(D3)の研究発表
「元留学生新入社員の組織社会化に関する研究」
・・・日本の大学を卒業した留学生が、日本企業の新入社員になったら、何が起こるか?:留学生はどのように適応するか? 職場の上司や同僚は、どのように変わるか?
日本の大学を卒業した留学生が、日本企業の新入社員になったら、どんな「葛藤」を覚えるか? そこで何を学ぶのか?
■伊澤さん(M1)による英語文献購読
「企業買収(M&A)プロセスにおいて、従業員は、どのような経験をするのか?」
・・・M&Aの研究の多くは、1)組織がどのような制度をつくるか、2)マネジャーがどのように振る舞うか、3)文化的統合をいかになすかという観点からなされている。M&Aのプロセスにおいて、個人・職場がどのような「経験」「葛藤」を経験するか、を明らかにする事例は少ない。M&Aのプロセスにおいて、個人は、どのような矛盾や葛藤を経験し、それを乗り越える(新たな意味形成)を行うのか。
ゼミの模様は、僕のTwitterでも、また、僕の研究室のTwitterでも、「つぶやき」がなされていました。
中原のTwitter
http://twitter.com/nakaharajun
中原研究室のTwitter
http://twitter.com/nakaharalab
Twitter上では、これらのつぶやきに対して、様々な方々から、様々なコメントがなされました。コメントをくださった皆さん、ありがとうございました。
このようなやりとりを通して、個人的に興味深かったのは、3つあります。
ひとつめ。
何人かの方が、これらの研究発表や英語文献購読に対して、「こんな先行研究があるよ」「こんな文献があるよ」と建設的でポジティブな、そしてためになるコメントをいただけたことです。
ありたがいことですね。早速、発表者は、新たな文献サーチをはじめました。ありがとうございます。
ふたつめ。
「自分は、あなたが研究している内容の実務を担当しているけれど、その研究知見には、大変興味がある。いつあなたの研究知見は公開されますか?非常に興味をもっています」といった趣旨のコメントをくださったことです。こちらも、ありがたいことですね。研究とは苦しいものです。時に、研究者は、モティベーションを失ってしまいがちです。また、自分の研究の「宛先」を見失ってしまうことがよくおこります。実務を担当なさっている方からの、こうした前向きなコメントは「励み」になりますね。ありがとうございます。
みっつめ。
僕の研究室のテーマは、あまり学部学生に興味をもってもらえないのですが(働きながら学ぶことは、実際に働いてみないとイメージがなかなかわかないのです)、何名かの学部生の方から、個人的にメールをもらいました。興味をもってくださってありがとうございます。
このようなことは、今までなかなか起こりませんでした。
@ateraoさんという方が、こんなご発言をなさっています。
「他大学のゼミの様子がわずかながらわかる。おもしろいです。ついったーが登場する前は、こういう機会はあまりなかったですね。ウェブを探せば情報はあるけど、ついったーは思いがけない情報がポンと来るのが楽しい」
僕は、このようなやりとりを通して、
研究室をオープンにすること
あるいは
研究をオープンにすること
の意味を考えさせられました。やや「楽観的」かもしれないのですが、それは性格なので許してください。
研究室をオープンにすることは、それがポジティブに作用した場合、研究のクオリティを向上させ、さらには研究に関与する実務者と研究者のあいだに「関係」をつくり、さらには新参者のリクルーティングをうながすことなのではないでしょうか。
つまり、
「研究室をオープンにすること」は「研究のエコシステムをつくること」なのではないでしょうか。
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もちろん、そこには一定のリスクがあります。
悪意のあるコメントが寄せられる場合もあるでしょうし、情報漏洩のリスクもあります。僕の研究室の場合、その研究のほとんどは企業との共同研究です。ですので、出す情報にもセレクティヴになる必要があるでしょう。
アタリマエダのクラッカーですが、何でもかんでもオープンにしたほうがいい、あけっぴろげな方がいい、というわけではないように思います。
濃密な議論をface to faceですることの重要性は、こんな時代だからこそ、増すことはあっても、減ることはありません。
ゼミでは、ひとりの研究発表につき、1時間くらいの時間をかけて研究報告、ディスカッションをします。最後に、僕がラップアップをして、コメントをします。僕だけが喋るのではありません。ゼミのメンバーが、全員発言することをめざします。
また、こうしたかたちでの情報公開が成立するのは研究分野にもよるでしょう。すべての研究領域で、こうしたことが可能になるとは思いませんし、まして、それを促すべきだとは全く思いません。それは、それぞれで判断すればいいことです。このような試みは、あくまで、僕の研究領域で、かつ、僕の立ち位置にたった場合、可能になる、ということです。
(僕の研究分野では、玉川大学の堀田先生、同僚の山内先生などが、それぞれブログやTwitterなどで、僕がそれをなす前から先駆的な取り組みをしていました)
しかし、一定の留保条件やリスクを勘案してもなお、僕は「研究室をオープンにすること」には魅力を感じます。
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かつて僕が学部時代だった頃、研究室とは、今よりもずっとずっと「閉鎖的」なものでした。
他の大学院生と一緒に勉強会を企画して学ぼうとしたら、相手の大学院生が所属する先生から「うちの学生に手をだすな」と陰でたたかれたり・・・・。
大学院生同士で議論しようとしたら、相手の大学院生が所属する先生から「情報が漏洩するから、大学院生同士で口をきくな」とやはり陰で言われたこともあります。
もちろん、様々な理由がその背後にはありますが、それは今よりもずっとずっと、「クローズな場」であったことは否めません。
「大学」ごとの壁、研究室ごとの壁、、、それは、今よりもずっと高いものがありました(今も高いところは高いでしょうね)。
(反面、僕が大学院生だったころの指導教員の先生は(前迫先生、菅井先生)、僕を「好き勝手」かつ「自由」にしてくれました。そのことが、どんなにありがたかったか。心から感謝しています)
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時代の変化、メディアの変化とともに、大学の研究室のあり方も変わっています。いいえ、僕のような分野の場合、「研究」というものの意味も、少しずつ変わってきているのですが、それは、また今度にしましょう。
少なくとも、僕の研究分野と立ち位置からいえば、研究室から発信される様々な情報と、それに関連するステークホルダーの方々との相互作用を通して、「研究のエコシステムを築くこと」が、「研究」の発展において重要になってきている、と考えています。
そして人生は続く。
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■2010年5月19日 中原のTwitterでの発言
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