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2010.1.6 09:29/ Jun

象さんと僕

 いわゆる「教育研究の中で語られる企業」と、「僕がもっている企業のイメージ」のあいだには、「違い」があるように感じ始めています。ここ数年の、企業をあつかった教育学研究系の論文・書籍を斜め読みしていて、その内容云々よりも、そのことが非常に気になりました。
 教育研究の文献の中で語られる、一言でいうえば「企業が求める人材」とは「安い給料で、文句を言わず、働いてくれる個人」です。人事担当者とは「そういう都合のよい人をリクルートする個人」ということになります。これらが典型的な語られ方であるように思います。
 明示的ではありませんが、そうした研究の背後仮説には、「搾取する企業」と「搾取される個人」という構図が見て取れます。そして、シンプルに進めると「搾取される個人」には、それに抵抗するための手段や武器をもたせるべきだ、という風にロジックが進みます。
 なるほど。
 人件費削減の問題は、極めて大きな経営の課題であり、それを目指さない企業などありません。
 また、人生いろいろ、企業もいろいろです。いわゆるブラッ●な企業、搾取系の企業も少ないわけではありませんから、そういう事態が起こっていても、何の不思議もありません。そういう企業に搾取されない個人、搾取に抵抗するための武器 – どういう武器かはわかりませんが – を育成することは意義があることのように思います。
 しかし、一方で、そういう語られ方の意義を認めながらも、僕の心に「違和感」が残ることを正直に吐露せざるをえません。
 ふだんお会いしている人事担当者、経営層の方々が抱えておられる問題、悩んでおられるような問題、解決したいと思ってる問題と、上記で掲げられてるような「ステレオタイプ」や「構図」が、僕の中で、うまく重ならないのです。
 僕が訪問している企業の担当者にそういう方が、たまたまいらっしゃらないのかもしれません。対象にしている問題群も異なっているようにも思います。また、「まだお前は勉強がたらん」と言われれば、それまでです。でも、どうにもわかりません。
 ▼
 
 もしかすると、すでに「企業」という「ひとつのカテゴリー」で括って、企業と人材の問題を論じること自体が、難しくなってきているのかもしれません。それだけ企業が多様化しており、それが抱える問題も多岐にわたっているということです。
 企業といっても、中小から大企業、ベンチャーから老舗、親会社から子会社、さらにはコンプライアンスすれすれの企業まで、いろいろあります。先に述べたように、人生いろいろ、企業もいろいろです。
 また「人材」も多様化しています。一口で育成といっても、経営人材の育成なのか、中堅社員の育成なのか、新人社員の育成なのかさらには非正規雇用の方々の人材マネジメントなのか、によって問題が異なります。
 しかし、このことは、研究する側からすれば「頭の痛い問題」を抱えることと同義です。
 だってそうでしょう。
 ひとつのカテゴリーで括れるからこそ、抽象化・一般化・モデル化をめざすことができます。そうでないのならば、局所的かつ、即時的な現象を、そのつど、その場所ごとに追うことしかできなくなってしまいます。
 嗚呼、こんな時、僕は人文社会科学の「ややこしさ」に頭を抱えます。
「ラジウム」といえば「ラジウム」を差し示し、それ以上でも、それ以下でもないような自然科学の世界、物質の世界であるならば、このような「ややこしさ」は生まれないのに、と泣き言を言いたくなるのです(まぁ、そんなこともないのでしょうけど)。
 ▼
 「溝」やら「違和感」やら「ややこしさ」やら。
 研究の世界は、もう、「わからないこと」だらけです。
 このような「わからなさ」の中、時に、僕は「錯覚」を覚えることがあります。
 自分はもしかすると「象という生き物を手探りで言い当てようとする盲人」の一人なのかも、と。
 今、仮に、「巨象」を囲んで、生まれてこの方、象を見たことのない数人の盲人たちが、「象」がどのようなものかを言い当てようとしているのだとします。
 あるものは、象の牙をさすり「象とは尖っている生き物」だと主張します。あるものは象の腹をパチパチと叩いて「象とはぷにょぷにょしている生き物だ」と主張します。
 誰もが、「自分の立ち位置」と「自分のやり方」で象を言い当てようとしています。もちろん、誰一人として「ウソ」は言っていません。彼らの発見した「事実」は「真実」です。
 しかし、その真実は全体ではありません。皮肉なのは、誰一人、「象の全体イメージ」を持てていないのです。彼らが互いのイメージを相互に交換できたとするならば、象の全体イメージをつくることができるのかもしれませんが・・・。
 僕が追いかけているものも、この「象」に似ているのかもしれません。
 そうであるとするならば、今僕にできることは、自分の立ち位置から自分のやり方で象をさぐることなのかもしれないな、と思います。さらには、「違った立ち位置にたつ人々」とのコミュニケーションを失わないことなのかな、とも思います。
  ▼
 今日は、実質的な仕事始め。
 「巨象」を前に、さて、一年、頑張ります。

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