2008.7.5 06:23/ Jun
先日、ある人からこんな話を聞きました。
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定年を迎えた、いわゆる会社人間の団塊世代・男性の中には、やることがなく、どこにも受け入れられず、大変な思いをする人もいる。
さぁ仕事がなくなったから、地域社会にでようと思っても、すぐには受け入れられない場合が多い。いわゆる会社人間は、会社の「外」でも通用する能力をもっていない場合が多いので、地域ではなかなか役割が果たせない。
地域でうまくやっていくコツは、「自分がやっていた仕事のこと」と「当時の肩書き」を絶対に口に出さないこと。でも、会社にしかアイデンティティの拠り所がない場合が多いので、ついそれを口にだしてしまう。だから、地域には、なかなかとけこめない。
地域にうまくとけこむためには、60歳になるまえに、綿密な準備がいる。「仕事がなくなったから、すぐに地域にとけ込める」と思ったら大間違いである。
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なるほど・・・そういうこともありえるのですね。
この話を聞いてまっさきに思ったのは、会社を離れ、地域社会に参入していくプロセスというものが、まさに「男性」にとって、30年間会社で学んだことの「棄却」であり、「再学習」のプロセスであるということです。
地域社会と会社は、全く異なる能力を「男性」に対して要求します。たとえ会社で「部長」であっても、肩書きがない世界では、意味をなしません。「どういう肩書きであったか」よりも「何ができるか」が重視されます。
さらに、会社で培ったアイデンティティは、決して地域社会では通用しません。名刺も肩書きもない「素の自分」として、「地域」というコミュニティに「参加」し、人々とコミュニケーションを行わなければならない。それは「肩書き」というものに守られてコミュニケーションを営んでいたものとは、本質的に異なるものを、男性に要求します。
そして最初は、周辺から、ある役割を担いつつ、次第に仲間を増やしていかなければならない。今までは会社というコミュニティの「中心」にいたのに、止めたとたんに「周辺」に移動からはじめなければならない。そこに心理的葛藤が生じる可能性があります。
こうした現象は、今まで会社の中で学習したことを棄却し、ふたたび学習を行うプロセスそのものであるようにも思います。そして、それは大変な困難な道であろうと、想像するのです。
先日のお話によれば、「地域社会にとけ込むためには、60歳になる前に、綿密な準備がいる」そうです。
おそらく、「地域」という、全くこれまで男性が生きていた「コミュニティ」への「参加」をなるべく円滑に進めるために、たとえば50歳代から、地域社会の役割を徐々に担ったり、人的コネクションをつくったりするということなのでしょう。
そういう準備もなしで、会社がなくなったから「すぐに地域にとけ込める」と考えるのは、確かに甘い考えなのかもしれません。
団塊世代・男性の「移動」を学習のプロセスとして捉えると、非常に面白い研究ができるような気がするのですが、どうでしょうか。
たとえば、会社を辞めたばかりの数名の男性が、地域社会にとけ込んだり、あるいは葛藤を覚えたりするプロセスをおっていく、という研究も、オモシロイのではないかと思いました。
もちろん、先行研究は何一つ調べていませんので、すでにそうした試みがあるのかもしれませんけど。
それにしても、この問題は他人事じゃないよなぁ。
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追伸.
発表は無事終了しました。明日帰国します。子どもの成長は早い。一週間ぶりにTAKUZOに逢うのが楽しみです。
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