2008.5.19 07:55/ Jun
大人は、社外に広がるコミュニティで「も」多くを学ぶ。
そして、大人の学びのコミュニティは、新たなコミュニティ活動を生み出す。
つまりは、大人の学びには「コミュニティを自らつくりつつ、学ぶ」という側面があるのではないか。
このことを、最近、僕は実感しています。
ここ数年、僕は、「組織学習・組織人材の最先端の話題をあつかう研究者と実務家のための研究会」として、Learning bar@Todaiという名前の研究会を、東大の大学院生の皆さんの協力をえながら、運営しています。
Learning bar@Todai
http://www.nakahara-lab.net/learningbar.html
開催は一ヶ月に一度。毎回の参加者は、だいたい120名です。応募は多いときで300名近くあります。回によっても変わりますが、120名のうちのリピーターは、だいたい半数くらいの割合でしょうか。
もともとLearning barをつくるきっかけになったのは、「産学いりまじって最先端の教育の話を共有し、ディスカッションする場が必要だ」という思いです。
できれば、それには、比較的中立な機関である大学がその運営に携わるべきだと思っていました。Learning barは、そういう思いからできた、いわば「研究者、実践者のためのコミュニティ」です。
今から4年前の米国留学中、ハーバードやMITといった大学が、そのような場として機能しているのを見ました。
当時、僕はMITとハーバードの中間、セントラルスクエアにアパートを借りて住んでいたのですが、毎日が本当にエキサイティングでした。
もちろん、留学中ですので、「箸が転んでもエキサイティングに感じるもの」なのですが、そういう「割り増し効果」を割り引いても、非常に充実した知的興奮をあじわえました。
その理由のひとつが、ハーバードやMITといった大学で、開催されている、誰でも参加できるオープンな研究会なのです。
毎日、無数の研究会が、キャンパスのあちらこちらで開催されていました。ワインやフィンガーフードをつまみながら、「今、できたてホヤホヤの理論やデータや実践」に耳を傾け、ディスカッションをする。参加型の「場」というのでしょうか。
運営を行うのは、だいたい大学のファカルティです。それを大学院生や様々な企業・団体の方々が助けていました。
大学には、よく「教育」「研究」「社会貢献」がミッションとして存在すると言われます。
MITやハーバード近郊で行われていたニュートラルな参加型の研究会が「社会貢献」かというと、やや語弊があるような気がしますが、ここでは話を単純にするために、仮にそう考えましょう。
で・・・とかく、日本の大学では、「社会貢献」というと、すぐに堅苦しく考えてしまいがちです。エライ先生に、壇上から、アリガタイ話を聞かせていただく、というかたちになりがちなのですね。
もちろん、それも貴重な学習の機会であることに間違いはありません。しかし、もう少しインフォーマルに、かつ、フレキシブルに、またインタラクティヴに、様々な人々が交歓し、知恵を生み出していける場をつくることができないだろうか。当時の僕は、ケンブリッジの片隅で、そんなことを考えていました。自分が日本の大学に着任したら、絶対にそのような場をつくろうと決意しつつ。
で、はからずも、ご縁があって、帰国後、東大にうつることになった。で、早速始めたのが、Learning barでした。
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で、このLearning barが、最近、とても面白い。もちろん、その内容ももちろんなのですが、より正確にいうと、Learning barに参加してくれている人々の活動も、とても面白いのです。
詳細な実態を把握しているわけではないのですが、いろいろ伝え聞く情報によると、参加者の人の中には、自分でコミュニティマスターになって、自社で勉強会を開催しはじめる人がでてきているそうです。
中には、その勉強会がきっかけで、教育体系の改善にふみきった企業もあるのだとか。そんな話を聞いて、とても嬉しくなりました。
あと、社外に自ら「様々な人々が集うコミュニティ」をつくる人もでてきたそうです。活動は様々、開催している場所も様々だそうです。有志を集めて勉強会をしたり、講演会を行ったり。中には、Learning barのように、組織学習・組織人材育成に焦点をしぼったものもあるそうです。
あと、Learning barで出会った人たちの中には、会終了後に飲みにいく人たちも結構いるみたいです。残念ながら、僕は一度も誘われたことはないです(泣)。
その中からかどうかは知りませんが、Learning barで出会った人たちの中で、話が盛り上がって、「新商品」が生まれているそうです。いわば「イノベーション」ですね。
ちなみに、「皮肉」なのは、僕はlearning barを企画した頃、まさか「Learning barのメンバーが、自らコミュニティ風の活動をするとは想定していなかったこと」です。コミュニティの学習理論とかを授業で語っていながら、僕は、何もわかっていなかった。
我ながら、「読みが浅い」というか、思慮浅いというか(泣)。反省しました。
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社会人が学ぶ場として、Learning barは、そのひとつです。組織学習システム、組織人材育成ということで、やや「マニアックなトピック」ではありますが、それを求める人にとっては、学びのタネのひとつでしょう。
そして、世の中には、これ以外にも、さらに多種多様な「インフォーマルな学びの場」が広がっています。そして、そうした場を行き来しながら、楽しみながら学ぶ大人がいる。
ちなみに、そうした「インフォーマルな学びの場」を渡り歩きしながら、知識や技能をアップデートしたり、自己を確認したりしています。専門用語では、これを「バウンダリー・クロシング」といいます。大人は、幾重にも重なりつつ広がる、様々なコミュニティの住人なのかもしれません。
このあたりは、東京大学・情報学環の荒木先生がご専門にするところなので、僕はその実態を知っているわけではありません。
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ところで、先日、ある場所で講演をさせていただいた際、こんなことを僕は、オーディエンスの方々に投げかけました。
「社外で、社員たちが自発的に学びたいと思っているとき、それを阻害するような制度や雰囲気が、あなたの会社にはないですか?
まずはそこから見直してみるといいかもしれません。企業の中の教育体系を充実させたり、場を整えたりすることは重要です。しかし、同時に、必要に応じて、社外に飛び出して、自ら学ぶことを促進させることが必要ではないでしょうか。いいえ、促進しなくてもいいです。せめて阻害してはいないかだけでもチェックしてみてください」
企業の人材開発担当者の多くは、「社内に人を引きとどまらせる
仕組み」は考えますが、逆に「社外に広がる学びのタネ」には、なかなか関心を示そうとしません。
それは仕事の範囲外といってしまえば、そのとおりなのですけれど、「大人の学習、大人の成長」といった観点から見ると、実に重要な学びの機会を失ってしまうのではないかと思います。
Learning barを運営していると、たまにこんな相談を受けます。
「この場に来ていることは、会社に内緒にしてください・・・別に悪いことをしているわけではないのですが・・・そういう雰囲気にないもので」
「うちの上司は、社外にでていくことにいい顔をしないんですよね・・・社外に何か持ち出すんじゃないか、会社を辞めちゃうんじゃないか、と怖れているんですね・・・もう説得するだけでも疲れます」
はっきり言って「気の毒」だと思います。もし僕自身だったら耐えられない。だって、「自分で自ら学びたい」という思いが阻害されるんですよ。もちろん、「ひとつのことに集中させたい」とか、いろいろ上司にも思いがあるのかもしれない。でも、結果として、「集中させよう」と思って囲い込んでも、「集中できていない」わけです。大人は、本当にやりたいことは、どんなことをしてでもやるものです。隠せば、結局、アングラ化するだけかもしれませんね。
僕には会社のことはわかりません。でも、もし、これが大学で起こっているのだとしたら、「そんな大学、研究室、教員には、見切りをつけた方がいいんじゃない?」と言ってしまいそうな予感がします。
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なんだか話がズレてきました、閑話休題。
とにかく、大人は、社外に広がるコミュニティで「も」多くを学ぶし、場合によっては、自ら「コミュニティ」をつくりつつ、学ぶのかもしれません。
そういう大人のフレキシブルで、アドホックな学習を研究する、というのは、本当にオモシロイことだと思いますね。あまり事例もないし。そういう場を今後もつくっていきたいと思いつつ、こうしたことに焦点を当てた研究が、どんどん増えてくることを願っています。
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