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"Spring comes"
by Miwa
2004/04/30 学習科学とテクノロジー
先日、AERA2004で入手した本たちを、ようやく読み終えた。Learning sciences & Technologyに関する、比較的最近の本たちだ。 ワインを飲みながら読んだので、多少酔っぱらっており、時に「うむむ、このデータはすごい」「ほほー、アンタはエライ」とか吠えながらの読書!?であったが、楽しい時間であった。まさに、エンジョイよ。 インターネットを活用した学習、あるいは、オンラインの学習者共同体などを研究する人にとっては、必読書なのではないかと思う。CLP、Knowledge Integration Environment(KIE)、WISE、TAPPED IN、ほか様々な事例がのっている。 帰国後、これらの本をネタに勉強会をしてもいいかなと思っている。いつになるかはわからないが。 2004/04/29 バックマンラボラトリー Communities of practiceの、あるいは、Knowledge Managementのサクセスストーリーとして、よく引き合いにだされるのがバックマンラボラトリーである。 バックマンラボラトリーは、従業員1800人。メンフィスに本社をもち、23カ国にラボをもつ多国籍企業。製紙会社などから化学に関する研究開発を委託されている。 バックマンの化学者、技術者たちは、仕事に行き詰るとK'netixとよばれるオンラインフォーラムに集う。世界中から集まった技術者たちが、自らの専門性や経験を持ち寄り、オンラインで議論し、研究開発プロジェクトに従事する。かくして生まれる新技術は年間で20以上、年商400億を超える。 本書は、そのバックマンラボラトリーのCEOが、どのようにKnowledge Sharing Cultureを社内につくりあげていったのかを解説している。
2004/04/27 ふぅ ボストン時間午前2時48分、ようやく、日本とのテレビ会議が終わった。今日のミーティングは、某社の組織改革と知識流通に関するコンサルティングであった。リサーチとしても成果を達成できることを目指している。 これまで公式には3度テレビ会議を行ってきたが、今日の会議では、ようやく「落としどころ」が見えてきた感じで、嬉しい。研究的にもこれはオモシロイ。しっかりと成果がだせるよう、今まで、implicitに動かしてきた研究組織を、正式に、かつ、explicitに立ち上げる必要がある。共同研究は、とにかく最初が肝心である。そのことは、4月1日の日記に書いたとおりである。 真夜中のテレビ会議は体力的にキツイこともある。しかし、会議の内容がオモシロク、知的に興奮してしまうと、寝ることも忘れてしまう。テレビ会議終了後、文献を広げ、気づいたら朝になっていたということもある。 どこにいても、オモシロイ研究に参加できる。 2004/04/24 イトイさん 僕のような若造ペーペーに言われたくないと思うのだが、糸井重里さん、やっぱりこの人はスゴイと思う。「モノゴトをオモシロクすること」「モノゴトを魅せること」っていうのかな、それがスゴイ。彼が関わるプロジェクトは、どのプロジェクトも愉快に見えてしまう。 例えば、「智恵の実を食べよう」と名付けられた、このプロジェクト。
このプロジェクトは、一言でいうと「講演会」なんです。スゴイ智恵をもっている人、最先端の学問を追究している人を呼んで、みんなでその話を聞こう。せっかくだから、インターネットでも中継しようというプロジェクト。 同様のことを大学とかがやるとすれば、「生涯学習講座」とか、「市民講座」とかいう名前がつけられて、ポスターがつくられ、さらには、「eラーニングもやってます!」とかって、一般に全然使われてない言葉で宣伝されそうな内容です。電車のつり革広告なんかで、いつも見ているような感じになっちゃう。 でも、違うでしょ、活動レベルで同じようなことをやっていたとしても、糸井さんが関わると、そこから受けるイメージが全く違う。 上記のWebを見てもらえるとわかると思うんですが、彼が関わると全然違う見え方になる。まずは、会場に行きたくなる。会場にいく前には予習もしたくなる。また、会場で聴衆として参加するだけじゃなくって、「裏方」の仕事もしたくなる。このイベントは、多くの若者が、バックヤードでボランティアで支えているわけですね。 いやぁ、スゴイ、感激してしまいます。 さっきの例をだしていうと、たとえば、もし僕だったら、同じ事をやるとして「生涯学習講座」とかって名前をつけてしまわないだろうか、と思っちゃうわけです。「作り手の立場」から、どうしても見てしまう。 そうなんです、「モノをつくる」だけならできるかもしれないけど、「つくったモノを魅せるセンス」を磨かなきゃならないのですね。
追伸.
2004/04/23 シネギミック ひょんなところからお友達になった、フリーライター兼Webプランナーの松岡くん。彼の活動のひとつである「シネギミック」が、ケーブルテレビに流れたらしい。
シネギミックは、「映画館がひとつもない西宮市に、映画館をみんなでつくろう」というプロジェクト。このSharaed Practiceに、いろいろな若者が立ち上がり、草の根の運動を行っている。 この活動には、どんな方でも参加できるらしい。松岡くんと一緒に活動をしたいと思う方は下記から。
あと、彼は仕事も募集しています・・・きっと。Webプランニング、Webデザイン、その他編集などでお仕事がありそうな方は、是非。シネギミックのWebページのようなステキなWebをつくってくれると思います。
松岡君、帰国後、また逢おう。 2004/04/22 学会 1年に1度開かれる学会 - ここに参加することは研究者のひとつの仕事のひとつだと思います。 一口に学会といってもいろいろありますね。「トンデモ学会」もあるし、そこで発表するだけで「プレスティージャスな学会」もある。参加者が少ない数十人規模の学会もあれば、数万人規模の学会もある。「貧乏な学会」もあれば、「3食つきのゴージャス学会」もある。まさに、「人生いろいろ、学会いろいろ」といった感じです。 ところで、学会に関して、僕はいくつか思っていることがあります。 まず1つめ。これは一番基本的なことですが、学会というのは、「自分なりにオモシロイことを少しでも見つけて、気のあう人と出会い、情報を交換しあう場」であるべきなのではないかな、と僕は思っています。 でもね、よく学会にいくと、「○○のセッションは、オモシロクない」とか「○○の話はしょーもない」とか、文句ばっかり言っている人います。人の研究のあら探しばっかりしたり、ハナっからコバカにしている。でもさ、そういう人から話を聞いていると、思わず言いたくなります。
断じて、僕はそういう考え方は好きになれません。それよりは、ほんの少しでもオモシロイことを探して、お互いにシェアしあいましょう、と僕は思います。その方が、自分たちの研究にとってプラスになるでしょう。できれば、仲間とうまく分散して発表をまわって、あとでラップアップするのがいいと思います。そうすると、一人ですべて聞きにいけなくても、いろいろと情報があつまります。
二つめ。 それは、「学会発表をナメない」ということです。数年前から、僕も座長などを仰せつかることが多くなりました。座長などをしていて思うことなのですが、「学会発表をナメている人」ってのがたまにいます。つまり、練習不足や準備不足のまま、その場に臨んでいる人です。中には発表数時間前にあわててプレゼンテーションをつくったりしている人もいますね。「ふぅ、間に合った」みたいな。 そういう方々が、何度も学会発表をしているからオレは慣れているんだぞーと言いたいのか、それとも、ホントウに余裕があるのかは知りません。否、ホントウに余裕のある人や、敢えてポリシーをもっている人はそれでもよいのです。だけど、ホントウに余裕のない人が、そういう「ナメ夫さん」「ナメ子さん」であることが、実は多いのです。僕はそういう学会発表への臨み方は好きではありません。 プレゼンテーションのうまい下手を言いたいのではありません。それは数をこなせば、少しずつうまくなっていくと思います。というよりもね、「学会発表をナメてるぞ」ってのは、意外に人に伝わるんだってことを言いたいのです。そして、そのことは、必ずしもよい影響をもたらさないことが多いと思います。もちろん、これは僕には関係ないので、他人がどうしようが、僕がとやかくいう問題ではないですが。 でもね、考えてみれば、僕自身、僕の学会発表を聞いてくれていた方から、いろんなアドバイスやチャンスをもらってきました。たった10分や15分の発表ですが、そこからチャンスが開けることもあるのではないかと思っています。たかが10分、されど10分です。どんな学会であれ、学会発表は舞台です。意外に、人は見ているものですよ。
というわけで、学会について思うことを書いてきました。それは、うまく活用すれば、とってもよい学びの機会になると思います。 2004/04/20 カタン、コトン 最近、中学校、高校、大学の頃の僕ならば、決してやらなかったこと、好きではなかったことが、だんだん好きになっていく自分に気づく。趣向が変わってきているというのだろうか。なんと形容してよいかは、自分にわからぬ。
たとえば、散歩。日本にいようと、アメリカにいようと、なんかヒマさえあれば、僕は散歩をしているような気がする。学生時代の頃、僕は散歩などしたことはない。 整備された散歩道など必要はない。目を見張るような風景や、荘厳な寺社仏閣なども、必ずしも必要はない。 ただ歩く。 しばらく歩いていると、アタマの中でいろいろ渦巻いていた考えが、だんだん、「カタン・・・コトン・・・カタン・・・コトン」と道に落ちていくのを感じる。気がつけば、何も考えていない自分がいる。そんな時間が、僕は好きだ。贅沢さを感じる。
絵を見ること、これも変わった。 決して、学生時代の僕が絵を見なかったわけではない。そうではなくて、見方が変わってきた気がするのだ。 なんといったらよいのか、好きな絵を見つけると、何時間でもそこで眺めていたい衝動に襲われるようになったのである。 先日も、Museum of Fine Artsで、ルノアールの絵(カフェで男性と少女が踊っている絵なんだけど、その雰囲気が何ともいえない)の前で30分過ごした。つい一ヶ月前も同じような時間を過ごしていたのにもかかわらずである。NYのメトロポリタンでも同じような衝動におそわれた。アダムとイブの神話に関係する絵だった。宗教画はあまり好きではないはずなのに、我ながらその絵の前にたたずんでしまい、びっくりした。
これらの変化はとるにたらない。 しかし、ここで詳細を述べることは差し控えるが、実はこれだけじゃないんだ。同時期に、いくつもの些細な変化が積み重なっていることから考えるに、どうも自分が、今、何か僕の人生にとって重要なプロセスにいるのではないか、と邪推してしまうのは、もっともなことだろう。 しかしまぁ、胸に手をあてて考えてみると、心当たりがないわけでもないなぁ。いろんな意味で、僕は、今、岐路にいるだろうと思う。
カタン、コトン、カタン、コトン。 2004/04/19 ウソ ウソはついていけません 確かにそのとおりである。ウソをつかないで生きていけるのなら、それにこしたことはない。しかし、どうも、ウソなしで生きていけるほど、ヨノナカは甘くない。時にはウソをつかなければならぬときもある。 ひるがえって考えてみれば、僕の場合、ウソをつくのは、1) すべてをオープンにしてしまえば場を壊してしまうような場合、2) 本質的でないしょーもない事実で人を傷つけないようにする場合、であろうか。 こういうことを告白すると、僕は「トンデモナイ嘘つき男」であるようだが、このようなことは、誰しも、胸に手をあてれば経験があるだろう。 ウソはつくべきでない、そう自分に言い聞かせる。 2004/04/18 AERA最終日 AERA最終日は、「教師教育」「ハンドヘルドデバイスと科学教育」など、3つのセッションに参加した。特にオモシロかったのは、著名な教育学者たちが次世代の教師教育について提言を行っていたセッション。 このセッションの名前は「National Academy of Education Committee on Teacher Education: Selections from the Final Report」。 ジョン=ブランスフォード、アラン=ショーエンフェルド、リー=シュルマンなど、知らぬ人はいないような教育学者たちが、順番に、それぞれの専門の観点から、教師を語っていました。 特にね、言語とかダイバーシティとか、日本の教師教育ではあんまり語られないことが中心的話題になっていることにびっくりしました。 メモは下記のとおり。
2004/04/16 大学と公共の知 今日の日記のテーマは「大学と公共の知」。 うーん、知的すぎるテーマだ。 なんだか知らないが、突然アタマがよくなった感じがするぢゃないか。 意味不明 まぁ、それはどうでもいいとして、本題に戻るとですね、なんかね、こちらにきて、ていうか、ボストンにきて、なんかおぼろげながら「大学が公共の知を支えるかけがえのない場所なのだ」っていう感覚がわかりかけているって気がするのです。うまく語れるかはわからないけど、その話をしたい。 ご存じのとおり、ボストンにはものすごく大学って多いんだよね。 うちの近所にあるだけでも、ハーバード大学、マサチューセッツ工科大学、タフツ大学、レズリー大学・・・と続くわけです。ケンブリッジでは、「通りを歩く人はみんな学生、石をなげれば博士にあたる」と言われるくらい、本当に多くの大学関係者が住んでいます。ちなみに、この街の平均年齢は20歳後半です。異様な数字だよね、これって。そのくらい、みんなが大学に関係あるんです。 日記にいろいろと書いてきたから、わかっていただけると思うのですが、これらの大学では各学部、各研究所ごとに、毎日のように講演、シンポジウム、コロキアム、セミナー、ワークショップが開かれています。中には、開催後、ストリーミングビデオになるものも多いです。その場合は、インターネットでいつでも誰でも、話を聞くことができます。 スピーカーは本当に多様で、内部の人たちが自分の研究成果を話すこともあれば、外部の産業界、行政の実務担当者や、著名人が話すことも多いです。 中には有料のものもあるけど、ほとんどは無料です。Webを見たり、MLなどで流れてくる情報をもとに、アポなしでブラリと訪れても、ほとんどの場合は歓迎されると思う。むしろ、喜ばれるんじゃないかな、「よくきたな」って。 それらの催しには、クッキー、サンドイッチ、ラップサンド、ドリンクなどが振る舞われる場合もあります。中にはワインとチーズかが振る舞われたりする。だからといって、突然ブラリとやってきて、食べるだけ食べて、ほなバイナラと出て行ってしまう行儀の悪い人はさすがにいません。内部から参加した人も、外部からアポなしで参加した人も、熱心に耳を傾け、多くの場合ディスカッションなどに参加している。 --- でさぁ、思うのはここからなのよ。 日本でよく言われる議論で、大学のミッションってのがあります。大学は教育をしなくてはならない。そして、研究もしなければならない。これらが大学の第一ミッション、第二ミッションと言われています。。 近年、それらに加えて、「社会貢献」てのが第三のミッションとして加わってきてますね。大学で生まれた知を公開してくださいよ、ということです。産学連携なんかもその一つに入ると思う。 アタリマエのことですが、大学は「公共財」のひとつですよね。国立大学法人であれ、私立であれ、ものすごい額の税金が投入されています(国立大学法人の場合は運営交付金。私立大学の場合は私学助成金)。で、そうであるからには、「公共の知」というものを支え、ケアしていくミッションが大学にはあるということですよね。 でもさぁ、よく言われる「知の公開」とか「社会貢献」とか、そういう言葉だけ聞くと、なんか難しそうぢゃないですか。なんかみんなスーツを来て、講堂に集まって、エライ大先生の話を聞くというかね、ちょっとフォーマル過ぎて肩こりそうだよなぁ、とかそういうイメージないですか? なんか既にできあがってしまった「知」なるものを、気をつけの姿勢で「ご拝聴させていただく」ってイメージかな。そこでいう、「知」っていうのは、なんか物象化しててさ、モノみたいにハハーって受け取れるみたいな、そんなイメージです。知の公開中に、サンドイッチを食べるなんてもってのほか、ワインなんて不謹慎にもほどがある、みたいな感じしませんか? 要するに何が言いたいかっていうと、そんなにフォーマルでなくても、お昼にセミナーやワークショップを開催し、知を愛する人々を交流させ、あーでもない、こーでもないと言い合うだけでも、立派に「知の公開」や「社会貢献」になるんでないのってことです。そして、それが大学のミッションなのではないかしら、と思うようになった。 なんか、今まで、僕は「大学が公共の知を支える場」っていう考え方をアタマでは理解していたんだけど、実感がなかったんだよね。でも、こちらにきて、いろいろなセミナーに参加して、「そうか!これなんだ」ってわかった気がするんです。 こういう機会が重層的に準備され、大学の中に様々な知が環流し始める、その流れ、否、もっと簡単にいうと、様々な人々が知を持ち合い、インタラクションするそのプロセスこそが「公共の知」なんじゃないかな、って思うようになった。先ほどの対比でいうと、公開される「知」とは物象化されたそれではなくて、そうした場で展開するインタラクションっていうのかな。 そういう風に考えが変わってきた、ということです。もちろん、そうした場が日本の大学になかったか、というと、それはウソだと思う。高い研究業績がでている研究室、オモシロイプロジェクトが動いている研究者のまわりは、常にそんな感じだと思うのですね。でも、そうしたものに一般の人たちが外部からアクセスしようとしても、これまではなかなかできなかったのではないでしょうか。 いくつかチャレンジしなければならないことはあると思う。少なくとも、そうした場をつくることに弾力的に予算が使えるようになること。あとは、イベントカレンダーっていうんですかね、それが準備されることとかね。でも、オモシロイと思うんですよね、そういう場ができれば。 皆さんはどう思いますか? 2004/04/16 AERA3日目 今日のサンディエゴは天気がいいぞ。6月の北海道のような気候というのかな。気温は20度くらいで涼やかな風が吹いていて、長袖シャツ1枚あるいは半袖で外歩けるぞー、みたいな感じ。 いやー、スバラシイ。 今日もAERAに参加。今日で3日目なので、少しずつカンファレンスの雰囲気に慣れてきた。それにしても、このカンファレンス、世界中から有名な教育学者が集まっていて、ミーハーな僕は、いちいちびびってしまう。 さっき、ホテルで水を買おうと思って、1Fにいこうとしたら、初老の夫婦みたいな男女にエレベータの中であった。どこかで見たことのある顔だなぁ、と思っていたら、マリーン=スカーダマリアさんとカール=ベライターさんだった。 1日目のあるセッションでは、僕のとなりにロイ=ピーさんが座っていた。熱心に発表を聞き、ノートをとっていらっしゃった。 あるポスターセッションで、学生さんに僕がいろいろ質問をしていたら、後ろから白髪の女性研究者が近づいてきて、後ろから僕たちの話を聞いていた。誰かなぁと思っていたら、マーシャ=リンさんだった。 うーむ、なかなかあなどれん。 ところで、今日もScience educationとWorkplace learningのセッションにでた。
まず1番最初の発表。世界で第二位のWBTメーカー、Thomson NETgに所属しているボイルさんの発表。 彼女は、パス解析の手法を用いて、「能力に対する学習者の自己認識」と「与えられた仕事に対する学習者自身の認識」という2つの要因が、実際の「仕事のパフォーマンス」にどの程度影響を与えているかを調べていた。 2番目の発表。IBMビジネスコンサルティングサービスのディレクター、トーマスさんの発表。お題は、「On-demand learning」だって。要するに、仕事に関係する知識を、On-demandで獲得できる環境を用意すると、とてもよいのだ、ということらしい。Return of investmentなんかも計算していた。 3番目の発表。アクティビティシステムを枠組みに使った発表で、オックスフォード大学のヘイワードさんとキンチさんの発表。ちなみに、どうでもいいが、キンチさんは可愛い。 彼らが探求していたのは、ある病院と大学間で行われる共同作業について。マンモグラフィーという分析装置を、4名のITスペシャリストとIT開発者で共同で動かすんだけど、そこにどんな葛藤が生じ、彼らのExpansive
learningにつながったかという報告。
明日はとっても忙しい。朝から夜6時まで、すべてセッションがつまっている。セッションとセッションの間は、20分ずつあいているが、耐久戦になるだろう。 耐えられるのだろうか。 2004/04/15 そこんとこよろしく こういうサイトを公開していると、時にいろいろな方からメールをもらう。中には励ましのメールもあるし、中には叱責のメールもある。このことは前にも日記に書いた。ところで、多くの場合、叱責のメールは、HotmailとかYahooのアカウントで投稿されているもので、名前を名乗っていない場合が多い。 つい先日も、ある方からHotmailアカウントのメールをいただいた。内容は、やや過激なのでここで引用することは差し控える。 が、要するに言いたいことは「チミはアメリカの情報をいろいろと日記で公開しているが、すべてアメリカがいいってわけじゃないだろう。何でもかんでもアメリカのものがいいっていうチミみたいな研究者がいること自体が、おかしいのだ」ってことらしい。 匿名で言いたいこといいやがって、このタクランケめ!(北海道弁だ)
まぁまぁまぁ、怒っても仕方がないので、この際キチンと言うが、僕は全く「アメリカのものがいい」なんて思ってないですよ。むしろ、逆かも。 こちらにくるまでは、「アメリカはすげーや」と手放しに思っていたところが結構あったけど、最近は「すげーところもあるし、しょーもないところもある」と思っている。参考にするところもあれば、絶対にマネしちゃダメって思うこともあるってことです。むしろ、日本の制度、教育も医療もそうですが、まぁ、問題も多々指摘されているけど、よくできているな、と再評価してしまうことの方が多いかもしれませんね。 たとえばね、今日は医療を例にとって話をしましょう。 先日のUSA Today(2004年4月13日)に乗っていた記事に、「病院と保険屋さんが大げんかになっている」話がありました。これなんかを読むと、絶対に日本はアメリカのマネなんかしちゃダメだって思う。 ご存じのとおり、アメリカには、日本と違って、国民皆健康保険ってないですね。保険に入りたい個人が民間会社と契約して、保険を買うのが原則です。で、概してこの保険ってのがすごく高いものだから、国民の40%は保険に入っていないんだそうです。 でね、病院は医療が高度化してきているもので、施設維持費がこれまでよりもかかるんだって。人件費も高騰しているからなおさら経営が苦しい。で、どうするかっていうと、その分の費用を患者、あるいは保険屋に上乗せして払わせるわけさ。 で、怒るのが保険屋さんと患者ですね。見事に「保険屋・患者 vs 病院」ていう対立の図式ができる。 まず保険屋は費用を上乗せされたんじゃたまらない。商売でやってるからさ。彼らは、高額の医療費をふっかけてくる病院のブラックリストをつくり、そこには医療費を全額支払わない措置をとる。あるいは、指定の病院を決めて、患者にそこだけにいくようにいう。 それでもにっちもさっちもいかないときには、最後の手段ですね、患者に手紙を送るわけです。「あなたの医療費のうち、○○の部分は本保険ではカバーできません。貴方自身でお支払いください」という感じで。後から言うなってーの。最後に犠牲になるのは患者だよねぇ。 医療費が高額っていうけど、どのくらい高いかって、これね、ホント、びびるよ。本当にバカ高い。たとえば、日本で8000円(保険がきかない場合は24000円)でできるという所要時間10分程度の、どこの病院でもおおかたできる簡単な「ある検査」、これ、アメリカでやったら150000円らしい。同じ薬剤、同じ医療器具を使ってもね。どこをどう「ざっくりお見積もり」したら、こんなに金額が違ってくるんだ? USA Todayには、こんな話がのってました。
ね、どういう会計してるんだって聞きたくなるでしょ。超どんぶりですねー。ここまで「どんぶり勘定」だと、もうね、腰砕けるわ、詐欺に近いぞ。 こんな話もありますよ。ある人が、医者に検査を求めたときのこと。
いやー、もう病んでるね、腰砕けです。悪くなってから検査して何の意味があるんだか、よくわからない。 とまぁ、いろいろオモシロおかしい話を紹介しましたが、こういう話を聞いているとね、いやぁ日本の制度ってのは、今まで気づかなかったけど、すごく役だっているんだなぁって思っちゃうんです。 多々問題は抱えているにしても、何とかして、この制度を再評価し、維持できる部分はなるべく維持した方がいいんじゃないかな、と思っちゃう。何でもかんでも現存する制度を壊して、アメリカ式の制度を導入すればいいなんて、全く思わない。 というわけで、僕は、アメリカ万能主義者じゃないからね、そこんとこよろしく。 2004/04/14 AERA2日目 科学教育のポスターセッションへ。 この領域で高い研究業績をあげているのが、カリフォルニア大学バークリー校のLinnの研究チームと、ミシガン大学のKrajcik、Soloway、Blumenfeldの研究チーム。 研究スタイルはスタンダードです。パフォーマンスの比較をきちんとおこないますね、彼らは。その上で、解釈的なアプローチをとろうとしているところがさすがだな、と思います。
お昼。エティエンヌ=ウェンガーさんの講演へ。Community of practicesのアイデアをわかりやすく解説していました。すごいエナジェティックな人だった、彼は。すごい身振り手振りでお話をなさいます。
講演の途中には、「あなたのまわりのコミュニティ・オブ・プラクティスは何ですか?隣の人と話し合いましょう」というグループワークがあって、ちょっと緊張。こちらの講義って絶対にこういうのがあるんだよね。講義だからといって、黙ってご意見拝聴なんて、ほとんどない。そのたびに緊張します。 そうそう、ウェンガーさんは、CoPのキーになるのはドメインだと、繰り返し繰り返し言っていました。これは印象的だった。あと、21世紀の教育を語る際に、学習者のアイデンティティ形成にとってもこだわっていた。 講演終了後に、少しだけお話をしました。現在、自分のかかわっているプロジェクトについてお話をした。
午後、ワークプレイスラーニング(Workplace learning)のセッションにいきました。Workplace learningっていうのは、最近、注目されている概念ですね。細かいことを言えば、定義があるんですが、ここではさしあたって、従来のHRD(Human Resource Development)が、最近ではそのように言われているとご理解ください。僕と何人かの方々で執筆した本の副題にも、しっかりと「ワークプレイスラーニング」という言葉がはいっています。タイトルは、出版されるまで、どうなるかわからんけど。 ところで、このセッションでは、「ワークプレイスエデュケター(Workplace Educator)」、要するに、企業の人材育成担当者を育てるために、それぞれの大学院ではどのようなカリキュラムを組んでいるのか、ということについてディスカッションしていました。 ・・・あのね、全然、安心してもいいと思いますよ。 よく日本で、「アメリカの大学院では、企業の人材育成担当者を養成するキチンとした共通カリキュラムがある、日本にはない!、日本はなんて後進国なんだ、大変だぁ!」って言われていると思うんだけど、それはどうも違うみたいよ。 確かにアメリカの大学院には、そのようなコースはあることはあるけれど、どのようなカリキュラムを組めばよいかっていうのは、まだまだ議論があるらしい。今日のセッションでは、「現在のカリキュラム・ディバーシティの状況をお互いに理解し合い、これから少しずつよいものをつくろう」って言っていました。
少し疲れたな。 2004/04/13 AERA初日 サンディエゴで開催されているAERA(American Educational Research Association)のカンファレンスにきている。
僕、実は、最近ちょっとだけ体調を崩しているんだけど、このカンファレンス、なかなか発表が刺激的で、体調のことなどすっかり忘れてしまいそうなのが、ていうか、忘れてるのが怖い。 「アンタがこうくるなら、オレは、こういう研究をやるぞ」「そこをそうつくか、ひゃー、こりゃ思いもつかなかったねー」とかね、つい考えちゃう。気づいたら、その瞬間まで、ハラ痛いことを忘れてたことに気づくみたいな。 今日は、3つのセッションに参加しました。 --- 第一のセッションは、「Deepping our understanding of processes and outcomes of collaborative learning」というお題でした。波多野先生@放送大学がチェアをつとめていらっしゃいました。 個人的にオモシロかったのは、Noreen Webbさん。彼女の発表は、協調学習における援助行動に関するもの。 協調学習を行うときにさ、学習者は相互に援助を求めたり、与えたりするわけだけどさ、彼女が探求したのは、どういう人がどのような援助行動を求めるかってことだね。結論からいうと、既存知識を多く有する学習者であればあるほど、specificな援助を求めやすいということ。これを見事に論じていました。 あと、Danniel schwartz & David searsさん。彼らは問いの建て方がオモシロイかった。 彼らのリサーチクエスチョンは、「どんなことを学ぶときに、学習者はコラボレーションすることを選びたがるのか?(つまりコラボレーションに動機づけられるのか?)」ってことです。これだけでウマイよねー。「教育学はこの問いに答えていない」という彼らの指摘はまさにその通り。確かに、教育学では、学習者の立場にたって「どんなときに人はコラボレーションしてーなー」って思うかについては探求していないんだよね。 最後に発表したBarronさん。彼女の発表でオモシロかった概念としては「Management of attention」です。要するに「協調学習は、相互の意図、相互の注意があるときにうまくいく」ということを言いたい。その中ででてきた概念でした。これは、僕が思っている相互貢献性(Mutual contribution)に近い概念でハッとした。 --- 2つめのセッション。「Community of practice in education」という内容でした。個人的におもしろかったのは、Schlagerさんの発表。この人は、SRI Internationalに勤務していて、かつて「教師の専門性発達をネットワークで支援する」というTAPPED INというプロジェクトをやっていた人です。Community of practiceを教師の専門性発達に導入するっていう内容でした。 あと、Susan Printyもオモシロイ。彼女が探求したのは、「誰(どのような人)がCOPに参加しようとするのか?」ってことです。人種やジェンダーによって、コミュニティへの参加の違いがあることを、統計を利用して明らかにした。問いの建て方がオモシロイと思いませんか? 3つめのセッション。「Scaffolding student's learning of science」です。 このセッションでは、オモシロかったのは「The impact of technology on the enactment of inquiry in a 6th grade classroom」という発表。「探求学習」や「テクノロジー」というものが、先生や生徒たちにどのように把握されているか、認識されているかってことを調べたもの。これも問いの建て方がうまいよねー。なんかそればっかり言っているけど。でもさ、こういうことって、人に言われたらさ、そりゃアタリマエじゃねーか、と思うかもしれないけどさ。なかなか問いをたてるのって難しいって。発表は、イリノイ大学の女の子だった。 あとは、ミシガン大学のKrajcikさんのところの大学院生の発表も、とても興味深かった。これは論理展開が堅い。内容は、8週間の化学の授業を対象とした、いわばフィールドリサーチだね。リサーチクエスチョンは、「科学的説明をどのように子どもたちがつくっていくか」「科学的説明をつくるのに、どのようにしてScaffoldingすべきか」ってことを研究したもの。 --- いや、初日からオモシロイね。 というわけで、 明日も楽しみだねー。 2004/04/12 仕事の未来 MIT教授、トマス=マローンの新しい本がでた。この本で、彼は未来の「仕事」のあり方、「マネジメント」のあり方を、実証的な研究に基づいて予想している。
彼の主張を簡潔に述べるならば下記のようになるだろうか。
うーむ、なるほどね。「e-lancer」の時代なのね。 確かに、知識労働に限って言えば、今でも上記のような働き方になっているような気もしますね。必ずしも、カイシャにいなくても、生産性をあげられる職種はあると思う。むしろ、カイシャに行かない方がいい場合もあるくらい。 そういえば、先日、ある人からU.S. Census Bureauの調査を教えてもらいました。
6.9%っていったら、一見少ない気もするけれど、ホント、ちょっと考えてみたらさ、スゴイ数字ですよね。うーむ、仕事のやり方、変わってきているのだろうか。 2004/04/11 Enjoy こちらで、よく聞く言葉のひとつに「Enjoy!」というのがある。「Have fun!」とか「Have a good time!」と声をかけられることも多いが、やっぱり一番頻度が高いのは「Enjoy」である。 一番基本は「Enjoy dinner!」。このセンテンスは、レストランのウェイターが料理を運んできたとき言われる。 決してディナーだけじゃない。日本語ならば「Enjoy(楽しんで!)」を使わないような文脈でも、よく用いられる。 たとえば、あなたがこれからクラスにでかけるとする。そんなときは、「Enjoy the class」と声をかけられる。プロフェッサーから宿題をだされる、そんなときは「Enjoy your homework」。日本語ならば、これらの文脈では「頑張って」というのがフツウであろう。 もちろん、「頑張って」と言われるのも悪くない。しかし、なぜだか知らないけれど、「Enjoy」と言われると、少しだけホッとした気分になる。 Enjoy...僕が一番好きな英単語かもしれない。 2004/04/10 SMA、運営の実際 今日は、田口さんとシンガポール・MITアライアンス(略称:SMA)のマネージャであるユリタにインタビューにいった。今度、出版される本の1節に、「eラーニングの組織論」というような部分があって、そこの取材もかねていた。 我々の関心は、「どのようなスタッフが、どのような組織図のもとで、どのようなタスクを担い、シンガポール・MITアライアンスを達成しているのか」ということにある。それはテクノロジーマターではなく、どちらかというと、ヒューマン・リソース・マターとも言えるかもしれない。 最初に結論から言ってしまうけど、要するに言いたいことは下記のようになる。
以下、今日のインタビューの際に描いたメモ公開。なお、今日のインタビューを通して、新たにわかったことがいくつかあったので、前に書いたSMAの日記の内容をアップデートした。SMAとは何か?ということに関しては、この以前の日記を参照されたい。
ちなみに本日インタビューを行ったユリタさんは、この職につくまえ、ポリコムのテレビ会議システムのマーケティングマネージャ、セールスマネージャを経験していた。個人的な質問になるが、とことわったうえで聞いたところ、子どもができたことをきっかけに、週に3回の出勤ですむ現職へ転職したのだという。 自らの専門性をしっかりともっていて、キレのよい言葉を話すステキな女性であった。こういう女性を見るたび、かっこよいな、と僕は思う。そして、大学が何かモノゴトを成し遂げようとするとき、こうした人たちの支えが必要なのだと、改めて実感した。 2004/04/09 iii online 東京大学大学院情報学環のeラーニングサイト、iii onlineですが、今年度の授業配信がはじまりました。 前期は、毎週火曜日(4月13日開始)に「学際情報学概論I」(各教員)を、毎週木曜日(4月8日開始)に「文化・人間情報学基礎III」(水越伸助教授・山内祐平助教授) を配信する予定だそうです。 iii onlineも、はやいもので立ち上げからもう3年になります。ボストンでもしっかりストリーミングビデオを見ることができました。コマオチ全くしませんでした。 iii online、山内さんの講義風景 今日は、「文化・人間情報学基礎III」がアップされていました。スタッフの方々、お疲れ様でした。この授業は、デューイ・ウ゛ィゴツキー・ピアジェについて/ミード・マクルーハン・清水幾太郎などの研究者自身を学ぶゼミナール形式の授業だそうです。iii onlineでは、ゼミナール形式の授業配信ははじめてになります。楽しみですね。 2004/04/09 フランチェスカのプレゼン 僕のオフィスがあるCenter for Educational Computing Initiativeで、恒例のランチミーティングが開かれた。今日は、ファカルティデヴェロップメントを研究しているフランチェスカの発表。彼女の関心は、「大学教員がIT教育を行えるようになるために、大学は、どのようなサポートを行うべきなのか」ということにある。 彼女の発表のお題は、下記のとおり。
以下、メモを公開する。
2004/04/08 Singapore-MIT Alliance(SMA)、授業見学 「シンガポール-MITアライアンス」の授業を見学させて頂いた。下記に、その見学メモを公開する。
通常、米国大学の授業では、授業中の発言は貢献と見なされている。授業中に発言しない人=貢献しない人は、授業に参加していないと見なされ、成績も非常に低くなるらしい。今回の観察した授業では、シンガポール側の学生がほとんど発言をしていなかった。もちろん、数式を説明する今回のような授業の場合、発言するのは難しい。実際、米国の学生もすべての学生が発言していたわけではなかったが。 SMAの他の授業では、どのように授業が進行しているのか、そこにはどの程度インタラクションがあるのか、興味深い。 2004/04/07 大学-企業の教育アライアンス 今月のChief Learning Officerに、大学関連の記事がのっていたので紹介。要旨は下記のとおり。
これまでにも、こちらのビジネススクールや専門職大学院では、ファカルティを派遣したり、短期間のセミナーなどを行うエグゼクティブ教育を行ってきているのですが、上の話はもっとボトムラインの話ですね。 大学と企業、産学連携のカタチはいろいろあるけれども、こういう連携(アライアンス)のあり方もあるんですね。インプリメンテーションレベルになったら、様々な問題が生じる可能性があることはわかっているけれど、うまくすれば、著者が論じているように、大学にとっても、企業にとっても、Win-Winの関係が築ける可能性がありますね。 それにしてもさ、「大学と企業のアライアンスのあり方」研究って、あんまり聞いたことないし、僕はオモシロイと思っています。日本のどこかの研究所にそういう部門とか、既にあるんだろうか。なかったとしたら、どこかにあるべきだと思うけどな。 2004/04/06 Webミーティング 最近思うことの1つに、「こちらではWebミーティングがだんだん盛んになっているな」、というのがある。 たとえばシンポジウムやレクチャーなどを、Webでリアルタイムに参加する機会が、少なくとも僕のまわりでは増えている。先日もあるシンポジウムを遠隔で受講した。オンデマンドで受講するのではない。あくまでライブで受講する。僕が受講したのは、スライドと同期したライブビデオを見ながら、質問や議論などを時に行うといったレクチャーであった。 こうしたサービスが、だんだんと普及しているのだろうか。テレビを見ていると、コマーシャルが頻繁に流されている。
この手のことは、一昔前なら、数百万をかけて多地点接続サーバを購入し、それにみんなでH323準拠のテレビ会議ソフトウェア、たとえば、Netmeetingを使って行っていた。固定IPを必要とするため、ファイアーウォールの中では利用できないなど、非常に使い勝手が悪かった。 しかし、今はサーバなど導入しない。またソフトも多くの場合、ローカルにインストールしない。いわゆるASPの形式で、サービスを利用することができる。管理の必要もなければ、ややこしいインストールもない。非常に手軽である。 このサービスは、少しずつ普及すると個人的には思っている。大学がシンポジウムなどを開催し、知を公開するときのメディアとしても、非常に使い勝手がよいのではないだろうか。 2004/04/05 着任 春は人事異動の季節である。 特に、同期、後輩から、いくつかお知らせをいただいた。 後輩では、望月君が神戸大学学術情報基盤センターの助手に、松河君が大阪大学大学教育実践センターの助手に着任した。同期の研究者では、尾澤君が早稲田大学人間総合研究センターの助手、中京大学の益川君が静岡大学教育学部の講師に着任なさった。皆さん、本当におめでとうございます。 アメリカはサマータイムに移行した。まだまだコートが手放せないボストンも、きっとこれから、だんだんと温かくなってくるだろう。 就職して早いもので3年が過ぎた。なぜかはわからないが、身が引き締まるのを感じた・・・僕も頑張らなければ。 渡米前、山内研究室の方々が開いてくれた壮行会で頂いた時計を、1時間進めた。 2004/04/03 小学生日記 先日カミサンに紹介してもらったオモシロいホームページを紹介。
小学生であったhanae*さんが綴ったコラムです。 前にも日記に書いたかもしれないけど、小学生の頃、僕は死ぬほど文章が苦手でした。夏休みとか冬休み期間にだされる日記なんかは、僕にとっては拷問に近かった。「今日は卵焼き食べました・・・おいしかったです」というようなしょーもない文章しか書けなかったんだよなぁ、何でだろ。 今でも、あまり文章は苦手です。仕事だから書くことは書くけど、満足のできるような文章が書けることはほとんどない。「歯になかなかとれないイカのくんせい」がはさまったかのような感情をもっちゃうね、自分の書いたものを読むと。こなれていない。 hanae*さんの文章、とても素直に、自分の言葉で、ありのままの心境を書いていますね。僕は好きです、彼女の文章が。 僕も、こんな風に文章がつづれたらいいのに。 2004/04/01 共同研究 ちょっとした相談を受けたことががきっかけで、いつも何気なくやっている「共同研究」について考えた。 僕の研究の場合、そのほとんどが共同研究である。大学院にはいってからというもの、理論整理とかの論文以外は、そのすべてが共同研究だったはずである。もちろん、自分で密かにシコシコと企画を進めている「オノレプロジェクト」もあるっちゃあるんだけど、これはどちらかというと、次の共同研究のネタを探したりしてることが多いから、やっぱりベースは共同研究なんだろう。 ところで、共同研究っていうのは、とってもオモシロく愉快だし、うまくすれば一人で生み出すことができないような、ステキなモノを生み出せる、これは本当にそう思う。しかし、その反面、ひとつ間違えると、お互いに足を引っ張り合ったり、ケンカになったりする場面が多いという側面ももっている。これで苦しんだ人を僕は数え切れないほど知っている。 もちろん、人が集まって何かを達成しようとする以上、多少のコンフリクトが生まれるのは仕方がない。僕自身も、メンバーと議論が白熱し、怒鳴りあって、開発物の仕様を決めたり、論文のスジをつくったりしたことは数え切れないほどある。そんなときは、修羅場だ。もちろん、みんなオトナだから会議のときは白熱しても、そのあとは一緒に食事に行ったり、飲みにいったりするんだけどね。 まー、いくら罵倒大会になったとしても、こういう場合は、何かを生み出せているのでよい。最悪は、修羅場になりつつも何も生まれないってのがある。コンフリクトがコンフリクトをよび、最悪の場合、メンバー分裂、プロジェクト空中分解ってことも、よく聞く。 それでは、この手のもめ事を解消するためには何が必要か・・・うんうんと考えてみた。 けどさ、これ、本当に答えないですよね。ていうか、わからんわ。でも、少し考えて、僕自身が気をつけていることを、以下のようにまとめてみた。
これは人によって違うと思うんですけどね、僕が気をつけているのはこんなことかなぁ・・・。よかったら、皆さんの方法も教えてください。 まぁ、誰に何と言われようと、僕は共同研究が大好きだからね。そのプロセスでケンカしたくないしさ、ステキなモノをつくりたいしね。今後もやっていきたいですね、共同研究。 |
NAKAHARA,Jun
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