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2001/10/01 クレヨンハウス 先日、美和と表参道にあるクレヨンハウスにいってきた。クレヨンハウスは、落合恵子さんの経営する絵本屋+オーガニックレストランだ。 オーガニックレストランでは、玄米のカレーを食べた。きている客は、みんな自然万歳エコバリバリな顔をしたピーポーで、びっくりした。みんな健康そうだった。僕はもうノンスモーカーなので、エコバリバリなピーポーの中にも入っていけるのだ、怖くないのだ。 絵本屋では、「さよなら、エルマおばあさん」を買った。ある夏の終わり、エルマおばあさんは、お医者さんから病気でもう長くは生きられないと言われる。この絵本は、エルマおばあさんのネコの視点から、彼女の死までの一年間を描いている。 エルマおばあさん、アンタ、これは泣ける、泣けすぎる。是非、みなさん、読んで。どこだかの哲学者は「死を考えぬ人々は、よく生きることもできない」と言ったけど、きっといろいろ考えさせられるから。 美和は、エコトイズを見つけて、買おうか買わないかずいぶん悩んでいたみたいだったけど、いつものように、やっぱり買わなかった。彼女は買い物の際よく悩むが、買わぬコトが多く、イエに帰ってから、やっぱり買えばよかった、と言うことが多い。たぶんにもれず、イエに帰ってからは、インターネットでエコトイズのオンラインショッピングストアを調べていたみたい。 クレヨンハウス、おもしろかった。
2001/10/02 加藤千恵 先日、ひょんなことから加藤千恵さんという高校生歌人がいることを知りました。それも僕の郷里、旭川の高校生らしい。
個人的には、上のような短歌が好きです。何だか素朴なんだけど、実は複雑な感情を表現しているように感じます。それにしても、僕の高校生の頃には、テツマンなんかをして、いかにビューティホーな役をつくるか、くらいしか考えていなかったな。しょーもなかったなー。 加藤さんはもう既にいくつかの作品をだしていて、また、それがいろいろな賞をとっているらしいです。今後もご活躍をお祈りしています。
2001/10/03 酒天堂 やさいやで野田秀樹にあう 最近、オノロケ日記になって申し訳ないと思っているんだけど、まぁ、許して。 先日、美和と「酒天堂やさいや」という創作和食のお店に行って来た。 「やさいや」は渋谷「のんべえ横町」にあって、店の中はとんでもなく狭く、便所ときたら、鍵を借りて外にいかなければならず、階段は僕が何とか通れるくらいの狭さで、しかも急勾配。 それだけ書けばトンデモないお店だけど、それがなかなかよい雰囲気を醸し出していて、感じがいいのですね。ちょうど、戦後すぐの民家ってこんな感じだったのだろうか、なんて思ってしまいます。 ここのお料理は、文字通り「野菜」です。とっても上品で、それにもかかわらず、オフクロの味風ですね。料理自体は、とっても手がこんだオシナが多いです。 で、僕らはそこで、なんと野田秀樹さんに出会っちゃいました。僕らのすぐ横でした。店にはいってすぐに気づいたけれど、黙っていました。 ムムム、こういうところに芸能人は集うのか。街で芸能人にあったのは、ウド鈴木、高倉けん、菅井キン、ウチヤマリナに続いて、4人目です。やさいや、みなさん、是非、行ってみてください。のんべえ横町は、渋谷駅から歩いてすぐだよ。
2001/10/04 ちょっとハラのたつとき ちょっとムカッってくるいくつかの瞬間がある。
まずは、このコトバを聞いたときだ。 大変もクソも、ヨノナカに出た瞬間の僕らは、一度だって、「大変じゃないとき」なんて経験してないんだから、そんなこと言われてもしゃーないんだってーの。のっけから社会不安、制度の崩壊なんだから、それが現実なんだよ、最初から、もう驚きもしないけど。 それを「あのときはよかったのにねー、僕らオイシイ思いをしちゃったもんねー、キミタチ、損したねー」というコトバを言外にふくめて、こういうことを言われると、
と勝ち気な僕は思っちゃう。 きっと、こう思う若者は多いと思うから、みんな注意しようねー。そんなコマッタことばっかり言っていると、年金、払ってやんないよ。だいたいにして、いつの時代だって、大変だったんだよ、ホントウは。それを忘れてほしくない。 次に、ムカッとくるコトバ。
次の機会なんてないんだってーの。次はいつに来るんだってーの! だって、経験したことないもん、こういうコトバでお茶を濁された問題が、次の機会に真剣に論議されたり、対処されたことなんて。 だいたい、次の機会に論議したくなる<今にも臭ってきそうなクサイもの>なんて、男と女が「また逢おうね」とか「こんど遊びに行こうよ」とか言ってて、絶対にそうしないのと同じで、「次はない」のですね。
そうやって問題を棚上げして、次々と僕らの生きる時代を、「問題のコエダメ」にしないで。
2001/10/05 北の国から2002 遺言 僕の「お楽しみ番組」のひとつである「北の国から」が、次回作で最終作となってしまうらしい。次回作の名前は、「北の国から2002 遺言」だそうだ。 この番組、僕が生まれたところとか、よくドライブしていたところなんかが、頻繁に登場するんだよね。たまーに見るとすごく懐かしくなってしまうのです。脚本、音楽も泣けるし。 まぁ、でも21年も続いたのはホントウにスゴイことだと思います。スタッフとかも定年を続々と迎えちゃうし、俳優も年をとっていくし、物語のスジミチを維持するのでも大変だったんでしょうね。
2001/10/06 安土城 安土城、その城は湖国のほとり、小高い丘の中に這うように、ひっそりと<ある>。 城であっても、城ではない。それは僕らのふつうに考える城ではない。石段をいくらのぼっても天守閣はない。 石段がある。歴史を見ている木々や草木が生い茂っている。そういう城である。だから、そこを訪れる人は少ない。大阪城の数万分の1だろう。 かつてかの城主たちが宴を行った場にたつ。
宴の席で信長が自ら舞うことを好んだ敦盛の舞。それは桶狭間を迎える最初の舞でもあり、本能寺における最期の舞でもあったという。
2001/10/07 西森氏、華道を究む 先日プラプラとNIMEの研究室の前を歩いていたら、事務補佐の方に、オモシロイ写真のアリカを教わってしまった。 http://www.nime.ac.jp/~mana/Photo/lessonathiromishouse/index0.html 田口さん@NIMEのページに公開されているモンだから、別にリンクを張っちゃってもいいと思うんだけど、放送大学の華道部の活動の様子ですね。この中になんと西森さんがいます。西森さん、華道部@放送大学の一員になって、立派に活動なさっています。 なんだかNIME内を通り抜ける風の噂で聞いたところによると、西森氏の華道部入部に関しては、西森さんの彼女が、女の園に懸念をしめしたとか。愛は誠だ。 華道は一日にしてならず。がんばってね。ついでにXEONプロジェクトの論文を僕ははやく見たいです、西森さん。
2001/10/08 ヤンキーから教師へ オモシロイページを発見してしまった。 元ヤンキーの「わんこさん」が教師になるまでを綴ったページです。とてもオモシロイし、興味深い。彼の言葉の使い方が、どことなく少し前のヤンキー漫画、たとえば「カメレオン」とか「湘南爆走族」っぽくて、ついほほえんでしまう。 ヤンキー+教師といえば「GTO(グレートティーチャー鬼塚)」がいるけれど、それを地でいっちゃう人っているんだなーと思って、感動しちゃいました。 やや無責任な言い方になるけれど、教師だっていろんな人がいていいと僕は思っています。最低限の知識と子どもに対する誠意は必要だけれども、ビジネスマンっぽい人もいれば、熱血な人がいてもいい。冷たい人もいれば、変な人もいるだろう。そういうもんだって思います。
って言ったのは、ジョン=デューイですが、それが小さな社会である以上、教師集団っていうのもヘテロジニアスな集団であるべきなんじゃないかなーと思うのです。ホモジニアスな集団っていうのは、あんまりよくない。よからぬことが起こることが多いんです。 わんこさんには頑張って欲しいです。
2001/10/09 中立というウソ
人文科学や社会科学に少しでも素養のある人ならば、これらの諸命題を否定することは難しい。しかし、これらの否定しがたい命題を、案外すっと否定しちゃう人もいる。
中立な<あなた>がつくった<中立>なモノを利用する「他のヒトタチ」にお逢いしたいね、こりゃ、こりゃ。こうやって、中立なあなたのつくる中立なモノが、どんどんと現場に押しつけられていくのだね。 重ねていうけど、どんなに知識や教養や素養をもっていようとも、何人たりとも、この世に生きる限り、中立でなんていられない。いにしえの哲学者のコトバどおり、人間は生まれながらにして政治的であり、それを免れることはできない。 僕らは神様じゃない。神様の高見からモノを見る資格は僕らにはない。
2001/10/10 学ぶ需要:放送大学のこと 午前中は協調学習研究会@NIME。永岡先生、加藤先生、中原、西森さんで社会ネットワーク分析について西森さんから報告があり、ディスカッション。科研等の申請などについても話し合った。 午後は、ED-MEDIA2002@デンバーアメリカの国際会議の原稿を書く。何だかしらんけど完成しちゃった。共同研究者の方々に送付。 その後、本の原稿を書いた。綺麗すぎる、展開が。これは自画自賛しているんじゃなくて、オモシロクないってこと。オモシロイことを削除しすぎたかな、と反省。 来年度のプロジェクトのプロポーザル執筆を開始。来年の目標は、負担を増やさずに研究すること。研究成果がでないリスクを最小限に見積もりつつ、研究成果を最大限になるように手持ちのリソースをひとつの研究に集中することができたら・・・と戦略的になったフリをしてみた。 そういえば、今日のお題は、放送大学のこと。NIMEのお隣さんの話題です。 ねー、知ってた? 放送大学は来年から大学院ができて修士号がとれちゃうんだけど、学生を募集したら、募集人数500名に対して、応募総数4057名だったんだって。 http://www.u-air.ac.jp/hp/master/body11.html 一番スゴイのは、臨床心理コースで、なんと40名の募集に対して、2256名の応募があったっていうから、スゴイですね。 放送大学は今まで学部生をたーんと輩出してきているから、このくらいの需要はあるのかもしれないけど、改めてビックリしました。社会人で学びたいっていう人は多いんだねー。 僕は今までCSCL研究をメイン研究においていたんだけど、来年からは「社会人の学習のテクノロジー支援」をメイン研究におきます。CSCL研究は、来年はまとめに入ります。この研究を進めていく上で、今年までの研究成果は応用可能だしね。 楽しいことができそうだねー。
2001/10/11 Pocket PC 2002 と Project SLATE マイクロソフトのPocket PC 2002がいよいよ登場する。 PDA業界っていうのは、世界的にはPalm OSが圧倒的なシェアをもっている。Pocket PCはPalmからずいぶんと遅れて発売された。Windowsとの連携、処理スピードをうりにしている。
かつて、お蔵入りになったプロジェクトにProject SLATEっていうのがあった。PDAを用いたワークショップ支援の研究だったんだけど、結局、プロジェクトは発展的に解消された。そして、当時、僕らが目をつけていたのはPocket PCだった。 またマイクロソフトか、と思わないでもなかった。しかし、マイクロソフトの製品が非常によいのは、あまりシビアな開発でない場合、つまりデータに信頼性等があまりいらない場合、その開発効率がとってもよいことである。 自分の中で、Project SLATEを再構築してはじめたいと思うようになってきた。というか、内容はまるっきり違うんだけど、山内さんとはじめようとしているプロジェクトの名前に、僕はProject SLATEを提案した。 密かにPocket PC 2002に注目している。
2001/10/12 久しぶり、映画のこと 久しぶりに映画のことを書こう。 まずは「17歳のカルテ」という映画。 スザンナという17歳のアメリカの少女。彼女は混乱し、不安に苛まれ、アスピリンを大量に飲んで自殺を図る。自殺は未遂に終わり精神科に入院する彼女。 とまぁ、あらすじはこんな感じだろうか。 映画ではオールディーズ「Downtown」がテーマ曲として使用されている。とっても印象的だった。 僕がこの映画を見たのは、大阪心斎橋のソニプラの下にある映画館だった。最近、ビデオ&DVDもでたようだ。是非、ごらんあれ。 次は「マルコヴィッチの穴」。監督はスパイク・ジョーンズ。 あるビルの7階と8階の間に、7・1/2階というオフィスフロアがある。人形使いのクレイグは、そのオフィスの壁に「穴」を発見する。「穴」を入れば、なんとマルコビッチという俳優の頭の中へ。15分間だけ、マルコビッチになれるのだ。 うーん、シュールすぎる。特に、映画中盤に「マルコビッチがマルコビッチの穴に入る」っていうシーンがあって、そこは大笑いしてしまった。 僕はこれを先日ビデオで見たんだけど、この映画が公開されている当時は、この滑稽な場面設定がとってもウケて、よくCMとか番組とかで取り上げられていた。ちゃんと映画館で見ればよかったね。残念。 最後は、「ダンサー・イン・ザ・ダーク」。これもビデオで見ました。 この映画、超要約すると、
になっちゃいます。 でもね、この映画はとっても深い。社会的弱者とは何か、ということを考えさせられるし、映画の中では母親とは何かってことも問うていると思う。 演出的には、第一に時々挿入されるミュージカルシーンが印象的です。インド映画なんかを意識しているのかな、とってもただならぬ雰囲気をだしています。第二に、同ポジションつなぎとか、一般にはタブーと言われている編集技法がが頻発します。ただならぬ映像です。 エンターテインメントバリバリを求めてこの映画を見ると、ちょっと面食らうかもしれないけど、おすすめです。なんだか知らないけれど、見終わる頃には、セルマ(母親)の歌うミュージカルが耳から離れないかもね。
2001/10/13 コーヒーハウス 朝、研究室に行くまでにカルフールのスターバックスで飲むコーヒー、これが格別にうまい。バリスタの丁寧な応対も非常に快い。 先日、放送大学の今西部長と話していたら、部長も大学に来る前に、幕張駅近くのモスバーガーでコーヒーを飲むらしい。意外に、この習慣をもつ人は多いんだと思う。 近代の歴史研究によると、コーヒーハウスというのは、実は「近代」という時代のパワーを支える場として非常に重要だったことが知られている。 体育館ほどの広さのコーヒーハウスに、新しいことをしたいイノベータたちがコーヒーを片手に集まり、様々な話をした。まさに異業種交流の場としてコーヒーハウスが機能していた。新しいイノベーションはそこから生まれた。 僕のいくスタバには、かつてのコーヒーハウスのような雑踏はないんだけど、それでも、そこにいると、オモシロイことが浮かんできそうな気もする。
2001/10/14 クリスタ・サポーターズ研修会 僕が開発にかかわったクリエーターズ・スタジオのサポーターズ研修会が、都内某所で一日行われた。
クリエーターズスタジオのWebコミュニティシステムには、サポータを支援すると思われる様々な機能が実装されている。ポータル+コミュニティというデザインの枠組みをいかすために本格的にデータベースを使ったので、それが可能になった。 しかし、とにもかくにも学習者 - 学習者、教授者 - 学習者のコミュニケーションを維持する要はサポータである。非常に重要な役割を担っている。 今回のクリエーターズスタジオの開発では、1) Webシステム、2)デザイン、3)コンテンツ、4)評価、5)サポータという具合に開発チームをわけた。開発チームのデヴィジョンのひとつにサポータを特別にもうけ、彼らが使用するマニュアル、彼らが使用するツール、および、体制等をつくりあげた。これは従来の同様の開発プロジェクトでは、異例のことであろう。 とにもかくにもサポータ研修は終わった。彼らの媒介する学習者の中から、素敵なマナビが生まれる日は近い。
2001/10/15 30分くらい テレビは1日3時間以上、勉強は30分以下 世界4都市(東京、ソウル、台北、マディソン)の子どもによる比較調査の結果、東京の子どもの平均がこの数字だったらしいですね。「授業の7割以上分かるか?」という質問に対しては、東京は62%と最低だったみたいです。 きっと「日本の教育=学歴戦争」っていうイメージは過去になっているんでしょう。そりゃ、今だって、学歴をめぐる競争は激しいんだろうけど、2極分化していきているんでしょうね。のるか、そるか。 学歴と言えば、僕がかつて教育学部で学んでいた頃、軽いショックを受けた事実があります。 日本はそれほど学歴指数が高いわけではない。つまり、「学歴によってその後の人生(就職)が決まっちゃう度合い」がそれほどない。少なくともアメリカの方が学歴社会。 意味はそのまんまですね。「日本の教育=管理による学歴社会・アメリカの教育=そこはかとなく自由な非学歴社会」っていうのは間違いだってことです。むしろ、アメリカの方が、学歴に関してはシビアだってことですね。 それにしても、テレビ3時間は見過ぎだろう。勉強30分っていうのは少なすぎるだろう。でも、俺、どうだっただろうか。テレビは見ていないにしても、毎日30分勉強していたかな、小学生の頃。 まぁ、よし、としましょう。平均だから一概にはいえないしね。6時間勉強しているヤツと1秒勉強しているヤツの平均勉強時間は、3時間になっちゃうしさ。 でもさー、今になって言うなら、勉強30分くらいしろってーの、宿題やりながら、ハナクソほじってても、30分くらいすぐにたつだろう!
2001/10/16 日記を書くということ この日記は、今年で3年目になるんだけど、最初の頃から見ると、だんだん、意味が違ってきていますね。1年すぎると、もう日記じゃないんだ。 こう、橙色の淡い光の中で、過ぎ去った一日を思い、ぼんやりと物思いにふける、っていう内省的な営みじゃないわけで、だんだんと雑誌の記事を書いているような気持ちになってきます。
みたいなノリになってくるわけです。どうも、ノリが2ちゃんねる化してくるということです。そして、なんか強迫観念化してくるところもある。
っていうね。日記を更新した日は、このサイトへのアクセスが平均100件、更新しないと70件くらいになるから、日記はもはや最大のコンテンツかもしれません。 日記を書く教育工学研究者っていうのは、実は結構多くて、富山大学の向後先生、静岡大学の堀田先生、北陸先端大学大学院の尾澤さん、関西大学大学院の寺嶋さん、などがいらっしゃいます。 たぶん、他の方々にとっての日記の意味みたいなものは、僕と違うんだろうけど。一度聞いてみたいものです。
2001/10/18 インビジブル 目に見えぬ恐怖が、見えてきた 連続テロ事件のあとのタンソキン騒ぎは、なんかこんな感じですね。米国下院での観戦者は、31名になったということらしいです。 インビジブルなモノが、ここ、あそこにあるかもしれない、ということがわかったというのは、実はものすごく怖いことです。そして、さらなる恐怖は、それが確証できないにあるんでしょう。 僕の好きな哲学者にミシェル=フーコーがいますが、彼のいうパノプティコンはまさにそういう装置でしたね。パノプティコンのように設計された監獄においては、監視されているのかいないのかがわからないが故に、人は怯えるようになる。そういう状況のとき、人は自分内部に自らを律する規律をつくり、統治する、というものでした。 ちょうど、生物兵器っていうのも同じです。僕らもインビジブルな恐怖に対して、恐怖をもち、内部から自らを規律することになるんです。恐怖に怯えながら生活するようになり、いろいろ行動を制限するようになる。このヨノナカからだんだんと自由が失われて、監獄化していくのです。 僕は飛行機好きだったのに、最近は正直言ってあまり乗りたくないです。そういえば、意識的か無意識的だったのかはわかりませんが、9月から飛行機は一度も利用していませんね。 はっきり言って、許せないことです。それが宗教的理由からであろうと、政治的理由からであろうと、飢餓等の経済的理由からであろうと、ここまでやられる理由は何一つありません。 怯えのない生活がマチドオシイ。
2001/10/19 MITメディアラボの覇権 このところ、MITメディアラボが非常に激しいウゴキを見せている。 また、アジアも格好のマーケットだ。インドには、インド政府がオカネを出資し、メディアラボアジアができる予定だとか。フランチャイズ化された研究所を世界中に展開しようとしているのである。 日本だって、CSKの元会長、故大川さんがつくったCAMPは、メディアラボのワークショップセンターである。 このようなウゴキは、MITだけに限ったことじゃない。たとえば、スタンフォード大学のラーニングラボは、同じように、国境を越えたジョイントプロジェクトを既に開始している。 スタンフォード大学は、京都にスタンフォード日本センターというものをつくっている。ディレクターには、ネットワーク組織論で有名な今井賢一氏が着任しているようだ。 かつて高等教育の関係者がよく話していた神話に、「日本には言語の障壁というものがあるから、海外の有名大学なんて入ってこないよ」というものがあった。確かに、バブル期にできた海外の大学の日本校は無惨にも失敗に終わった。 「たとえ、こういう海外の研究所が日本に進出しても、所詮、親方日の丸が守ってくれるよ、科研費だってあるし、食うに困ることはないんじゃない」 という意見もよく聞く。でも、どうなんだろう。本当に有名でネームバリューのある一流校や有数の研究所が、進出するときは、近いような気がするんだよな。 高等教育機関は、今や群雄割拠の時代にはいろうとしている。言うたら、ゲームソフトの信長の野望みたいなもんだ。再編や統合の話もアタリマエのように頻繁に噂で聞くようになった。 次世代の高等教育機関は、たぶん、今よりもずっと市場化が進んでいくんだろう。そして、そのときには、こうした海外の有名な研究所と何らかのカタチで競争しあうことになると思われる。
2001/10/20 NIMEでやっていること
というご質問を、ある高校生の方からいただいた。高校生の方からのメールはたまーにある。なるべく答えることにしている。
とお答えした。そしたら、
と聞かれてしまったので、この場を借りて、NIMEのオススメコンテンツを紹介をさせていただきます。僕は研修とメディア教材の企画委員なので、それにしぼってのご紹介。詳しいことは、NIME紹介CD-ROMとか送るから見てね。 まず、最近で言うと、「教育メディア科学」っていう教育工学のオムニバス授業が、SCSとインターネット経由ではじまります。 教育工学とかメディア教育の基本から応用まで一通り講義されるそうなので、是非、見てくださいね。 あとね、密かに(?)、なかなかオモシロそうな教材をNIMEはつくっています。これ、平成10年度からの教材製作リストなんだけど、いかがですか? 特に「Listen to me!」 という英語の教材は、いくつかの国立大学で教材として使用されていますよ。京都大学が去年、新入生全員3000名にこのCD-ROMを配布したっていう実績もあります。 とまぁ、こんな感じですが、いかがでしょうか。おすすめになったかどうかはわからないけど、是非、見てくれぃ。もし、入手が不可能だったりしたら、また僕に連絡ちょうだい。
2001/10/21 初恋のきた道 映画「初恋のきた道」をビデオで見た。この映画のことは、いつだったか、映画館に他の映画を見に行ったときに、映画がはじまる前の予告編で知った。
あらすじは、こんなところだろうか。ストーリ自体には、何の奇のてらいもない。 風景が綺麗で臨場感があるっていうのもあるんだけど、登場人物のセリフとか物語の展開自体に「言われてみれば、そういうのってあるよねー」みたいな臨場感があります、この映画には。 チマタにあふれる「しょーもない恋愛論(こうした論のたぐいは、結論がなく、論理構成がいい加減。故に、論にもなっていないクセに論を自称するので、その傲慢さが僕は嫌い)」を読むくらいなら、慣れた口調で語られる「愛」とか「恋」にウンザリしているのなら、この映画、いいですよ、オススメです。
2001/10/22 同じカマのメシ 先週の土曜日は、浦島君@三菱総合研究所と西森さん@NIMEが我が家にきた。3人でキムチ鍋をやりました。 去年までは毎日のように生活をともにしていた3人が再会し、あーでもない、こーでもないと楽しい夜を過ごせました。西森さん、プレステ、鍛えなさい。 よく考えてみたら、久しぶりの再会だったんですねー・・・って言っても、ちゃうやんなー。西森さんとはいっつも昼ご飯&夕ご飯を食べているし、浦島君もこないだあったばっかりだから、そうでもないか・・・。 久しぶりの再会ではないのか・・・ネタとぎれたじゃん! とにかく同じカマのメシを食ったヒトタチとの会話っていうのはいいものだ。
2001/10/23 Webサービス Webサービスってことばを皆さんはご存じだろうか。マイクロソフト・ドット・ネット(Microsoft.NET)とか、ソープ(SORP)とか、XML(エックスエムエル)とかがキーワードのひとつなんだけど、聞いたことはありませんか。
要するに、どんなメリットがあるかっていうと、1) Webを通してアプリケーションが利用できるってこと、2) 今までサイトごとに分断されてた各種のサービスを統合されてユーザに提供できるってことがポイントらしい。 それが可能になると、以下に仮のサイトをあげるから、体験してみてください。 とにかく、このWebサービス、一年半前からずっと言われているんだけど、WinXPの登場で本格化すると言われています。それにしても、これ使って、何、オモシロイことできるかなぁ。何だかよくわからないんだよねー、まだ何に使えるのか実感がわきません。 ゆっくり考えてみることにします。
2001/10/24 川島なおみ化現象 禁煙して一ヶ月がたちましたねー。 完全に禁煙は成功したんだけど、コマッタ問題が最近生じているんだな。それは、毎日今度はアルコールを飲むようになってしまったこと。僕は何か中毒になっていなくては生きていけないタチらしい。 飲むって言ってもさ、最初はビール1缶だったんだけど、だんだん最近ワインに凝ってきてるんだよなー。少し前の僕は、飲み屋でワインを注文する男のことを、
とか言ってたんだけど、最近、自分が「すかしたヤロー」になってきている。川島なおみ化してるんですね。それだけじゃなくって、だんだんと、田崎シンヤ化もはじまってきて、昨日はソムリエナイフを探しにデパートにいきました。結局、いいのはなかったんだけどね。 あんまり飲み過ぎないようにせななー。
2001/10/27 S×3 + P×2 先週は、とてつもない忙しさだった。3つのS(スタート)と、2つのP(プランニング)が重なった。 まず、高等教育にCSCLを組み込むプロジェクトである、Project EVAの実証実験がスタートした。滋賀大学教育学部にて、僕らのつくったEVAというシステムが稼働しはじめる。鈴木真理子先生@滋賀大学いわく、初日の授業は、とっても盛り上がったらしい。よいことだ。来週アタマには、各種サーバのセットアップを僕がやらなきゃならない。きゃー。 次にProject SCIOも実証実験がスタートした。Mindstormを利用した子ども版Webコミュニティであるクリエーターズスタジオは、最後の最後まで開発が続いたが、無事スタート。
このシステムにからみ、特許申請も行った。何とか間に合ってよかった、よかった。ドサクサに紛れて、ED-MEDIAの原稿も提出。原稿校正には、一色さん@来年の山内研M1も協力してくださいました。つたない英語、ごめんなさい。この場を借りて感謝いたします。ありがとうございました。 Project Sphereも実証実験がスタートする。先週は、いろいろとサーバまわりをいじり、最後の調整を行った。こちらは、明日、堀田先生@静岡大学が、ユーザにデモンストレーションを行う。 次に、2つのプランニング。 まず、来年度山内さんと中原で企画しているFOMAを利用したeLearningプロジェクト。プロジェクト名は、結局、Project eFOMAになった。うーん、ベタベタだけど、まーいいか。先日、NTT Docomoさんへのプレゼンテーションを終えた。 次に、来年度の科研の書類づくり。学習コミュニティ参加支援システムで、若手研究にアプライします。書類づくり、これは泣ける。 てなわけで、息つく間もなく週末になっちゃった。来週も、ICCEの英語プレゼンテーションづくり、科研書類の提出、ヴィゴツキアン本の脱稿など、やることめじろおし。生きていこう、しっかりと。
2001/10/28 学生はお客様 私立大学を設置している法人に対する文部科学省の調査によると、通学用にタクシーをチャーターする大学、入学すればパソコンを無償であげちゃう大学、キャンパス見学会の日に、お化け屋敷までつくっちゃう大学まであるという。 まさに、大競争時代。学生はお客様なのだ。 もし万が一定員割れを大幅におこすような事態になってしまったら、彼らが卒業するまで4年間はずっと財務的に苦しい状況になってしまう。大学の経営というのは、単年度で終始するものじゃない。一年間の定員割れは、まさにジャブのように経営を徐々に苦しめていくのだ。 でも、気持ちはわかるんだけど、もし僕が学生だったら、キャンパス見学会にお化け屋敷をやっている大学には入らないだろうなー。パソコンをくれるっていっても、今やパソコンなんて10万をきる価格、下手すりゃ49800円くらいで買えるしさ。僕にちょっと知恵があったら、年間に支払う授業料とパソコンの代金を天秤にかけちゃいます。 理想論で言うならば、「うちに来たら、どんな人になれますよー」「こんなスキルがつきますよー」っていう、学生さんが思い描きやすい「将来の自分の姿」を示すことができれば、少しは人が集まるのかなーとも思うんだけど。 でも、きっとそんな理想論よりも、パソコンなんだろうか、お化け屋敷なんだろうか。このあたりは、学生さんの方の良心というか、知的指向にも依存しちゃうから、何とも言えないですね。 でも、ほら、アメリカの通信業界(特に最近ならADSL)とかね、ドットコムみたいにさ、競争しすぎればいいってもんじゃない、とも思います。この記事は、ちょっと怖いなーと正直言って思いました。
2001/10/29 Multiple Perspective (マルティプル・パースペクティヴ) どうも僕はこういうストーリーが好きなのです。先日、映画「マグノリア」をビデオで見ました。非常に愉快な映画です。 元テレビプロデューサーのアールは末期癌の病床でTVに映るもてない男たちのセックス伝道師フランクに連絡を取ってくれと看護人に頼む。それは自分の息子なので、最後にひとめ逢いたいのだという。そこから24時間の間に、それに関係する12人の登場人物の視点から、いくつもの物語が語られる。 あらすじはこんなところでしょうか。まぁ、多数の人々の視点が交錯する物語なので、最後の方になってくると、「これをどういう風にまとめるのかなー」と思ってみていました。要するに、「どやってオチつけんのかなー」と。 で...最後のシーン。これはハッキリ言って焦ります。僕がもしこの場にいたら、発狂してる、間違いなく。 ところで、こういう様々な人々の視点が交錯する物語っていったら、最近、話題になっている「冷静と情熱のあいだに」でしょうか。これも典型的なMultiple perspectiveをもった物語ですね。アオイという女性と、順正という男がそれぞれの視点から、二人がともにいた昔を語り、そして今につながっていく。 この物語は、江國香織さんと辻仁成さんのコラボレーションの産物だったいうのも、とても話題になっていますね。女性役を江國さんが書いて、男性役を辻さんが書いているのです。 先日、僕、小説を読んだんですが、手法には感動しました。でも、物語自身には共感できませんでした、残念ながら。最後にアオイと順正は、イタリアのドゥオモというところで逢うんですが、数日間だけ一緒にいて別れようとするんですね。
とかってことを言うんだけどね、アタリマエだってーの、もう10年もたってるんだから。我慢しなさいってーの。 結局、順正は最後の最後で、もう一度アオイを追うことになるんだけど、そこで物語は終わってしまいます、おーい、なんじゃそら。 女性の中には、ものすごくトリコになっちゃう人もいる見たいです。是非、ご一読ください。ネット上には、この本をネタにした卒論もありました。こちらの方は、オモシロかったです。
2001/10/30 気になるポータル Webの世界では、コミュニティサービスと並列に並べられるのが、ポータルサービスですね。いわゆる、YAHOOとか、GOOとか、ISIZEのようなページのことです。 もともとの意味は、「ポータル=玄関」だから、ユーザがネットにアクセスするときに一番最初にアクセスするページっていう意味で、だから検索エンジン系が多くなります。 検索エンジンサービスっていうのは、どこもそうなんですが、ポータルに選ばれるために、いろんなコンテンツをかかえこむことになりました。 だから、ポータルはほとんどの場合、いろいろなコンテンツをかかえこむことになります。だから、ポータルはコンテンツサイトでもあります。 でもね、コンテンツサイトっていっても、常にコンテンツは変化しなければなりません。だって変化のないページになんて誰もアクセスしようとしないから。ということは、コンテンツを容易に変化させるシクミが必要なわけで、ここでようやくデータベースがでてきます。 ほとんどのポータルサイトでは、データベースにコンテンツのアイテムプールをつくって、そこから動的にページを生成します。 要するにまとめると、ポータルっていうのは、
感じになります。よく最近ポータルっていうコトバを聞くのですが、何だかよくわからないままにポータルが一人歩きしている気がしてなりません。何でもかんでも、ポータルといってはいけません。 で、もうひとつ、忘れちゃならないのは、ポータルには高いユーザビリティ&レスポンスが要求されるってことです。ユーザビリティはアタリマエですね。だって、みんなが使うわけですから、一部の人だけがわかるワーディングやオペレーションではダメなわけです。使っている技術自体はローテクかもしれないけど、ローテクを駆使する必要があるという意味では、非常にハイテクなのです。だから、コストも非常に高くなります。もちろん、コンテンツの更新にかかる費用もありますので。 で、インターネットの世界ではこんなサービスもはじまってきているんですね。 ようするに、ポータルがつくれちゃいますよーっていうサービスです。前者はMicrosoftのサーバですね。後者は、YAHOOのサービスです。特に後者のサービスは、コンテンツはYAHOOのものを使用することができちゃうんですね、これは画期的だと思います。 コミュニティサービスのサーバとかサービスっていうのは今までだってありました。ポータルはなかなか設計が難しいし、今まであまり本格化していませんでした。たぶん、これから少しずつはやってくるかもしれませんね、プライベートポータル。 |
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