2018.8.27 06:20/ Jun
大学に入ることは、人生の「何合目」ですか?
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このところ、さまざまなイベントなどで、高校生とお会いする機会が、とみに増えているような気がします。
あまりにも初々しい彼らと話していると、「世間の荒波にもまれて汚れちまってしまった僕?」などは、彼らが眩しく感じます。
それはそうと・・・たいていの場合、自然と、彼らとの話題は、進学のことや、大学のことになることが多いものです。
高校生の皆さんと話していて、すこし気になるのが、高校生にとっての大学入学というものが、人生の山登りの「7合目」に到達するかのような感じで、イメージされていることがあることです。
つまり端的に述べれば、
大学に入ることは人生の「7合目」に到達だよね
というイメージで話題が進行するということですね
たとえば、
あの大学に、はいったのだから・・・あとは・・・(どうとでもなる)
あの大学に、入れなかったんだから、もう・・・(すべてダメ)
のように(笑)。すなわち、「人生の諸問題は、すべて、あの大学が解決してくれる」という「あの大学解決モデル」を信じておられます。
このように、誰に吹き込まれたのか、知りませんが、とても規範的で、教条的な「ひとつの物差し」を、信じておられる場合があります。あたかも、大学に入ることが、人生という山登りの「7合目」に到達しそうなもののように感じておられるのがすこし気になります。
苦しい勉強を堪え忍んでいるのだろうから、それも致し方ないのかな、と思うのですが、僕は、こういうときに、なんと言っていいのか、わからなくなります。
正直に、自分自身の実感を言葉にして、
大学に入ることなんか「1合目」とか「2合目」にもならないかもしれない
大学に入ることは、まだ「山小屋」で準備しているようなものかもしれない
と申し上げればいいのか、
それとも、皆さんの側の実感にあわせて
大学入学という「人生の7合目」を目指して頑張ってね
というべきか、わからなくなります。
個人的な実感としては、長期化する仕事人生のなかで、教育機関から出るというタイミングは、本当に「山小屋」を出て登山を始める、くらいなものとしてイメージした方がいいように思います。
そして、昨今の状況を考えると、おそらく、人は「山小屋=教育機関」は、一度出ただけで二度と戻ってこないのではなく、おそらく仕事人生の中で、何度か戻りうる場所に、変わってくるのではないか、と思います。
アタックに疲れたり疲弊したら、また還ってくる山小屋のような場所が、教育機関ーたとえば大学や大学院になっていくのではないか、と思うのですが、いかがでしょうか。
考えてみれば、人生は「ほにゃらら連峰」という山々に対するアタックのようなものなのもしれませんね。
「ほにゃらら連峰」という複数の山々を、山小屋を転々として休みながら、アタックしていくことに近いのかも知れないな、と思うのですが、いかがでしょうか。
だからね・・・苦しい勉強に堪え忍んでいる方々にとっては酷なのかも知れないけれど・・・
大学に入ることは、まだ「山小屋」で準備しているようなものかもしれない
ということなのです(笑)
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今日は教育機関と仕事世界の接続ーいわゆるトランジションについて、高校生との会話のエピソードをまじえて書きました。
皆さんはどのように思われますか?
大学に入ることは「何合目」?
そして人生はつづく
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