2018.7.15 08:29/ Jun
対話型組織開発とは「問うことによる組織変革」である
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昨日から南山大学で開催されている組織開発ラボラトリー講座で「対話型組織開発」について学んでいる。
サイモンフレーザー大学のジャーヴァス・ブッシュ教授が、南山大学の中村和彦先生の招聘により来日し、対話型組織開発のワークショップを開催してくださっているのだ。まずはご両名の先生方に、心より感謝を申し上げたい。貴重な学びをありがとうございます。心より感謝いたします。
昨日までの、僕自身の「学びのプロセス」は、下記のブログをご覧いただくとして、今日は、さらに昨日から思考を深めてみよう。
対話型組織開発とは何か?ー「語り方・意味づけの変革にもとづく組織変革」論
https://www.nakahara-lab.net/blog/archive/9180
今日の中心的な話題は、「対話型組織開発は、いったい、どのようなメカニズムで、組織を変えることができるとされているのか?」ということについてである。今回扱ったのは、対話型組織開発のもっとも核心部分である「それがうまくいくメカニズム」を扱うセッションだと思う。
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まず、その前にいくつかの「前提」を確認するところから、話をはじめたい。
「対話型組織開発のもっとも基礎的な考え方」として、下記の2つの命題を「是」とするところから、すべての話がはじまる。
1.組織の構成メンバーは、みな、それぞれの「ストーリー(ナラティブ)」をもっているここでナラティブとは「現実の出来事の、一貫した秩序で意味づけられたもの」くらいに考える。
2.組織とは、そうした各人のストーリー(ナラティブ)が「ぐっちゃぐっちゃ」に「とぐろ」を巻いているような場である
(対話型組織開発では、少なくとも昨日までの議論で、ストーリーとナラティブを分けて論じられているようには見えないので、下記の記述も、同じ意味として用いる)
ここで、シャバのビジネス業界で生きている皆さんなら「は?ストーリー?」といぶかしがるに違いない。
「おいおい、ちょっと待ってくれ! ストーリー? ス・ス・ス・ストーリーすか? あのー、組織の構成メンバーがストーリーをもっているってのは、組織メンバーは、みな、”秘められた架空のお話づくり”をしているってことですか」
一般に、対話型組織開発がとらえる「ストーリー」の意味は、「ビジネス用語」の辞典にはのっていない。
一般に、ひとは、ストーリーと聞けば「架空のお話」のことなのかな、と思ってしまう。
しかし、対話型組織開発においては、それは「違う」。
ここを本当に理解するためには、本当は「ナラティブアプローチ」とか「物語論」とか、人文社会科学における、ある一大研究領域の「ひとそろいの知識」が必要なところである。
が、「働き方改革時代」でただでさえクソ忙しい時代に、そんなことを、0から100まで学び直すことはできない(学びなおしたい方は、ぜひ、大学院にどうぞ!待ってるよー)。
しかし、その全体像の描写を、このブログに期待されてもどだい無理なので、ここでは、そのあたりをスコーンと要約する。専門家に「便所スリッパでカンチョーされること」に腹をくくり、そのあたりの知識を要約すると、下記になるのかな、と思います。ずずい、と10個の禁断箇条書きでいくぞ(笑)。
1.そもそも人間は、経験を「物語る動物」である(野家 2005)。
2.人間には、もともと「文字」はなかった。、人間の文化継承・世代継承にあたっては、「話し言葉」による「口承口伝」だけが存在していて、人は、経験を「語り継ぐこと」によってのみ、物事を世代間、文化館で伝達できた(オング 1991)。くどいけど、そもそも、人間は、ストーリーを語り継いで生きてきた。
3.ここでストーリーとは「架空のおはなしをつくること」ではない。むしろ、「話の筋立てが構造的に調和しているような現実をうつしとる一連の文章のこと」をストーリーとよぶ(リクール 1983/1984/1985)。
4.ストーリーとは「はじめ」と「終わり」という「時間軸」をもった話題であり、全体として意味が「調和」していなければならない。ストーリーには、ひとによって構成された「一貫した意味づけ」が存在している。出来事が「支離滅裂」につなげられ、突然はじまり、突然終わるような「話」を、我々は「ストーリー」とよばない。
5.人は、ストーリーを、いったんつくって終わりにはしない。ひとは、常に、ストーリーを語り継いでおり、更新しつづけている。むしろ、ひとは、生けとし生きる限り、様々な経験をしながら、「2つ以上の(自分の経験を出来事を結びつけて筋立てる行為」を常に繰り返している(やまだ 2002)
6.人間が物事を理解する形式には、「論理をきっちりわかるモード(Paradigmatic mode)」と「ストーリーを感じるモード(Narrative mode)」というものがある(ブルーナー 1982)。人間は「ストーリーを感じるモード」を駆動させながら、物事を理解しようとしている。
7.ストーリーには、「論理」が置き去りにしてしまう要素を的確に捉えてくれる素晴らしい力がある。ストーリーは、文脈を捉え、感情を捉える。「論理」は一般化し、人間にとって、ストーリーが論理より優れているわけではない。また、論理が物語より優れているわけでもない。二つは別のものである(ノーマン 1996)。
8.ところで、実は、人間がつくりだすストーリーは、実は「パターン」がある。人は、自分が囲まれている環境や組織の影響をたぶんに受ける。人は、真空状態でストーリーをつくらない。人は、自分が位置している社会的状況の影響を受けながら、ストーリーをつくりだしている。人々の「意味づけ」には、自分が所属している社会集団の影響を受ける。
9.会社組織の中には、各人のつくりだした「たくさんのストーリー」が充ち満ちている(マーティン 1982)。ストーリーは「ぐちゃぐちゃ」に混じり合い、とぐろを巻いている。会社の中は、様々なストーリーが混在しており、そこに共通点が見いだせるとき、それを「組織文化」という。
10.実は、会社組織の中では、ストーリーが「メディア」となって、様々な知識や情報が共有されている。会社がだす公式の情報よりも、ストーリーのもつ情報共有力の方が、従業員にとっては有力に思われている(オール 1996)
何とか、物語論、ナラティブアプローチのエッセンスを「10個の箇条書き」におさめるという「知的妄想的暴力」を終えることが出来ました。ぜーぜーぜー(笑)。
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このあたりの知識をもっていると、対話型組織開発が前提にしている「世界観」がわかるかもしれない。感じてください、その「世界」を。
要するに、最初にもいったけれど、
1.組織の構成メンバーは、みな、それぞれの「ストーリー(ナラティブ)」をもっている
2.組織とは、そうしたストーリー(ナラティブ)が「ぐっちゃぐっちゃ」に「とぐろ」を巻いているような場である
ということです。
うーん、なんとなく、感じることができますか?
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とにもかくにも、対話型組織開発では、人は「ストーリーをみなもっており」、かつ、「ひとは、ふだんに、組織やチームのなかで、ストーリーを紡ぎ出している存在である」と考える。
そして、「問題」はここからだ。
その「問題」とは、
「ひとがストーリーをつむぐ存在」であり「組織の中にはストーリーが充ち満ちていること」は、まぁ認めるとして、ひとびとが持つストーリーの中には、必ずしも、「組織やチームが健全にワークするため」には「望ましくないもの=案配が悪いもの」も含まれている
ということである。
人間は組織やチーム、マネジメントに対してストーリーを語るとき、ともすれば、「自分に矢印の向かない都合のよいストーリー」や「過剰に悲観的なストーリー」を創り出してしまいがちだ。
たとえば、あるマネジャーの率いる4名程度のチームが「ワーク(機能)」しておらず、パワーを発揮できていない。
あるものは、マネジャーのとってくる仕事がしょーもない、といい
あるものは、中途採用社員が使えない、という
あるものは、新卒社員がいつまでたっても自律しない、といい
あるものは、そもそも会社のだす目標値が高すぎる、という
マネジャーは「チームメンバー」に仕事のパッションが足りていない、という
これが、皆が「囚われている、望ましくないストーリー」だ。
要するに「自分以外の場所に、問題の原因がある」「必要以上に悲観的に物事をとらえる」という「ストーリー」に「囚われ」、「Interpersonal Mush(対人関係がぐちゃぐちゃ)」になっている。
対話型組織開発で試みられるのは、このように、組織やチームのなかに複数のストーリーが混在して、「Interpersonal Mush(対人関係がぐちゃぐちゃ)=とぐろを巻いちゃってる」状況に対して、各人のもつストーリーの「違い」を「顕在化」させ、それぞれの「認識の違い」を「クリアー(明瞭にすること:明らかにすること:白日のもとに晒すこと:Clear)」にすることだ。
対話型組織開発で、ブッシュ教授がいう「Clear leadership」とは、組織やチームが抱えている「ぐちゃぐちゃなストーリー」を「Clean up(綺麗さっぱり一掃すること)」では「ない」。
そうではなく、対話型組織開発では、各人の囚われているストーリーを「クリアー(明瞭にすること:明らかにすること:白日のもとに晒すこと:Clear)」が重要だとされている。それを「Clear Leadership」というそうです。
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それでは、どのようにして、各人のストーリーの「違い」を「Clear」にするのか?
そこで大切にされているのが「問うこと(質問をすること)」である。
これをワンセンテンスで表現している名言に、講座では、下記の名言がある。
組織とは「質問の方向」に動くものだ
(クーパライダー)
要するに、ここでクーパライダーがいわんとしていることは、「組織とは、問うことによって動かすことができる」という信念である。
もちろん、個々人が問われるのは「ただの質問」ではない。
質問は「ふだん、人々が考えない方向からの質問:便所スリッパで後頭部をひっぱたかれるような質問!?」をすることによって、人々に「思考」を促す。そのうえで、自分のもっているストーリーと、他人のストーリーに「ズレ」があることを気づかせるのである。
たとえば、
ふだん人々が、論理ばかりを考えているのなら「Feeling(感情)」や「Wanting(願望)」を問う
ふだん人々が、短期的な目の前の課題ばかり考えているのなら、「中長期の視点」を問う
ふだん人々が、自分のことばかりを考えているのなら「相手の目線に立って自分がどう見えるか」を問う。
このようにして、対話型組織開発では「問い」を通して、メンバーのストーリーの「違い」を顕在化していく(=Clearにしていく)
だから
対話型組織開発とは「問うことによる組織変革」である
ともいえるし
対話型組織開発とは「ズレの顕在化」である
とも言えるのではないか、と思います。
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ただし、最終的には「ズレ」が起こったままでは、組織やチームとしては「案配が悪い」。
最悪の場合、チームが崩壊し、「みんな違って、みんないい」的な「相対主義的な世界」(金子みすずさんの詩はスキです)に堕してしまうことが予想される。
組織やチームにとっては
僕のストーリーも、あなたのストーリーも、みんな違って、みんな正しく、みんないい。
だからお互いに干渉しないでいきましょーや
が「ドサイアクなシナリオ」だ。それではチームはまとまらないし、組織もまとまらない。すなわち、組織やチームがまとまるためには、共通にかかげることのできる「ひとつの目的」を決めることが、どうしても、必要になる。
しかし、みんながもっているストーリーに「唯一絶対の正しさ」がなく、それらが「等価」で併置されているのだとしたら、「ストーリーの拮抗(各人の持っているストーリーが等価に並ぶので、にっちもさっちもどうにもブルドック状態?になる)」という事態が生まれうる。
そこで・・・対話型組織開発では、ここに「創発論」や「生成的イメージ論」という概念を導入するのだと思う。その根拠になっているのが、Bushe and Kassam(2005)「When Is Appreciative Inquiry Transformational?:A Meta case analysis. The Journal of applied behavioral science. Vol. 41 No. 2 pp161-181」である。
この論文では、
成功した対話型ODは、1)計画を実施するのではなく、即興を重視していたこと、2)生成的なイメージを用いていたこと、3)新たなアイデアを生み出すような場になっていたこと
が明らかになっている。
すなわち、
1.組織メンバーの「ズレ」が顕在化されさえすれば、新たなものごとは「新結合」から生まれるので、創発が生まれるはずだ(=みんなのストーリーが書き換わる可能性があがるはずだ)(創発論)
という風になるか、ないしは、
2.各人のもっている「ズレ」を昇華させたところに、人々が関与できる「生成的イメージ=みんながノレるスローガン的なもの」をつくるところまでは行い、そこから先は「新たな未来」を皆でつくりだすんじゃい(生成的イメージ論)
となるか、である。要するに、端的にいってしまえば、「ズレさえ顕在化すれば、未来はひらける、新しいものが生まれるはずだ」という信念のもとに、実践が行われるということになる。
その際、リーダーに必要なことは何か?
ここでもっとも興味深いのは、リーダーに必要なのは「ファシル(細かいファシリテーションをする)」とか、そういうことじゃない。むしろ、リーダーは、人々が未来をつくりだすための場や機会をつくりだすところまでやったら、腹をくくって「手放せ」と、いうことを対話型組織開発では主張する
リーダーは変革を自らリードすることはあきらめる。そのかわり、多様なメンバーが安心して話をして、実験できる環境をつくる(=プロセスは見守るものの)、あとは、手放して任せるのだ!ということですね。
もちろん、くどいようですが、賭けに対して、何もできないわけじゃない。対話イベント(ひとびとがコミュニケーションを安心安全のもとですることのできる場=コンテナ)をデザインし、ホストすることはできる。
しかし、あとは、創発とインプロヴィゼーション(即興)に任せる、ということが対話型組織開発の眼目である。
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以上、対話型組織開発についてでした。
学びのおすそわけなんで、まだ細かいところは詰め切れてはいないけれど、一応、アウトプットをしておきます(笑)。
ちなみに、最後にひと言だけ
なにやら噂によると、、、最近、
対話型組織開発ってさ、要するに、ワールドカフェやればいいんでしょ!
対話型組織開発ってさ、AI、やっときゃいいんだよね!
っていう認識が広まっているそうですが(昨日会場で聞きました)、ちょっと違うんでないかな、と思います。ワールドカフェとか、AIとか、そういう「具体的な手続き」とか「マニュアル的なやり方」の話は、この3日間の議論で、1ミリもでてきていないです。むしろ、対話型組織開発をする人間が「世界をどう見るのか?」ということが問われているような気がしました。
もちろん、必要以上に「難しく」考える必要はありません。
だけれども、こういう様々な「前提」を感じておかないと、「対話のない対話型組織開発をつくりだしちゃうこと」に荷担しちゃうかもよ、と危惧します。
皆さん、よき対話の場を!
最後になりますが、安心・安全の場をホストしてくださった中村和彦先生ほか、南山大学のチームの皆様に、心より感謝をいたします。ありがとうございました。
そして人生はつづく
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■関連記事
「働き方改革でとにかく時間がない職場」に「対話型組織開発の良さ」をいかに伝えるのか?
https://www.nakahara-lab.net/blog/archive/9204
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追伸.
キャリアカウンセリングなどの領域で、ナラティブ論に詳しい方がいらっしゃったら、対話型組織開発とは「ナラティブアプローチによる組織開発」に近いものだと考えてもよいのではないかと思います。
組織メンバーないしは組織のチームは、ともすれば「Dominant Story(支配的なストーリー)」に囚われています。これを問うことやズレを顕在化させることを通して、いかに「Alternative Story(別のストーリー)」に「Re-story(再ストーリー化)」していくのか?が問われます。
かつて僕が講演で指摘したように、組織開発の基層には、いつだって「カウンセリング的なもの」や「セラピー的なもの」が含まれます(下記の講演録をごらんください)。
中原淳(2017)組織開発再考. 人間関係研究(南山大学人間関係研究センター紀要)Vol.16 pp211‑273
https://www.ic.nanzan-u.ac.jp/NINKAN/kanko/pdf/bulletin16/07_03.pdf
「個人の変化」をひきおこすのが「カウンセリング的なもの」や「セラピー的なもの」だとするならば、「チームや組織を変える」のは「組織開発」ということになります。
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