2006.7.10 08:55/ Jun
先日、学習科学の研究会でよんだ論文に「学習コミュニティ(Community of learner)」の定義があった。
それによると、
1.集団的知識と個人的知識をともに発展させられること
2.メンバーそれぞれの貢献があること
3.学習に関する目標を共有していること
4.how to learnを学べる場であること
5.学ばれたことを共有する仕組みがあること
を満たす場が、学習コミュニティということになる(学習コミュニティの定義はその他にもたくさんあるよ・・・これはそのなかのひとつ)。
一般に、「学習コミュニティ」というと、「赤信号、みんなでわたれば恐くない的な仲良しグループ」と誤解される。より厳しい集団であることがこの定義からよくわかるだろうと思う。
しかし、このうち、2から5までは何となくわかる。特に、2に関しては、僕が博士以降注目していることで、心理学的にいえば互酬性に関連する項目である。
が、一番わからないのは1の「集団的知識」というやつである。
今、仮にそれらの存在を認めたとして、「集団的知識がある」「集団的知性がある」という状況は、具体的に、誰と誰が、どこで、何をしているときの状況なのだろうか・・・それがどうもわからない。
集団的知識とか、集団的知性というのは、最近、Web2.0が流行していることからも、ずいぶん、注目されている概念である。Web2.0的世界が深まれば、集団的知性が生まれるはず、だという楽観的な見方が、メディアのトーンになっている(僕は懐疑的)
それにしても、我々は、どういう状況を見た場合に、「うーん、集団的知識のレベルもあがってきたねー」と言えるのだろうか?
たとえば、みんなで、ある課題について、あーだこーだいって何とか解決しちゃうのは、「集団的な問題解決」といえそうである。「集団的知識」とか「集団的知性」が、どちらかというと、静的な概念に僕には思えるのだが、問題解決の方は「動的」だ。
何だか重箱の隅をつつくような話題、朝っぱらから恐縮だが、研究者としては、こういうのが、いちいち気になる。
謎だ。
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