2006.4.29 06:15/ Jun
政治的に振る舞う、交渉がうまいとはどういうことでしょうか。一般には「声のでかい人」「まくしたてる人」「熱意あふれる人」を、そう呼ぶのではないでしょうか。でも、僕は、どうも違うように思うのです。
たとえば譲歩する・・・つまりは「折れる」。
「折れる」ということは、一般に後ろ向きな行為と見られます。が、「折れること」は、そのまま「負けること」ではありません。「折れる」ことで不本意な妥協点に甘んじてしまう場合もある。が、いったんは「折れる」ことで、長期的視野にたって、よりよい条件をひきだせる場合もある。
たとえば「謝る」。これも、同じです。
「謝る」ということは「負ける」ということを意味しません。「謝る」ことで自尊心が傷つけられ、ダメになる人もいますが、「謝ることで闘う人もいる」。
いったん後ろ向きに見える行為の奥底で、密かな闘志を燃やす。そういうアンビバレントさの中に生まれるやりとりが、政治的なやりとりだと思うのです。
テレビをつけて、ニュースにでてくる政治家を見る。本当に政治のうまい人は、「政治的な人」には見えないものですし、「交渉の手腕が長けている」ようには見えないのではないか、とつい思ってしまいます。
一見して、「政治的に見える人」は、あまり恐れることはないのかも。
「政治的に見えない人で、政治的な人」にあったときこそ、ムムム、おぬし、と思います。
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