2006.4.18 08:33/ Jun
昨日の朝日新聞では、センセーショナルな見出しがつけられていた。要するに、いわゆる「団塊の世代の大量退職をきっかけに都市部では、これから数年教員が圧倒的に不足することから、なりふりかまわない大量採用がはじまっている」というニュースである。このblogでも、この問題については、これまでも扱ってきた。
どのくらい大量採用かというと、東京都の場合、96年の小学校教員採用はわずか129名。倍率は15.3倍だったのにもかかわらず、08年度の教員数は1800名。倍率は2倍になるという。
私見では、この「2倍」には、当然、記念受験のような人も含まれるし、そもそも何にも勉強しないでくる受験生もいよう。実質的な倍率は限りなく1に近い – つまりは全入に近くなる!? – のではないかと推察する。
受験科目を減らしたり、日本全国で就職説明会を行ったり、あの手この手を使った大都市の教員争奪競争は、激化している。一方、福井、高知、島根などの地方では、相変わらずの高倍率(20倍程度)となっており、いびつな格差が生まれている。
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人口の動態は、一朝一夕に、突然かわるものではない。よって、今日の「先生争奪戦」の様相は、10年前にも予測出来たことである。
教育学研究者の中には、そのことに警告をならす人も少なくなかった。「いびつな年齢構成は、必ずや学校内の徒弟システムを破壊する」「教員の質の低下をまねくおそれが強い」「公立校のさらなる地位低下に結びつかないだろうか」などの指摘があった。
1996年・・・熱い志をもちながら教員になりたくてもなれなかった人たち、苦労した人たちを、僕はたくさん知っている。
彼らの多くは、結局、教壇をあきらめ、市役所や民間企業に不本意ながら就職したりした。何年も何年も浪人を重ねて、いまだに非常勤で不安定な身分のもと、勤務している人もいる。
彼らは時代に翻弄された。
それから10年 – 2005年・・・時代は変わった。
大方の学生は真面目である。しかし、正直いって、教員志望の学生の中には、「この学生も教員になるのかなぁ・・・」と疑わざるを得ない学生も少なくない。彼らは、それほど勉強しなくても、望みさえすれば、より容易に教員になることができる。
もちろん、1996年にも教員不適格な人はいたし、2005年にも苦労する人はいることは事実である。しかし、あまりにも条件が違いすぎる。僕は今年で30歳。自らも「貧乏くじ世代」であるせいか、どうも、これには解せない。
「それは時代だよ」と言ってしまえば、それで終わりなのかもしれない。しかし、この歪みは別のかたちで、必ず教育現場にあらわれると思う。
「無理が通れば道理が引っ込む」
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