2006.4.15 06:32/ Jun
先日、ボストン留学時代のある友人とメールでやりとりしていた際、「大学の研究室の話」になりました。彼が、
「アメリカでは、博士号をとって、ポスドクやってようやく一人前の研究者として認められる。分野にもよるし、個人の才能にもよるけれど、それまでは、学術論文誌になんて投稿させてもらえないし、教えさせてはもらえないよ」
と言うので、
「研究室のカルチャーにもよるけれど、僕の育った研究室では、修士号をとったら、研究室の下の人の面倒をみだす。学術論文誌への投稿は書けるのであれば早くても問題ない。たいていは、修士号をとったあたりから投稿する。教えることもそう、修士号をとったら大学で非常勤講師をやる人もいる。学部がSee one, 修士がDo one, 博士がTeach oneなのかもね」
という話をしました。
もちろん、過剰な一般化は避けなければなりませんが、両国の研究室には、このような違いがあるのかもしれません。そしてこれにはそれぞれデメリット、メリットがあるでしょう。
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話はすこし飛びますが、ちょっとした理由があって、最近、「研究室運営」について考えることが多くなっています。日本の研究室といっても、いろんな研究室の運営がある。
よく一般には「研究室の生産性やクリエィティヴィティ」というのを「教員の個人の資質」に帰属してしまいがちですが、それも一理ある一方で、その寄与率はあまり高くないのではないかと思ってしまいます。それは組織づくりの問題であり、ルール設計でもある。そう思うのです。
「クリエィティヴな仕事を、サスティナブルに生み出しつづける研究室」をつくるには、どのような方法があるのでしょうか。なんかいい方法とか工夫があるのでしょうかね?
目下の悩みです。
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