2005.5.2 17:03/ Jun
ホームぺージつくったり、ビデオを編集したりすること・・・そうしたことは、ほんの10年くらい前までは、個人が「できること」ではなかった。
専門的訓練を受けたプロだけが、高価なプロフェッショナル用の機材を活用して行えることだった。
それがハードウェア、ソフトウェアの低価格化と高機能化、インタフェースの簡略化によって、一気に個人でも手の届く範囲のことになった。
こういう事態を前にして、中には、「プロ不要論」を唱える人もいる。「個人でも、ある程度できること」に対して、敢えて高価なお金を払い、プロを雇う必要はない、ということである。
まぁ、確かにそれもそうである。ヘボい技能しか持たなかったり、技能をアップデートしようとしないプロは淘汰される時代に突入しているのであろう。
しかしである。僕は、こういう時代だからこそ、「プロ」がいっそう重要になっているんだと思う。
プロはアマチュアの個人が、到底妥協をしてしまうような箇所に、こだわる。そして、そうした「小さなこだわり」のひとつひとつが、決定的な違いを生み出す。
たとえばホームページ・デザイン。
アマチュアの個人がテーブルを組んでデザインしたホームページと、プロがつくったものは、一見、たいした変わらないのかもしれない。
しかし、いろいろなブラウザ、OSでアクセスしてみて欲しい。アマチュアのものは、すぐにレイアウトが崩れる。僕のWebなんかは、その典型だ。
たとえばビデオ編集。
アマチュアがAdobe Premierでつくったビデオと、プロのものは寸分と違わなく見えるかもしれない。しかし、よーく見てみるがいい。カットつなぎが、スムーズに流れるのは、どちらなのかは歴然である。1秒は約30フレームから構成される。ふだんは気づかない1フレーム、1フレームにプロならば、こだわる。
ディテールでいかにこだわれるか・・・その小さなこだわりが、全体の統一感にどの程度反映できるか。これがプロの力の見せ所であるような気がする。「お金をとることのできるもの」とは、そういうものなのである。それはアマチュアがいくら背伸びしたってかなわない。
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偉そうに言っているが、僕はホームページ作成のプロでもなければ、ビデオ編集、番組作成のプロでもない。僕は「教育研究のプロフェッショナル」ではあるけれど、それ以外は全くのシロウトである。しかし、仕事柄、こうしたプロの人たちと付き合うことは、本当に多い。彼らの仕事には、時にため息がでてしまうほど、美しいものがある。
みんなが「プロ」のように振る舞い、「一見、プロの作品のように見えてしまうような作品」をわずかな労力でつくることのできる時代だからこそ、「違い」をだせるのは本当のプロでなくてはダメなのである。
今こそ、プロフェッショナルの時代である。
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