2015.10.8 06:27/ Jun
どんなに曖昧でもいいから「見通し」をもちなさい
そして、「見通し」にむかって
今できることを「実行」し、働きなさい
こうしたことが巷でよく喧伝されるのは、わたしたち自身が「見通しが不明瞭な社会」、すなわち不確実・不安定・曖昧な社会を、生きている証左でしょう。
先行きが明瞭であるならば、敢えて意図的に「見通すこと」をしなくても、おのずと「見えてくる」ものがある。しかし、今の社会は、見通そうと敢えて思わなければ「視界不明瞭」である。だから、目をひんむいて(笑)、見通さなくてはならない。もちろん、見通せていたと思っていたものが、変わってしまうこともあるけれど、見通すことを放棄してはいけない。
要するに、この種の言説が述べていることは、こういうことなのだと思います。
さて、それでは、話はここからなのですが、皆さんは、将来を見通そうと思って、どのくらいの未来までなら、何となく見通せますでしょうか?
たとえば、自分が働いているイメージならば、何年後くらいまでなら、「まー、こんな感じで働いているんじゃない」という「なんとなくの像」を得ることができますでしょうか? 未来のことなんだから、正確でなくても、曖昧でもいいんです。「まー、こんな感じじゃない」と肩肘をはらず述べられるのは、何年くらい先でしょうか?
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先だって、共同研究でご一緒しているトーマツイノベーション様とのプロジェクトで関係者の皆さんと議論をしていたのですが(感謝!)、このことが話題になりました。
トーマツイノベーション株式会社
http://www.ti.tohmatsu.co.jp/index.html
その際、同社の田中敏志さんがおっしゃっていたことが非常に印象に残っています。
田中さん曰く
研修の自己紹介のエクササイズなどで、今から10年前ーすなわち2005年にどのような仕事をしていたかを1分間で交換しあいましょう、というと、参加者の皆さんは無理なくできます。過去のことなので、それは無理ないですね。今度は、2025年ーすなわち10年後の未来の仕事を予想してお互いにしゃべってみましょう、というと、悲鳴があがります。全く想像すらつかないので、会話が1分間ももたないのです。最後に2018年ー3年後というと、今度は何とかかんとか、ストーリーをつくることができるようです。
ICレコーダを持っていたわけではないので、まったく忠実に起こしてあるというわけではないですが、要するに、こうしたご主旨の御発言であったと記憶しています。まことに興味深いことですね(面白い話をありがとうございます!)。
10年後は無理だけど、3年後くらいは何とか、という感じなのでしょうか。
なるほどですね。
皆さんはいかがですか?
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さて、この問題、、、僕の認識もそれに近いものがありますね。
ま、3年後くらいまでは、どこで何をしていて、何が目標かは常に考えているかな。
でも、3年後以上は、逆にいうと敢えて考えないようにしているかな、ともいえるような気がするのです。
たとえば、僕は自分の子どもなどに「3年後くらいを見通して生きて欲しい」と願うけれど、それ以上は願わない。逆に「僕は、5年後とか10年後とかを見通せてるよ!パパ」なんて言われた日には「大丈夫かなこいつ」と思ってしまいます。「人生いろいろ途中であるから、まー、うまいぐあいにドリフトしていこうぜ」と言ってしまいそうな気がします。
皆さんでしたらいかがでしょうか?
答えがない問いなので、どうか愉しんでかんがえてみていただければと思います。
201X年の皆さんは、どこで、いったい何をしていますか?
そして人生はつづく
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