2015.7.9 06:24/ Jun
先だって、同僚の山辺恵理子さん、木村充君、松尾駿君と勉強会をしていた際、山辺さんが発表してくれた文献発表の中に、興味深い問いがありました(感謝!)。
その問いとは、
学びを「名詞」としてとらえるのか?
それとも
学びを「動詞」としてとらえるのか?
というものです(McCleery 1986)。
問いに対する「二者択一の答え」は、究極にいえば、どっちでもいいのですが(笑)、敢えて「あれか、それか」の両極にふることで、この問いは、「自分のもっている学びという言葉に対するイメージ」を投射し、「学びのイメージを他者と共有しうる」のかなと思いました。そういう意味では、興味深い問いなのかな、と。
さて「答え」はどっちでもいい、と言いましたが、やっぱり答えが気になるので、少し考えていくと、世間的には、おそらく「学びとは名詞である」という考え方が支配的なのかな、と思います。
すなわち「学び」ときくと「お勉強」が喚起されると思いますので、そこで得られるものは「知識」「スキル」「態度」であろう、と。
なんらかの「構成物(constructs)=名詞」が頭の中につくりだされることが「学び」であろうと考えるのかな、と思うのです。
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それ自体、僕は否定しませんが、僕のイメージは、かなり「動詞」に近いものであることがわかりました。
僕が、学びを語る「自分の言葉(どこかの外国の学者が考えた、ありがたい言葉を使うのではなく、あくまで自分の言葉!)」で、過去20年間、、一番しっくりきているのは、
「学びとは自分が変わること。そして、周囲を変えること」
です。
このことからもおわかりのように、僕がもっている「学び」のイメージは、「他者にビジョン(ホラをふく)をふきこむ」であったり、「他者を巻き込む」であったり、します。ですので、かなり「動詞」に近いことがおわかりいただけますね。
皆さんはいかがですか?
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今日は「学びは名詞か、動詞か?」という問いを考えてきました。異常にシンプルな問いですが、実は、掘っていけば、なかなかに味わい深い問いであるようにも感じます。ただし、時間がないので、今日はここまで。
あと8分で、家の目覚ましが鳴り、TAKUZO、KENZO、ママが起きてきます。あっという間に慌ただしくなります(笑)。我が家のいつもの朝です。
そして人生は続く
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