2015.4.20 08:30/ Jun
「毎朝、毎日ブログを書く」ということは、時に「シンドイこと」でもあり、チャレンジングなことです。
もちろん、「そこに楽しさを見出してるから続く」というのも真実ですし、「もう習慣化しているから続く」というのも事実です。
しかし、人間生きていれば「ネタが全くない朝」というのもありますし(笑)、「忙しくてそれどころではない朝」もありますし、「体調が悪くて、なんかだるいな朝」もあるのです。
「毎日書く」ということは、「だから今日はやめておこう」というのではなく、「それでも書き続ける」という「意志」です。
「書くこと」には「葛藤」を覚えることもあります。しかし、もっとも「葛藤」を覚えるのは、「毎朝、ブログを書かなければならないこと」ではありません。そんなことは、習慣化していれば、実際は「何とでもなること」です。
もっとも葛藤を覚えるのは、「記事を書くこと」ではなく「記事を公開すること」にまつわること ー 特に「自分としてはイマイチだなと思っていても、書いたものを他者に公開しなければならないこと」であったりします。
たかだか20分で書いている記事です。しかも、TAKUZOの勉強を見てやりながら、片手間で書いている記事です。僕のブログには、そういう制約があります。
ここにはいくつかの選択肢があります。
「自分にとってベストなものでなければ、公開しない」という立ち位置。それは「プロ意識」であり、「美学」でしょう。
一方は、
「自分にとってベストなものでなくても、今、ここの思考を公開しよう」という立ち位置。
僕は、積極的に「後者」をとってこれまで生きてきました。別の喩えをするなら、
今日は「快心のヒット」は打てないかもしれないけれど、とにかく「打席」に立つ、ということ
かもしれないな、ということです。
そのことによって、僕自身が「ブリリアントな思考の持ち主」では「ない」ことは充分におわかりいただけるものと思います。「あ、いつも、こいつは、こういうしょーもないことを考えている」のだという「人となり」に関しては、伝わっているのではないでしょうか。ですので、僕にとってブログは、「仕事の発表の場」ではなくて、「人となりメディア」かもしれないなと思います(こんな記事で、仕事の発表の場と言われても、困ると思いますが)。
僕にとってブログを書くとは、そういう「葛藤」を抱えることです。
いやならやめればいいのですが、「モンモンとして打席にたつこと」が嫌いじゃありません(笑)。
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一方、その日がどんな状態でも「書き続けること」によって、僕自身は、確実なメリットも感じています。それは、「今日一日の自分のコンディション」を理解できることです。自分の思考が、今日は、どの程度良好か、それとも芳しくないのかを、みずから身をもって理解することができるのです。
「今日は、なんか、頭が冴えてるかもしれない」
と思う朝も、ごくごく「希」にあります。
たいていは、
「今日は、フツーだな」
と思います。
「あっ、今日は、完全に思考がクローズだわ」
と思う日もないわけではありません。
仕事にいく前に、自分のコンディションを概ね知ることができます。これは明らかなメリットといえるかもしれません。それによって、どういう風に、今日一日を過ごそうかを考えます。今日はシンドイなと思える日は、ハードな思考を次の日に回したりします。
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このように、仕事をする人にとって、毎日同じことを繰り返すことや、同じ儀式を持っていることは、自分のコンディションを知り、それに応じた「今日一日の仕事」をつくりだすことに役立つような気がします。
僕の場合は、それが「他者」にも公開されているので、皆様にもそれがおわかりいただける?ので、自分をあげてるんだか、下げてるんだか、よくわからないことになっていますが、まぁ、そうした「浮き沈み」を感じて頂ければ幸いです。
今日は、ま、イマイチだね(笑)
週明け、月曜日なんて、こんなものです。
調子なんて、浮き沈み。
あなたには、「自分の今日のコンディション」を教えてくれる「毎朝の習慣」がありますか?
そして人生は続く
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