2015.3.31 06:09/ Jun
「一斉講義って、何だかホッとしますね(笑)あっ、久しぶりに一斉講義だわと思うと、懐かしくて、懐かしくて」
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僕が大学院生の指導をしている大学院では、授業の多くが、いわゆる伝統的な一斉講義を行わない形式で実施されているそうです。
僕自身は、授業は自ら「実施」しますが、他の先生方の授業を「受講」したことはないので、あまり詳細は知りません。
が、ちょっと前になりますが、上記のようなセリフを大学院学生のひとりが、口にしていたことを覚えています。同様のことは、他の大学院生もおっしゃっていたので、たぶん、それなりの合意はあるのでしょう。
学生の弁によると、ほとんどの授業が、いわゆるディスカッションやグループワークなどを前提にして組みたてられているそうなので、あまり気が抜けない。
また、グループワークなどでは、大学院生同士でスケジュールを合わせたりするのが大変で、モティベーションに差がある。時折、ディスカッションなどがヒートアップして、大学院生同士で、激しいコンフリクトを生み出すのだとか、そうでないとか。
こうした授業は、伝統的な一斉講義と比べると、やはり大変で、気が抜けません。
一斉講義が「マジョリティ」で、こうした双方向型の授業が「マイノリティ」の間は、双方向型授業が「素晴らしいもの」に見えるのそうです。
が、しかし、ある一定数を超えて、一斉講義の数を双方型授業が凌駕するようになると、上述のセリフのように「一斉講義が懐かしくなる」「一斉講義がホッとする」という状態が生まれるのだとか。
学生の中には、
「一斉講義の良さがわかる」
ともおっしゃっている方もいらっしゃいました。
とても興味深いですね。
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一斉講義が「懐かしく感じられる」のか、それを聞いて「ホッとする」のか。
一斉講義って「いいなぁ」と感じるのか、そうでないのか。
本質論では、「学習の目的にてらして手法の選択がなされるべき」であり、僕個人としては、一斉講義であろうが、双方向であろうが、それ自体の選択にあまり興味がありません。
しかし、こうした一連の問いを通して、自分の所属する機関の教育のあり方がわかるのかもしれません。
そして人生は続く
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