2015.3.26 10:14/ Jun
先だって、ある本の編集会議で、渡辺清乃さん、かんき出版の山下さんと話していた際、興味深い話になった。「日本人は、英語を話すことができない」という俗説にも、少し考えてみると、その理由には、いろいろ可能性があるよね、という話である。
換言すれば、外国人の方々を相手に、たとえば、「日本人が英語を話せない」というとき、その現象は、もう少しブレークダウンして要素分解して考える必要があるということだ。
たとえば、一口に「英語が話せない」というけれど、本当に「英語という外国語を用いるスキルがない」のか、そもそも「言語という手段を用いて、他者に伝えたい内容が自分にない」のかは、本来、峻別して考えなければならない。
しかし、ともすれば、「英語を話せない」とき、本当は「自分の意見をもっていないために、そもそも他者に伝えたい内容がないこと」は忘れ去られ、「話せないこと」の理由が「英語」の言語スキルに帰属されることがある。
でも、少し考えてみればわかるとおり、そもそも英語はもとより、日本語であってすらも、ある話題に対して自分の意見をもっていない人は、それを他者に対して表明できるわけがない。
たとえば、よく外国に留学すると、学生同士が、政治の話、歴史の話に外国人から意見を求められることがあるけれど、そもそもそうした知識をもっていない人、そうしたことに自分の意見を持っていない人は、英語云々の問題ではなく、「話すべき内容がない」のである。
このことは、少し考えてみれば、あたりまえのように感じられるけど、ともすれば忘れ去られがちなことだ。
言語を用いて他者とコミュニケーションするということは、「言語」という「コミュニケーションの道具」のみならず、コミュニケーションの対象範囲に関する広範な知識が必要である、ということである。
そうした広範な知識を、「教養」というワンワードで呼べるかどうかは、意見の分かれるところだろうけど。
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文化的背景や社会的背景を異にする人々とコミュニケーションするというのは、かくのごとく、それなりに大変なことである。個人的には、言語のスキルも大切だろうけど、「自分の意見をもつ」ということが、最も大切であり、意外に忘れ去られがちであると思われる。
「道具」だけあっても、「中身」がなければ、仕方ないと言うことですね、嗚呼。
そして人生は続く
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