2015.3.17 09:47/ Jun
まことに遅ればせながら、詩人・高村光太郎の「友よ」という詩に出会いました。
先日、TAKUZOの子ども向けの!?詩集をパラパラめくっていて見つけたものです。
まづ第一に言つておかう
僕から世間並の友誼などを決して望むな
僕は君の栄達などを決して望まぬ
君のちひさな幸福などを決して祈らぬ
君は見るだらう
僕が逆境の友を多く持ち順境の友をどしどし失ふのを
なぜだらう
逆風の時に持つてゐた魂を順風と共に棄てる人間が多いからだ
僕に特恵国は無い
僕の固定の友は無い
友とは同じ一本の覚悟を持つた道づれの事だ
世間さまを押し渡る相棒だと僕を思ふな
百の友があつても一人は一人だ
調子に乗らずに地でゆかう
お互にお互の実質だけで沢山だ
その上で危険な路をも愉快に歩かう
それでいいのだと君は思つてくれるだらうか
(高村光太郎「友よ」)
高村光太郎さんは「危険な路をも愉快に歩く」ような「一本の覚悟をもった道づれ」を「友」とします。
僕にも、そんな「友」がいます。
面白いのは、僕の「友」は、僕が勝手にそう思っているということです。きっと相手は「友」だとも思っておらず、おそらく「戦友」「同志」くらいにしか思っていないことでしょう。しかし、「友達だよね」と確認し合うことが、「友の証明」ではないでしょう。だから、僕も、この友に、「友達だよね」ということは、一生ないと思います。きっと、さようならの瞬間まで。
この詩、たぶん、TAKUZOには、まだ早いかなとも思いますが(笑)、生涯、友にぜひ出会って欲しいなと思います。
そして人生は続く
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