2015.1.16 06:50/ Jun
死とは「長いプロセス」であって「特定の瞬間」ではない
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1960年代以降、末期癌患者、数百人への終末期のインタビューを試み、「死」を捉えなおす科学的な研究をなしたエリザベス・キューブラーロスの「死ぬ瞬間」を読みました。
医療業界やターミナルケアなどに携わる方にとっては、必読書のような本なのだそうですけれども、先日、ふとしたことで、遅ればせながら手にとるきっかけを得たのです。自分の浅学をまずは恥じます。
医療業界に関して、僕は全くの「門外漢」ですし、またキューブラーロスに関しては、その後、彼女の業績を続けてみますと、様々な批判などがあることは承知しています。
が、とはいえ、人間が、どのように「死」を受容していくか、そのプロセスについて、科学的にメスを入れたことは、やはり画期的なことなのではないかと思います。
よく知られているように、最も有名なのはキューブラーロスの提案した氏の段階モデルです。
曰く、死を受け入れることには「段階」があり、それは下記のようなプロセスをたどるのだそうです。
1.否認
やがて死を迎えるということが、何かの間違いだと思う段階
2.怒り
なぜ死を迎えるのが自分なのか、と憤りをみせる段階
3.取引
何かにすがろうとする段階。何とか死なずにすむように、様々な物事に働きかける段階
4.抑うつ
行為することを失い、ふさぎこむ段階
5.受容
死ぬことを受け入れる段階。時にそこにささやかな希望を感じます。
キューブラーロスの「科学」に対する批判は、この段階説の「妥当性」に関してですが、それに関して一理あると思うものの、多くの段階説とよばれは、いつもそこに例外が生じ、反例が出されますので、まーそういう批判はでてくるよね、と思います。
全くの門外漢ながら、むしろ、キューブラーロスの業績は、「段階説」なのではなく、やはり冒頭に述べたように、「死をとらえなおす視座の転換」をなす研究をした、ということに尽きるのではないか、と僕は感じました。
曰く、
死とは「長いプロセス」であって「特定の瞬間」ではない
換言すれば、英語書籍タイトル「On Death and Dying」にもあるように、
死とは「Death(特定の瞬間)」ではなく「Dying(死にゆくプロセス)」なのである
ということになります。
死を「Dying(死にゆくプロセス)」と捉えなおすということは、個人的には、悪魔的な視座の転換と言えるのではないか、と思うのです。
なぜなら、キューブラーロスの研究を一歩離れ、妄想力をたくましく論理飛躍することが許されるならば、わたしたちは、こう、思考をすすめることもできるからです。
今、仮に、キューブラーロスの研究に用いられた「時間の縮尺」を長くしてみて下さい。キューブラーロスは、末期癌患者の終末期を研究の対象にしましたが、少し大きな視点で、そのプロセスを長く長くとってみると、こうもいえるのではないでしょうか。
すなわち、
健康である私たち自らも、実は、「Dying(死にゆく)プロセス」の中で、死という1点にむかって、毎日、進んでいる
ことがわかります
すなわち、朝っぱらから重々しくて恐縮ですが、
わたしたち自身も、今まさにDyingしている
と考えることもできるということです。
果てしない誤読かもしれませんが、僕はこの本を読んだとき、まさにそのように感じました。
私たちは、この世に生を受け、生まれたときから、今日も明日も「Dying」しています。何人たりとも受け入れざるをえない、それぞれの、ある1点に向かって、私たちは日々歩んでいます。昨日、あなたがたまたま出会った人も、明日、あなたが偶然出会う人も、皆、Dyingのプロセスにあり、その道中にたまたま縁があって、出会ったに過ぎません。
生には限りがあることを眼前にして、わたしたちには何ができるのか、と思わず考えてしまいます。
そういえば、Steve Jobsもこんなことを言っていました。
「毎日、今日が人生最後の日かもしれない、と考えるとすれば、いつか、必ずその考えが正しい日が来る」
「もし今日が、自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定は、私が本当にやりたいことだろうか? NOという答えが、もし幾日も続くのだとしたら、自分は、何かを変える必要がある」
Jobsの用いる仮定法は、いつも悪魔的にパワフルです。
今日も、明日もDyingのプロセスに私たちはある。それならば、願わくば、Learninfulで、Heartfulで、playfulなDyingであって欲しい。Dyingに至る長い長いプロセスにおいて、自分が何を為したか、ということは、本当に自分が死にゆくときの5段階に、もしかすると影響を与えることなのかもしれません。
寝床でキューブラーロスの業績を斜め読みながら、そんな果てしない誤読をなし、今日、朝、目を覚ましました。
「もし今日が、自分の人生最後の日だとしたら、今日やる予定は、私が本当にやりたいことだろうか? NOという答えが、もし幾日も続くのだとしたら、自分は、何かを変える必要がある」
そして人生は続く
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【Translation】
Death is not a “specific moment” but a “long process”.
After the 1960’s, Elisabeth Kübler-Ross, who is a famous psychiatrist and author of On Death and Dying, had a lot of interviews with several hundred terminal cancer patients in order to investigate what is the process of dying.
On Death and Dying is one of the must read books for anyone who is concerned about terminal medicine and care. Just the other day, I happened to find this book in the bookstore and read it.
I’m not a medical specialist and I don’t know what kind of reviews her book has had. However, I think it is novel to inquire how terminal care patients accept their death scientifically. The most well-known theory that she proposed after investigating is “The five stage grief model”.
This model shows that terminal care patients accept their death on a five phase process, as follows.
1.Denial
Patients cannot accept the fact that they will die. Sometimes they think that it is a mistake of the medical professionals and the examination.
2.Anger
Patients get angry with themselves, their family and medical people. They wonder why it is themselves who are dying, not others.
3.Bargaining
Patients try to negociate with medical people and God in order to avoid their death. For example, “If you save me, I will do anything for you”.
4.Depression
Patients realize it is waste of time whatever they do. They get deeply depressed.
5.Acceptance
Patients accept their death. Sometimes they feel their death is hope. For example, “I may escape from the pain and go to a better place”.
There have been a lot of critiques to the validity of Kübler-Ross’s five stage model. Although these critiques are understandable, generally, “stage theories” usually have some exceptions. I think it is inevitable to find some patients who don’t fit into the “Five stage grief model”.
I think Kübler-Ross’s scientific contribution is not “The five stage grief model”. Her remarkable contribution is to redefine “Death”. She regards “Death” as not “a specific moment” (the moment someone dies) but a “long process – the process in which someone accepts their death”
We’ll all experience the process of dying.
Life goes on!
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