2015.1.15 08:58/ Jun
かなり前のことになりますが、就職活動をしている学部学生の方とお会いしたとき、
先生、就活は「矛盾」だらけだと思いませんか?
と問いを投げかけられたことがあります。
その方が就活に悩んでいそうな感じもしたこともあり、一寸、どう答えようか考えましたが、こういうときは、どストレートに自分の思うことを言った方がいいのかな、と思い
そうだよなぁ
就活は「矛盾」だらけだよなぁ・・・
とつぶやいてしまいました。
でも、そのあとに、僕の口からは、思わず、もうひと言が口からでてしまいました。
でもね、、、
「矛盾」だらけではないものが、社会にあるのかなぁ・・・。
自分が、これまで歩んできた道程を振り返りつつ。
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例えば、その方が僕に語ってくれた内容はこうであった気がします。かなり前のことなので、うろ覚えですが、こんな感じ、かと。
曰く、就活で出会う社会人の中には、時に、「矛盾したメッセージ」を意図せず、発しているというのです。
例えば「うちの会社や業界を徹底的に勉強して学んでこい。そのうえで、うちの業界の問題点を指摘してみろ」というのもそのひとつ。
就活生としては、就活では常套句になったその言葉を真に受けて、「徹底的に勉強してきました。問題点はこうですね」と述べたくなるところなのですが、それが必ずしも好意的に受け取られることはあまりないといいます。
なぜなら就活で出会う社会人は、「徹底的に勉強してこい」と述べながら、反面、「心の奥底」で、実は、こう思っている人もいるからです
「学生の分際で、どんなに勉強しても、うちの会社や業界なんてわかるわけがない。そもそも現場にいない人間に問題点なんて指摘されたくないし、できるわけがない」
「うちの会社や業界を徹底的に勉強してこい」と言っているのにもかかわらず、一方で「(そもそも)わかるわけがない」「そもそも現場にいない人に問題点なんて指摘されたくない」と意識されているのが興味深いところです。
だから、こういう場合、そういう人達の前で「勉強してきました!問題点はこうですね」なんて言ったとしても「勉強してきませんでした!」と言ったとしても、反応は「ネガティブ」であることの方が多いものです。要するに、学生は「完全なディレンマ状況」に立たされています。
要するに、この矛盾した状況、ディレンマ状況を切り抜ける「合理的解答」はありません。じゃあ、どうするか。そこからが「社会を生き抜く力」なのかもしれません。求められていることは「ディレンマを解くこと」ではなく「ディレンマを乗り切ること」なのです。
「自分が勉強してみたこと」をみせ、「問題点を指摘すること」をなしつつ、「わからないこと」の指摘を受け、「教えてもらうということを演じること」もそのひとつでしょう。
皆さんだったら、どう切り抜けますか?
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学校の世界と一般社会との端的な違いとは、ワンセンテンスで申しますと
「矛盾」と「不条理」
さにあると思います。前者は、「課題を出される枠」があらかじめ決まっており、しかも「答えがでる問題」が与えられます。しかし、後者は「課題の出題範囲がない」ばかりか、必ずしも与えられた問題に「合理的解」があるとは限りません。
もちろん程度を超えた「矛盾」や「不条理」は、「既存の権力」を温存することにつながりますので、しっかりと相対化しなくてはなりません。しかし、これから社会に出て行く人に、それを求めても、あまり奏功するとは思えません。
こうしたことに「矛盾だ!」「不条理だ!」と言いたい気持ちは、痛いほどよくわかります。また「ゼロディレンマの地平」を夢見たいという気持ちもよくわかります。
しかし、新たな世界への新規参入者になしうるのは、「矛盾だらけの状況」「不条理にまみれた状況」「ディレンマにあふれる課題」を、まずは何とかかんとか「乗り切ること」です。
そうした二つの世界間の移動こそが、「トランジション」だと思うのですが、いかがでしょうか。
したたかに、しなやかに生きてください。
そして人生は続く
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