2014.9.19 08:01/ Jun
「ビジョン」という言葉があります。組織、経営、管理のいろいろな局面で、この言葉は用いられます。
やれ、
「うちの組織にはビジョンがない」
「うちの社長は明確なビジョンをもってない」
「あの部長には、ビジョンがない」
などのように・・・。
しかし、一般に広く用いられている、この言葉も、よくわからないようでいて、わからないところがあります。そもそも「ビジョン」とは何なのか。皆さんだったら、この言葉、どう説明なさいますか?
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先だって、授業に、サイバーエージェント人事本部長の曽山さんにご登壇いただいた際(お忙しいところ毎年ご登壇いただき心より感謝いたします)、曽山さんは、わかるようでいて、なかなか、わからない「ビジョン」のことをこうおっしゃいました。
ビジョンとは「映像(ビジュアル)をみせること」なんです。ビジョンというと、一瞬わからなくなりますが、「未来をビジュアライズする」と考えたら、もっとわかりやすいのではないでしょうか。
さすがは多読家の曽山さんですね。もともと大学時代は、ビジョンあふれる著名なリーダーの演説の分析をなさっていたそうですが、こんなところにも、その影響が垣間見えます。ありがとうございます。
おっしゃるとおり、ビジョンの語源とは「見ること」であり、そこから派生して、ビジョンには「視野」とか「先見」とかいう意味が存在します。
しかし、いろいろな意味はありますが、ビジョンの本質とは、「見ること」であり「見せること」です。つまり「目に見えること」「可視できること」です。
こう考えると、「ビジョンを示す」とは
「メンバーの心に未来の映像を見せること」
です。
「メンバーの心に、未来はこうなるんだな、という映像が浮かぶ状態をつくる」
といってもいいかもしれません。
だから「ビジョンを示す」とは「言葉を重ねること」でも、「語気をつよく語ること」でも、「将来目標をストーリーテリングすること」でもありません。それらは「手段の一つ」かもしれませんが、「目標」ではありません。
もっとも大切なことは、どのようなメディア、どのような手段を用いたとしても、
「メンバーの心に未来の映像を浮かばせること」
です。
ここで大切なことは、「映像」ということの根源にかかわることです。それは「時間軸」の存在です。映像は「静止画」と異なって「時間軸」が存在しているのですね。つまり、映像をつくるとは「時間軸を意識して、未来を描くこと」でもあるのです。
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さて、それでは、次に、どのような「映像」をつくればいいのでしょうか。
これを考えるとき、参考になるなと感じるのは、Yahooの宮坂社長に先だってお逢いしたときに伺った、「山登り」のメタファです。
宮坂社長は、「戦略」を、山登りにたとえて、お話ししておられました。以下は、曽山さんからうかがった「ビジョン」の話と、宮坂社長からうかがった「山登り」を重ね合わせてかんがえてみましょう。
たとえば、皆さんが、近い将来「山登り」をしようとするとき、事前に、どんなことを知りたいと思いますか? 言葉を換えますと、皆さんは「山登り」に向かうとき、チームリーダーに、どんな「ビジョン」を提示されたいですか?言葉をかえます。皆さんは、「山登り」のどんな映像をみたいですか?
まず、真っ先に思うのは「どの山」に登るか?
ではないですか?
だって、「どの山」に登るかがわからないと、準備ができないでしょう? (笑)。山登りの映像を考えるとき、どんな高さの、どの山に登るのかが、わからないと、心に何も浮かびません。そもそも映像のタイトルからしてわからない。
しかし、一方「登る山のわからないビジョン」「登る高さのわからないビジョン」、世の中には蔓延していませんか?
その次には一連の問いが続きます。
「誰とのぼるのか?(チームメンバー)」
「何時に待ち合わせて、どんな風にかえってくるのか?」
(スケジュールとアジェンダ)
「どんな道具を事前にもっていくといいのか(リソース)」
「そして登った先には、どんなに素敵な光景が開けているか」
(ポジティブストーリー:得られるメリット)
などではないでしょうか。
この場合、皆さんは、どんな映像を見たいと願うでしょうか?
たったひとりで、装備なしの丸腰Tシャツ短パンで、深夜1時の真っ暗闇で登り始め、いつ帰ってこられるかはわからなくて、登った先には「結局、地獄」しか開けていないような山登りの映像を見たくて見たくて、仕方がない
と願う方は少ないのではないでしょうか(笑)。ビジョンを提示されるとき、そんな映像を欲しいとはあまり思わないでしょう?
はたまた
相棒はヨコにいるんだけど、いつまでたっても、登る山がわからず、「どの山に登るのかな?」「どれだろうね?」「どこに登ろうか」「いや待とうよ」という風に、最初から最後までつぶやいているようなシュールな映像
を見たいと願う人もいないでしょう。サミュエル・ベケットの「ゴド待ち(ゴドーを待ちながら:不条理劇のひとつです)」のようなビジョンっていやでしょう?
でも、以外に、どんな光景を背景に仕事をしている方って、少なくないような気もします。ゴドーを待ちながら(笑)
どうせなら、
山登りだから多少苦しい思いはする。だけれども、気の置けない仲間とお互い声をかけあって、安全にかえってこられるスケジュールで集まり、準備万端の装備をもって出かけて、登り終わったあとには、山頂で、甘い物でも食べながら、一服するような映像
をみたいと思うのではないでしょうか。
ビジョンを描くとは、このように「映像」をつくること、みせることなのかもしれません。
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今日は「ビジョンを描くこと」について書きました。自戒をこめて、よいビジョン、よい映像を描きたいものです。
そして人生は続く
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