NAKAHARA-LAB.net

2014.8.28 06:21/ Jun

悩める親のための読書感想文にわか指導法:長い文章を書くとはどういうことか!?:クララが立ち上がりましたが、味噌汁は僕も好きです!?

 昨夜は、愚息・TAKUZOが、「夏の風物詩」ともいうべき、読書感想文の宿題に取り組んでいました。
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 読書感想文については、僕自身、ルサンチマン(怨念感情?)があり、これまでにも、何度かこのブログで論じて参りました。僕は、子どもの頃、読書感想文が死ぬほど苦手だったのです。
読書感想文とは、いったい「何」で、どのように書いたらよいのか?
http://www.nakahara-lab.net/2012/11/post_1894.html
 嗚呼・・・それにしても、やっぱり「カエルの子はカエル」。古の人々は、間違ったことは諺に残さないものです。
 TAKUZOの感想文の執筆を傍目で見ていて、その文章にクラクラと目眩がしてきました。
 愚息の恥をさらすようで何なのですが、やや戯画的に、その状況を描き出すと、彼はこんな文章を書いているのです。
 クララは、車いすから立ちあがったことに僕は感動しました。
 あと、クララは、味噌汁が好きでした。僕も好きです。
   ・
   ・
   ・
 トホホ。。。
 要するに「複数の文をつなげで、ものを書くということが、全くわかっていない」のです。文と文がつながっていないがな。要するに、何のつながりもない文章が羅列されているだけです。
 ▼
 このままでは埒があかないので、「にわか文章指導」をすることにします。「読書感想文」は、このさい、一切忘れてよろしい。それ以前のレベルから、即席、にわか指導です。やむなく・・・。
 考えるべきは、そもそも「文をつなげて書くとは何か?」
   ・
   ・
   ・
 あまりよい喩えでもないのですが、敢えて断言するなら、それは
「糊しろをつくりながら、折り紙を貼り合わせていく作業」
 に似ています。
 この場合、まず、文章とは「いろんな色の折り紙」である。
 今、君は、たくさんある折り紙の中から、「似ている色同志」を貼り合わせていきたい。つまりは「文章の前後には、必ず、似ている文章がくる=似ている色同志の折り紙」。
 そして、それをつなげるときには、必ず「糊しろ」がいる。一般的に、前後の文章の中には「共通するワンワード=糊しろ」が入る場合が多い。それが「糊しろ」である。
 だから、先ほどの文章、
【文1】
クララは、車いすから立ちあがったことに僕は感動しました。
【文2】
あと、クララは、味噌汁が好きでした。僕も好きです。
 は【文1】と【文2】のあいだがぶっ飛びすぎている。【文1】のあと【文2】には、【文1】の中にあるワードを説明したり、つけたしたりするワードがこないと、文章同士が、なかなかつながらない。
 たとえば、
【文1】
クララは、車いすから立ちあがったことに僕は感動しました。
【文2】
長い間、車いすで生活していたクララが、「思い切って立ち上がること」が、どんなに勇気のいることか、と感じたのです。
 とかなら、ありえるでしょう。
 この場合「車いす」とか「立ち上がる」というワードが、文1と文2に共通する「糊しろ」になります。
 僕がTAKUZOにした説明は、こんな感じでした。あんまりうまい説明ではないとは思いますが、とりあえず、少しは理解してもらえた気がします。もっとよい喩えがあったら、ぜひ教えていただきたいのですが、とりあえずは、これで逃げ切りました。
 そのレベルかよ、という感じですが、お恥ずかしながら、「そのレベル」なんです。そして、僕自身も小学生の頃はそうでした。
 悲しむべきは、字数はいまだ300文字。
 制限文字数の800文字には、まだ500文字にもあるのですが・・・。
 でもね、どんなに文章が長くっても、要するに、この繰り返しなのです。のりしろをつくって貼り付ける。似た文章を、いわば折り紙のように貼り付けていく。文壇のようなところで活躍するすごい文章なら別でしょうけど、少なくとも、僕らがふだん目にする文章というものは、この繰り返しだと思います。
 ▼
 以前もFacebookでボヤきましたが、最近、僕は
「いったい、人は、書くことをどのように学んでいるのか」
 ということに、とても興味をもっています。研究的関心というよりは、子育て的関心から(笑)。
 先だっては、アメリカのワークブックを書店で見つけて読んでみました。文章の「ジャンル=書き方の作法」を、かなり早い学齢から教えているのが印象的でした。
(米国の教育を万歳称揚する、僕には全く気はありませんし、本当にそう思っていません。しかし、そこには今後の日本が学ぶべきところがあると思っています。僕の子どもの世代、次世代がさらによりよく学ぶことができるためには、貪欲によいものを取り入れる姿勢を持ちたいと思っています)
  ▼
 僕自身は国語教育とか作文教育とかは全くのドシロウトで、かつ、その領域の研究をすることはありませんので「無責任」に「独断」と「偏見」で言い放ちますが、本日に限らず、愚息TAKUZOの作文の様子を見ていると、「ホンマにこれでえーんかいな」という思いがフツフツとわいてきます。
 えーわけないわな(笑)
 クララは、車いすから立ちあがったことに僕は感動しました。
 あと、クララは、味噌汁が好きでした。僕も好きです。
 じゃ(泣)。
 要するに読書感想文とか、それ以前。
「文章をつくること」に関して、あまりに「学んでいない」のです(これは愚息が悪いと思います)。
 だから「思ったことを、自由にのびのび書け」「感じたことを、自由にそのまま書け」といわれても、彼は書けません。
「自由に書く」ためには、「書き方」や「方法論」が必要です。しかし、そうしたツールや枠組みをTAKUZOは全く学んでいません。
 これには批判もあることでしょう。いっけん「ツールや枠組みを渡すこと」は「自由にそのまま書くこと」を阻害すると考えられがちだからです。
 しかし、僕はそうは思いません。
「自由にそのまま書くこと」は「ツールや枠組みを渡すこと」とトレードオフではないはずです。子どもの頃、僕もTAKUZOと同じ苦い経験をしました。だから、僕はそれを渡そうと思います。
  ▼
 ひるがえって考えるに、ホワイトカラーの仕事とは「文章」とは切り離して考えることは難しい場合が多いものです。
 最近、文章が書けない、文章表現が苦手な経験の浅い社員がいるとのお問い合わせも、よくいただくようになってきました。
 少しこういう視点から、いずれ、経営学習論(大人の学び)のフィールド、すなわち自分の研究でも、何か面白いことができないかな、と考えています。
 そして人生は続く
ーーー
追伸.
 昨日は幕張メッセで開催された「日本看護学教育学会」で講演をさせていただきました。それにしても、すごい椅子の数でした。「看護師さんってすごい人数なんですね」と言ったら、「10人に1人は看護師なんですよ」と、ある先生がおっしゃっていました。10人に1人は「就業人口の10人に1人」なんでしょうか。詳細はよく知りませんが、それにしても、すごい人数です。講演は拙いものでしたが、お役に立てたとしたら幸いです。
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