2014.2.24 06:26/ Jun
ある組織に対して、外部からプロセスコンサルテーションを行うという際、内部の人は相反する2つの感情のあいだを揺れるのではないか、と思います。いわゆる両義的感情。アンビバレントな思い(ambivalent)というものです。
ちなみに、プロセスコンサルテーションとは、ここでは、
「クライアントとの信頼関係に基づいて、クライアント自身が、内部・外部環境において生じている出来事のプロセスに気づき、理解し、それに従った行動ができるようになることを支援すること」
と定義します。
一般に、コンサルテーションとは、有能な専門家がクライアントに対して「こうすればいい」「絶対にこうするべき」といった「処方箋」をだしたり、絶対的な基準に照らして「点検」を行う行為として捉えられています。それを「プロセスコンサルテーション」に対応づけて、「コンテンツコンサルテーション」などとよぶことがあります。
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さて、先ほどの問い、すなわちプロセスコンサルテーションがはじまるとき、クライアントが持つであろう、ひとつの感情は、こんなものでしょうか。すなわち「答えへの渇望」
プロセスコンサルテーションなのだから、コンサルタントは、答えを言ってはくれないんだとさ。そうだ、答えは、自分自身で探すしかないんだ。でも、コンサルタントは、「何」ももってないのかよ。実際は、答えは、本当はもっているんだろうな。高い金払ってるんだから、少しでも与えてほしいな。
そして、もうひとつの感情は、こんなものです。すなわち「答えの忌避」
プロセスコンサルテーションというかたちで、今回外部から人がくるんだとさ。でも、現場にいない人間に何ができる? 何がわかる? おれたちは長いあいだ、この現場でやってきてるんだ。おれたち以上に、自分たちのことがわかっている人間はいない。自分のことは自分でやるんだよ。それなのに、人を外部から呼びやがって。
前者「答えへの渇望」においてクライアントは、プロセスコンサルテーションを承知しつつも、ついつい「コンテンツコンサルテーション」を望んでしまいます。すなわち、プロセスコンサルテーションとコンテンツコンサルテーションの境界・狭間は、常に、クライアントによって揺れることになります。
後者「答えの忌避」は最初「外部からの働きかけへの拒否」というかたちをとります。プロセスコンサルテーションであろうと、コンテンツコンサルテーションであろうと、外から介入してくるものすべてに拒否感をもつ。そして、自分たちが現場を一番わかっており、かつ、答えをだすことができる、存在と位置づけます。
実際は、現場の人は、これら2つの感情「答えの忌避」と「答えの渇望」が複雑にからみあった、いわばゲシュタルト(判別不可能なかたまり)のようなかたちで保持していることが多いものです。
「助けをもとめつつも、どこかのタイミングで拒否をしてみたり」「答えを与えられるものではないことを承知しつつも、答えを求めたり」するものです。クライアントも常に揺れています。よって、プロセスコンサルタントは、常に「外部と内部」「プロセスコンサルテーションとコンテンツコンサルテーション」の境界を行き来しなければなりません。組織とつきあうということに「ステイブルな地平」は存在しません。それは「不安定に揺れつづけること」が「安定」している存在です。
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今日はプロセスコンサルテーションにまつわる両義的感情について書きました。「支援するもの」と「支援されるもの」には、まさこの種の両義的感情がいつもつきまといます。
こういう話を書くと、現場の人のもつアンビバレントな思いが「悪い」といっているようにも聞こえますが、全くそんなことはありません。むしろ、人間とはそういうものです。ZARDではありませんが、こうした「揺れる思い」を抱きしめながら、コンサルテーションは続くのかもしれません。
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