2014.1.10 07:25/ Jun
あなたは「何」を失えば、あなたでは、なくなってしまいますか?
数年前になりますが、ある方とお話していたときに、投げかけられたこの問いが、今も印象深く残っています。
—
自分が何者かをつかむためには、
自分が「何」であるかを考えるのではなく、
自分が「何」を失えば、自分でなくなるかを考えるとよいかもしれませんよ
ところで、中原さん
中原さんが「何」を失えば、中原さんではなくなってしまうでしょうか?
—
ダバダー
(ネス○フェ・ゴールドブレンドのBGMでどうぞ)
うーん、何度きいても、なかなか味わい深い問いです。
なんだろ、僕は何を失えば、僕ではなくなってしまうんだろう。
もやもやもやもや。
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かくして、
あなたは「自分の何」を失えば、あなたではなくなってしまいますか?
という問いは、なかなか面食らうものがあります。
なぜなら、多くの人々は「自分が何者か」を時に考えることがありますが、「自分が何かを失い、自分ではなくなってしまう事態」を想定することの方がレアだからです。こうした鋭い問いは、現実ではない状況を仮に想定して、相手を「揺さぶること」ができます。
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「揺さぶる問い」で揺さぶられるのは個人だけではありません。組織だって、揺さぶられることがあります。揺さぶる問いは、時に、組織変革や組織開発のプロセスにおいても、用いられることがあります。
よく知られていて、記憶に残っている例といえば、かつて某IT企業が、自組織のバリューを策定するときに行った全社規模でディスカッションでしょうか。
たしか、そのときの問いのひとつに、
「もし仮に、我が社が明日なくなったとしたら、世界の何が変わるだろうか?」
というものがあったように思います。これも「揺さぶる問い」の一種と考えていいでしょう。「我が社が明日なくなってしまうこと」は、おそらく、この場合は、あまり、皆にとって想定できないことです。ここでは「我が社が明日なくなる」という非現実の状況を仮定して、ふだんは考えない角度で、自社の貢献価値について考えています。
「もし世界が何も変わらない」のだとすれば、自社の社会に対する貢献価値(デリバラブル)は非常に乏しいものになります。もし世界が変わるのだとすれば、「世界の何が変わる」かを考えることで、自社の貢献価値について考えることができます。
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今日は「揺さぶる問い」について書きました。
それは非常にパワフルですが、やり過ぎは禁物です。だって、そうでしょう? 何度も何度も「何を失えば、どうなる?」「会社がなくなったとしたら、どうなる?」と聞かれていたら、こう答えたくなりませんか? 「失わねーよ」「なくならねーよ」(笑)。だから、多様はできません。
また、それは、時に個人や組織に「鋭い刃」をつきつけるようなものなので、事前事後のケアも大切なことです。それをやったのだったら、個人が意味形成を行う機会、組織が合意をもてる機会を十分確保することが大切でしょう。
ところで、最後に?、皆さんに問いのお裾分け。
あなたは「何」を失えば、あなたでは、なくなってしまいますか?
もし仮に、あなたの会社が、明日、なくなってしまったとしたら、世界の何が変わりますか?
そして人生は続く
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