2012.6.29 07:00/ Jun
「どのようにしたら、文章が書けるようになるのでしょうか?」
先日、また、ある学生さんからこんな質問を受けました。半年に一度くらいは、この手の質問を受けますが、また、はたと自分のことを振り返りつつ、考えてみました。
実は、以前、僕は「書くためには、書き続けることである」というエントリーを書いたことがあります。
書くためには、書き続けること!?
https://www.nakahara-lab.net/blog/2012/02/post_1833.html
要するに言いたかったことは「どんなものであってもよいので、書き続けてさえいれば、いざ書く段には、スラスラと書けるようになっていくよ」ということです。
逆にいうと「書き続けていないと、なかなか言葉やセンテンスが浮かばず、いざ書こうと思っても、苦労するよ」ということです。
いまだに、こちらのエントリーで主張したことは、あながち間違っていないんじゃないかな、と思っていますが、でも、そこには明確に論じられていないことが多々あることも事実です。
そのひとつが
「書こうと思ったときに、一番最初になすべきことがわからない」
ということですね。
つまり、重い腰をあげ、何か書きたいことができたときに、どう書くかについては、全く「書かれていない」ということです。
▼
僕が研究指導をしている、大学院生の舘野さんは、アカデミックライティングの研究をしておりますので、専門の助言・情報はそちらに譲ることにします。
【大学生・院生向け】文章の読み方・書き方・考え方・発表の仕方まとめ
http://matome.naver.jp/odai/2133342163910863801
ここでは、僕自身の過去を振り返り、学生時代の僕がやったことは何かと考えます。
すると、それは意外にも、僕なりの答えは
「自分の好きな作家・評論家・エッセイストの文体を徹底的に真似て、その人になったつもりで書いてみる」
ということでした。
つまり、あなたが「村上春樹」好きならば
勝手に「村上春樹」
「小林秀雄」好きならば
勝手に「小林秀雄」
「群ようこ」好きならば
勝手に「群ようこ」
を実践しちゃうということです、勝手に。
間違って頂きたくないのですが、文章そのものを「コピペする」というわけではありません。それは「剽窃」です。
というより、自分の好きな書き手の「文章のスタイル」を真似て、自分で創作してみるのです。
「あの作家だったら、この状況をどう書くだろうか」
「あのエッセイストならば、この場面を、おもしろおかしく、どのように描写するのか」
と考えて、想像力をふくらませ「なりきって」書いてみる、ということです、密かに、ゲーム的に。
▼
大学時代の僕は、結構、これを愉しんでやっていました(授●中などのヒマなときに、ノートの切れっ端に!)。時には、おー、今日は「●●になりきったぞ」としたり顔で、教室の片隅で「授●」を聞いておりました。先生ごめんなさい。
でも、しばらくすると面白いことが起こります。
次第に本当にのりうつったかのように、自分の好きな作家風に、文章が書けるようになってくるのです。あくまで「それっぽく」という感じですが、いい回しが次第に似てきます。
第二フェイズは、マネする作家が複数になったときに出てきます。 何人かの自分の好きな作家の文章スタイルを複数マネをしていたら、しばらくすると、それがぐちゃぐちゃに混ざっていって、自分でも何がなんだかわからなくなってくるのです。
つまり、先ほどの例を使うのならば
「村上春樹」+「小林秀雄」+「群ようこ」的な文章スタイル
が、だんだんとできあがってくるのです。書き出しは「星新一風」、笑いをとるところは「原田宗典風」といった感じを想像してもらえると、よりわかりやすいかもしれません。もうこうなってくると、誰が誰だか、さっぱりわかりません。
最終フェイズでは
「村上春樹」+「小林秀雄」+「群ようこ」的な文章スタイル
がさらに「崩され」「デフォルメ」されていきます。自分なりに、ここは、こう変えてみよう。ここは、工夫してみよう、とか。ここは、こう落とそう、とか。
このプロセスは「守・破・離」といえば、そのようにも解釈できそうですが、最初は完全に書き手を模倣する。次第に模倣する書き手の数が増えていくと、だんだんと、壊されていく。そして、だんだんと自分なりのスタイルが生まれてくるのです。
で、しらないうちに、今の僕の文章スタイルができました。
マネしている、とう感覚は、もはやありません。何がなんだかわからないけれど、たぶん、これは「僕の文章スタイル」なんだろうな、ということです。
僕の文章スタイルは要するに
「ごった煮」
なのです。
ただし、「プチスパイスで味付けされ、自分なりに、完全にデフォルメされて、ちょっと煮込みすぎのごった煮」
美味しいかどうかはわかりません(笑)。
さて、どうでしょ。
▼
この方法の(効果は保証できません)キモは3つです。
まず、自分の好きな作家やエッセイストを「真似る」ので、モティベーションが続きます。嫌いな人の文章スタイルを真似る必要はないんです。自分が、この人みたいに書きたいな、と思える人を選ぶとよいと思います。
第二のポイントは、実は、マネをするためには「本気で読み込まなくてはならない」のです。だって、マネができるくらいにはスタイルをコピーするには、ひとりの作家の複数の本を読まなくてはならないでしょう。自然と読書の癖もつきます。
第三のポイントは、ゲームとして愉しむ、ということです。今の言葉でいうならば、
「ライティングのトレーニングをゲーミフィケーションする」
ということになるのかもしれません。
「なり切って、うまくいったときには、ひひひ、とほくそ笑む」。そんなマニアックで、誰も理解してくれそうな「知的快楽」を、教室で愉しんでみるのも一興でしょう。
▼
なお、これは僕自身の「わたしの教育論」ですので、効果は保証しませんし、一般化するつもりもありません。
ただ、僕自身は、こないだのエントリーにも書きましたが、本当に文章が苦手でした。
「今日はハンバーグを食べました。とってもおいしかったです」
のような文章を、小学校高学年まで書き続けていきました。自分にとって、最大の苦手分野が、作文だったのです。
でも、その苦手を克服するために「自分が文章をうまくなるための方法を、自分で工夫し、編み出したメソッドのひとつ」が、これでした。要するに、スタイルを徹底的に真似ろ、と。「作家になりきる」のだ、と。でも、真似ていれば、いつしか、自然と崩れてくる。そして、いつしか、自分のものになる、と。
いまだに文章は得意だとは思っていません。しかし、あまり苦労することなく、スラスラと書けるようにはなってきました。苦手意識はほぼなくなった、と言えるような気がします。
▼
最後に、
僕が、どの書き手の文章スタイルをコピーしたのか?
って?
それは「秘密」。誰にも言いますまい。
なんだか、こっぱずかしいからね(笑)。
—
■2012/06/25 Twitter
Powered by twtr2src.
—
■2012/06/22 Twitter
Powered by twtr2src.
—
■2012/06/21 Twitter
Powered by twtr2src.
—
■2012/06/20 Twitter
Powered by twtr2src.
—
■2012/06/19 Twitter
Powered by twtr2src.
—
■2012/06/18 Twitter
Powered by twtr2src.
最新の記事
2024.12.31 22:23/ Jun
2024.12.28 09:58/ Jun
2024.12.25 10:57/ Jun
2024.12.8 12:46/ Jun
2024.12.2 08:54/ Jun