2012.4.25 09:43/ Jun
マネジャーになることは「生まれ変わり」に喩えられることがあります。
入社してマネジャーになる前までは、「ひとり」で「限定的な範囲」における仕事をガシガシやってきた個人が、マネジャーになったあとは、「他人」を使って「より大きな物事」を成し遂げなければならない(Getting things done through others)。
こう書いてしまいますと、「なんだ、それだけのことかい」「アタリマエのコンコンチキだよーん」というツッコミを受けそうなしますけれども、それは、個人にとっては「大きな転機」になります。
「ソロプレーヤー」であった時分に学習したことの一部を「棄却」して、新たな役割を「再学習」しなければらない。一部は捨て、一部はそのまま残し、一部は「新たな物事との統合」をはかる。そういう「区切り」の時間を、どうしても、ある時期過ごさなければ成りません。
また、マネジャーになることは、原則として「自分がいなくても他人の手によって、物事が動く状態(Work without You)」をつくることに似ていますので、そこには、ある種の「寂しさ」がつきまとう。
一方で、マネジャーになることは、自らが先陣をきって、やりたいことを成し遂げるチャンスでもある。そこには「希望」もある。
寂しさを感じつつ希望を見て
希望を見つつ、寂しさを感じる
このように、マネジャーになることは、「もうひとつの矛盾に満ちた世界」への参入であり、「学習」そのものなのです。
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さらに、近年では「Getting things thorough others」のうちの「others」が多種多様になってきています。現代の職場は多種多様です。女性、非正規雇用の方々、そして留学生、外国人、年上の部下。
もはや、マネジメントしなければならない「others」は、かつてのように「正社員男性」ではありません。
さらに「はじめての管理職」が、海外勤務であることも、ままあることです。海外勤務の場合には、さらに「寂しさ」「不安」の中での「学習棄却」「再学習」が過酷になる可能性があります。
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従来、「マネジャーになること」は、主に「キャリア移行論」の中で扱われてきました。貴重な研究が多々ありますが、量的には、まだまだ不足しており、今後、さらに多くの社会的ニーズが生まれると思います。今後の研究も、さらに期待が高まりますね。
中原は、数年前から「海外赴任した日本人マネジャーの学習論」にホソボソと取り組んでおり、その成果の一部は近著で論じられる予定です。
さらに、これに続き、今年は、某社において、より実証的な研究をさせていただける予定になっています。楽しみです。
「マネジャーになること」を「学習論」の立場から捉え直すとどうなるんだろうか。特に「マネジャーになること」を「個人のキャリア移行」と捉えるのではなく、「コミュニティ間移動」「境界移動」と捉えると面白いんじゃないの、と勝手気ままに考えております。
最近は、本当に多忙で「僕の考える時間」は、ズタズタ・チリヂリ・コッパミジンコ!?になっておりますが、その「コッパミジンコ」さんたちを集めて、そんな妄想をしております。
そして人生は続く。
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■2012/04/24 Twitter
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