2012.3.26 06:54/ Jun
「聴く」ということに、僕は、興味があります。
経営学習論(Management Learning)の中心的概念になりつつある「他者に内省(リフレクション)をうながす」ということの本質が「問い詰めること」ではなく(と、誤解されているところもあるようです)、まずは「聴くこと」からはじまるということも理由のひとつかもしれません。
また、ここ数ヶ月、著書執筆のために、たくさんの方々にインタビューをさせていただいているからかもしれません(中原の拙いインタビューにお答えいただき感謝です!)。
はたまた、自分が、常に「前のめり」の人間で、どちらかというと、「聴くこと」に苦手意識をもっているから、かもしれません。「聴くこと」の重要性を、「頭」ではわかっていても、僕自身が「よい聞き手」になれないことから、「聴く」ことに興味があるのかもしれません。
うーん、きっと、最後の理由だな。
僕は「聴く」のが苦手だもんな。
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例えば、ひとつ事例を引用して考えてみましょう。
臨床哲学を標榜する鷲田清一先生が、ご著書「聴くことの力」の中で、こんな有名な事例をだされています(鷲田 1999)。
場面は、末期医療の研究者による質問紙調査の質問項目でした。
あるガン患者が、
わたしは、もうだめなのではないでしょうか?
とあなたに語りかけてきます。
あなたなら、何と答えるだろうでしょうか。
1.「そんなこといわないで、もっと頑張りなさいよ」と励ます
2.「そんなこと心配しないでいいんですよ」と答える
3.「どうしてそんな気持ちになるのと聞き返す」
4.「これだけ痛みがあるとそんな気にもなるよね」と同情を示す
5.「もうだめなんだ・・・と、そんな気がするんですね」とかえす
さて、上記の質問に対する、あなたの答えはどれでしょうか。
調査の結果、精神科医をのぞく医者、および医学生は1を選ぶひとが多かったそうです。
看護師の場合は3。精神科医が選んだのは5だlったそうです。
皆さんは、いかがでしょうか?
僕ならば、たぶん「2」を選んでしまうような気がする。
言うまでもなく、5は、患者の語りかけに対して何も「答えていません」。1のように「励ます」わけではなく、2のように「示唆」を与えるわけでもありません。また3のように「理由」を問うわけでもないですし、4のように「同情」を示すのでもないのです。ただ単に「受けとめる」だけなのです。
受け止める、かぁ・・・。
なかなかできないなぁ。
僕は、たぶん「示唆」を与えてしまうな。
かくして、「聴く」に興味があるわけです。
自分として、苦手なのでね。
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ところで、あまりにも月並みですが、「聴く」ということは、まことに難しいことです。
なぜなら、それは一見「受け身な行為」でいて、それを「能動的に担う」必要があるからです。
かつて、社会学者のアーヴィング・ゴフマンは、「聴くこと」を「積極的な自己呈示」であると位置づけました。つまり、「わたしは受け身の立場で聴いている」という自己の役割を他者に対して、積極的に呈示していくことが、「聴くこと」の本質であるということです。
この一見、トレードオフな関係を実現することが、いかに難しいかは、想像に難くないですね。とにかくとにかく受容しつづけ、話し手に不信感を抱かれたり、つい能動性が前にでて、話し手を問い詰めたりしてしまうことが起こりがちです。
うーん、聴くことは難しい。
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この週末は、2冊の本をゲットしました。
いずれも、「聴くこと」に関する書籍です。
ひとつは「オーラルヒストリーの理論と実践―人文・社会科学を学ぶすべての人のために」という研究書です。オーラルヒストリーの研究方法論である「インタビュー」について、インタビューの技法、法的な問題・倫理のクリア、インタビューにおける対人関係のつくりかた、など、様々な観点から、基本を論じています。インタビューに出かける前には、少し目を通しておきたい書籍のように感じました。
印象的だったのは、英国の社会学者・アン=オークレが語ったとされる、下記の一文です
「インタビューは、結婚とよく似ている。それが何であるかは、誰もが知っていて、実に多くの人が経験しているにもかかわらず、閉ざされたドアの向こうには”秘密の世界”が存在する」
”秘密の世界”がつい知りたくて、研究者としての小生も、インタビューを重ねているのだなぁ、と思いました。
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もう一冊は、阿川佐和子さんの「聞く力」です。こちらは、先ほどの書籍とは、打って変わって、わかりやすい一般書です。この本のことは、カミサンから教えてもらいました。「聴くこと」があまりに苦手な小生に、それとなく「示唆」を与えようとしたのかもしれませんね。えらい、間接的な説教やなぁ。
「聞く力」は週刊文春において、1000人近い人々にインタビューの記事を書き続けてきた、阿川佐和子さんが、インタビューに答えてくれた著名人のエピソードをまじえ、インタビュー・聴くことの極意をつづっておられます。
阿川さんといえば、名エッセイスト。語り口は優しく、自然体のインタビュー論のように読めました。阿川さんがインタビューを行っている著名人の方々の個性が強く、エピソードも愉しく読むことができました。
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かくして、先週末は「聴くこと」の重要性を噛みしめる週末!?になりました。
今週のテーマは「聴く」で行こう!?と思います。
ふだんの会議などで、もし、僕が「聴けて」なかったら、「中原さん、今、話、聴いてないでしょ」「話をちゃんと聴きましょうね」とフィードバックをいただけると、誠に嬉しく思います。
嗚呼、そういえば、小生は、昔「生へんじゃー(生返事をする人)」と揶揄されていたことを思い出しました。
しかし、それは10年以上も前の話です。
僕も進歩しているはずだ。
そして今週を生きる
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追伸.
鷲田さんは、別の雑誌記事でこんなこともおっしゃっています。現代社会がいかに「前のめり(Pro)好き」かに反省をうながすひと言です(鷲田 2009 in DBHR 超MBAの思考法)。
現代は、社会も企業も学校も、あらゆる活動が「前のめり」です。そこあるのは「Pro(前)」という概念です。
たとえば、会社の業務について考えてみると、あちこちに「Pro」がついていませんか。
プロジェクト(Project)を立ち上げる、そのために利益(Profit)の見込み(Prospect)を確認する。
見込みがついたらプログラム(Program)づくりに入り、計画書ができたら生産(Production)体制を整えて、販促(Promotion)する。そして、進歩(Progress)の度合いで、昇進(Promotion)が決まる。
みなさん、「前のめり(Pro)」過ぎてはいませんか?
猛省>自分
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