2011.12.27 11:43/ Jun
ここ最近、原稿に追われながら(さっき、最後の原稿「インプロする組織」2章を編集者の石戸谷さんに送付。これですべて終わりです・・・めでたい!)、ひそかに夜な夜な愉しみに読んでいることに「インタビューの本」を読むことがあります。世の中にでている「インタビュー」の本は(オーラルヒストリーとかも含む)、7割くらいを読みました(絶版のものが多いですね)。
僕が、なぜインタビューに興味をもつか、というと、3つの理由からです。
第一の理由。それは自分が、常に「現場観」のある実証研究を行いたいと願っているため、実務家の方々に、なるべく多くのインタビューや面談の機会をいただいているからです(お忙しいところ、まことに感謝です!)。インタビューというのは、簡単なようでいて、まことに難しく、いつも帰り際に、「あんなことも聞けばよかったな」「そんなことも聞けばよかったな」と反省してしまうことしきりです。で、そんなわけで、興味があります。
第二の理由。それは、駒場で学部1年生・2年生向けに「メディア創造ワークショップ」という授業をしていているからです。この授業では、ダイヤモンド社記者の間杉さんにおこしいただき、インタビューや聞き取りの作法について、貴重な講義をいただいております。で、学生のインタビューの様子を見ていると、非常に興味がでてきます。どやって教えたらいいのかな、何を学んでもらうのが一番いいのかな、と。
第三の理由。それは、経営と学習の研究領域における「内省(reflection)」とインタビューが、非常に結びついていると考えられるからです。
人は、自分自身で自分の内省プロセスを回すこともできるのですが、他者から問いかけられ、他者に対して語りかけるときに、内省が駆動する、ということもおこりがちです。というわけで、他者に問いかけ、語りをひきだすインタビューという手法は、通常、「内省」とは別の所でかたられがちだけど、なんか、関係ありそうだね、という感じで興味深いのです。
以上が、僕がインタビューに興味をもつ3つの理由です。
理由にしては、ちょっと長いよね、ごめんよ、ピエール。
▼
ところで、様々な本を読んでおりますと、一般にインタビューには、大きくわけると「2つのとらえ方」がある、と言われていることに気づきます(例えば、ホルスタイン・グブリアム 2004、桜井・小林 2005、Plummer 2001など)。
この2つは、様々な概念によって把握されていますが、ここでは、わかりやすく「実証的なインタビュー」と「臨床的なインタビュー」という2つの概念にわけて説明することにしましょう。(本当は臨床的なインタビューも”実証的”であることをめざしていますので、この分類は変です。ただ、ここではわかりやすく、敢えてエイヤでわけます)
まず、ひとつのとらえ方は、「実証的なインタビュー」。
こちらの立ち位置にたった場合、インタビューをする側は、ある特定の「手続き(方法論)」に従って、インフォーマントにインタビューを行います。
インタビューをするときには、自分と相手を切り離した上で、相手から「客観的」な情報を得ようとする。インタビュアーの投げかけた「質問」に対して、「回答」が得られる。そして、そうした情報のやりとりから生まれた洞察を、切り取り、「意味のとおる、ひとつのかたまり(切片化)」します。
その上で、その「かたまり」をたくさん得ることをめざします。さらにインタビュー回答者を増やし、より一般的な「カテゴリー(結局、今回答えてくれた人のあいだには、共通するポイントが3つありました、的な”まとめ”ですね)」の生成を行っていくのですね。
で、「これ以上、やっても、もう新たな事柄は、でてきませんのー」という段階に達したら(理論的飽和)、そこでインタビューをやめるということです。
大同小異、いろいろあるけれど、いわゆる「科学的」だ、とされるインタビューの手法が、こちら側ですね。
▼
もうひとつ別のやり方は、「臨床的なインタビュー」のとらえ方です。
こちらのやり方では、インタビューとは「インタビューする自分と、相手との協働的な意味構築行為」であるととらえます。
インタビューで得られた情報、というものは、「相手と私の”今、ここ”における関係によって得られたものであり、それは共同的で、間主観的なものである」と考えるのですね。
ややメタフォリカルな物言いでいうならば、インタビューとは「ストーリーの共同創造行為」である。インタビューする側と、インタビューされる側の、ふたりの相互作用・相互行為によって、ひとつのナラティブ(ストーリー)をつむぎだす、ということになりますね。
こうした意味構築作業を通して、相手が「これまで符に落ちなかったこと」が「ハッ」と気づいたり、あるいは、自分に思わぬ気づきが生まれることもある。ひとりでは生み出し得なかった、「第三の理解」に到達することもある。双方にとって、最初はモヤモヤとしていたものが、だんだんと話していくうちに、はっきりしてくる、ということですね。その場合には、相互に変化がおとずれることもある、と考えます。
面白いですね。前者の「実証的インタビュー」と対照づけて考えると、同じインタビューでも、全然位置づけが異なることがわかります。
▼
こうした二つの分類を見て、皆さんは、どうお感じにますか。詳しい話は、それぞれの専門書にあたっていただくとして、こうした2つの分類に、「勝手に」インスピレーションを受けて、自分が行ってきたインタビューの経験を振り返ってみると、なかなか面白いな、と思いました。
いつも何気なく行っているインタビュー
どっちの立ち位置で、僕は、人の話を聞いているんでしょうね。
前者のときもあるし、後者のときもあるな。なんで、人によって変わるんだろう。
皆さんはいかがですか?
インタビューの読書は、今日も続きます。あと3割くらい、残りがありますので、この年末でガッと読み込んでいきたいと思います。
そして人生は続く。
—
追伸1.
ちなみに、いろいろ読んだインタビュー本の中でも、ライターの永江朗さんがお書きになった「インタビュー術」は非常に印象深いもののひとつでした。
永江さんは「あらゆるところにインタビューがあり、世界はインタビューでできている」と本の冒頭で喝破します。なるほど、特に、情報化された社会において、高度情報化産業に従事している人においては、人事の仕事、経営企画の仕事、商品開発の仕事、営業の仕事、どの仕事をとってみても、「人の話を聞く」「仮説をたてる」「まとめる」という作業が入ってきます。ですので、インタビューの基礎的手法というのは、誰もが身につけてもよい「仕事の構え」なのかな、という思いがでてきます。
また本書が面白いのは、過去、様々なジャーナリストや研究者が行ってきたインタビュー書を、永江さんが解説・批評しているところです。中には、ターケル「仕事!」やアレックス・ヘイリーなどもでてきて、興味深いです。
追伸2.
たぶん、これが本年最後のブログになると思います。皆様、今年も、どうもありがとうございました。「もはや、前進あるのみ」で走ってきたつもりですが、そのプロセスでは、たくさんの反省点も残してきた気がします。今は、そのことの意味を内省し、来年の活動につなげたいとおもっております。
僕個人としては、今年は、いろいろな意味で、「ための年」であった、と思っています。
研究という意味では、ここ数年、皆様からお寄せ頂いたデータ、お話を、来年、アウトプットしていければと思っております。また、来年には、今年構想していた、様々なイニシアチブが、学内外で動き出すと予想されます。こちらもとても愉しみです。
来年は、「働く大人の学び研究」を志して、9年目。自分としては、「第二の創業期」と位置づけて、自分なりの「挑戦」ができればいいな、と思っております。もしご興味・ご関心あうようでしたら、ぜひ、様々な機会にご一緒しましょう! Learn together!
それでは、素晴らしい年末をお過ごしください!
See you soon…
—
■2011/12/26 Twitter
Powered by twtr2src.
—
■2011/12/25 Twitter
Powered by twtr2src.
—
■2011/12/24 Twitter
Powered by twtr2src.
最新の記事
2024.11.26 10:22/ Jun
2024.11.25 08:40/ Jun
あなたの組織は「社員の主体性を喪失させる仕組み」が満載になっていませんか?:うちの社員には「主体性」がないと嘆く前にチェックしておきたいこと!?
2024.11.22 08:33/ Jun
2024.11.9 09:03/ Jun
なぜ監督は選手に「暴力」をふるうのか?やめられない、止まらない10の理由!?:なぜスポーツの現場から「暴力」がなくならないのか!?