2011.6.24 10:59/ Jun
昨日「ラーニングイノベーション論」で、妹尾大先生(東京工業大学)とご一緒させて頂きました。
妹尾先生には「知識創造の場のデザイン」という内容で、エクササイズありの素晴らしいレクチャーを、いただきました。ありがとうございました。この場を借りて、心より感謝いたします。
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妹尾先生は、「場」というものを「(複数の人々に)共有される動的なコンテキスト」であると捉えることができる、という話をなさっておられました。
「新しい知識」が生まれる「契機」になるものは、そうした「場」において、メンバー同士が「相互作用」を行い「知識転換」がはかられることにある、とのことでした(このあたりの詳細は、ブログには書きません。知識創造理論の原典にあたってください)。
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しかし問題は、その「場」のデザインです。
いいようのない、この「場」というものを生み出すためには、わたしたちは、何ができるのでしょうか。それがアポリアなのです。
古典的で、かつ、今でも支配的な説明としては、「場の源泉は、リーダーシップである」と言われてきました。この観点からいうと、「場のデザインを行うのは、リーダーの振る舞いによる」ということになります。
しかし、少し考えればわかることですが、場を生み出すものは「リーダーシップ」に限定されるわけではありません。物理的環境だって、そのひとつでしょう。
最近は、「場」を「場所」とよみかえて、「物理的環境を組み替えること」で、「場」を生み出そうというアプローチも存在します。妹尾先生も、その観点から、「オフィスのデザイン」の先駆的な研究・実践をなさっております。
その上で、妹尾先生は、下記のような「鋭い警鐘」を鳴らしていらっしゃいました。これが非常に興味深く感じました。
曰く、
「場」とは「メンバーに共有されるコンテキスト」です。「場所」があっても「場」が生まれるとは限りません。しかも「場」がいったん生まれても、それが継続して存在するとは限らない。「場」の「賞味期限」は短いんですよ。「場所」はいったんつくってしまえば、1年でも、2年でももつんですけどね・・・
なるほど。これは非常に示唆に富む言葉だと思いました。
「物理的環境を組み替えることで、場を生み出そうというアプローチ」は、「場所」を「場」と置換していることを、すっかり忘れがちだからです。
別の言い方をするならば、
「場所」さえつくってしまえば、「場」は生まれる
と考えてしまいがちだからです。
私たちのまわり、オフィスには「コミュニケーションスペース」が溢れていないでしょうか。「弁当を食べるためのスペース」ではなく、「仕事や会議の変革をめざしたコミュニケーションスペース」が。
せっかく高いお金をだして、オフィスにそうしたコーナーを設けても、「ナレッジどころか、コミュニケーションすら生まれないこと」を、経験しておられる方も少なくないように感じます。
つまり、
「誰も集まらないコミュニケーションスペース」
「誰も話をしないコミュニケーションスペース」
です。
多いんだな、これが(笑)。
僕のまわりだけでも、片手にあまるほどの「場所」をあげることができます。
「場所」はあるのです。
しかし、そこには「場」が生まれていないのです。
「場のない場所」といってもいいかもしれません。
「場が死んでいる場所」というのかな。
そこには「場を生み出す努力」がなされていないのかもしれません。
またまた、「あいつ、またコミュニケーションスペースで、油売りやがって。仕事をしろよ」というようなラヴェリング・社会的スティグマがなされることを忌避しているのかもしれませんね。
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「場」とは、いいようもない、それ自体が「暗黙知」のような概念です。
「確実に場が生み出せるかどうかは、完全に予測・統制できない」という観点からいうと、「場の理論とは結果論である」と位置づけられる方もいらっしゃるかもしれません。つまり、何らの「事業・試み」が成功し、その理由を考えるうえで、その「成功事象」を、後付け的に「説明可能」にする概念が「場」であるということです。
しかし、「場」という概念定義自体が、そのようなものなのだから、そのことを嘆いても仕方がありません。そして、こうした性格上、「場の理論」は、一面では理解されつつも、そのフィージビリティに困難さを感じた実務家の方は少なくないと思います。
コスト意識に厳しい企業人なら、
「そんな、ぬるくて、かったるくて、ふわふわしたものに、つきあってられるか」
という話になるのかもしれません。
確かに、完全なる役割分業が想定されるような組織構造をもつ観点からいうと、「組織を構成する人々同士の相互作用」とは「無駄」です。リダンダンシーがあり、取引コストが生じる。あまりにも効率が悪いシステムのように感じてしまいます。
事実、「モノを大量生産して勝つ」という戦略が、自分の組織において、まだ有効ならば、「ぬるくて、かったるくて、ふわふわしたもの」を検討する必要がないようにも感じます。
しかし、新興国などなどの追い上げによって「モノを大量生産して勝つ」という戦略が採用できなくなりつつある場合は、「ぬるくて、かったるくて、ふわふわしたもの」が頭をよぎります。
つまりは、「追い上げてくる国々に、すぐには模倣されないような、高付加価値な大ホームランを生み出すことで勝つ」という戦略で事業拡張をめざすのならば、その「ぬるくて、かったるくて、ふわふわしたもの」につきあっていき、その中から「新たな付加価値」を生み出していくことが、どこかの局面で必要になるのだろうな、と僕は思います。
あなたの周りの「コミュニケーションスペース」には、人が集っていますか?
そこでのコミュニケーションは、どのようなものですか?
そこから何が生まれましたか?
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■2011年6月23日 Nakahara Twitter
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■2011年6月22日 Nakahara Twitter
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