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2009.7.28 12:13/ Jun

オープンなコミュニケーション

 朝から著書の校正をしている。今日は、授業終了後、編集者の方々と打ち合わせがある。
 何とかかんとか、粗々なものは出来上がりつつある。このまま授業開始の1時まで、ラストスパートで頑張ろうと思う。
   ▼
 3章のくだり、組織学習の部分を校正していて、ふと我に返った。この部分では、「職場内の学習に強い影響を与えるのは、職場メンバー間にオープンコミュニケーションが成立しているかどうかだ」ということを説明している。
 はて、オープンなコミュニケーションとは何か?
 それは、どういう状態をさすのか?
   ▼
 オープンなコミュニケーションとは、一言でいえば、「言いたいことをきちんといいあうこと」である。
 誰にでも発言の権利があること、さらに言えば、メンバー間に意見の相違やコンフリクトが生じたときには、それを乗り越えようとする話し合いがなされるかどうかをさしている。
 サラリと書いたのだけれど、これは本当に難しいことである。
 とかく、人は「和」を重視するあまり、「本当は言いにくいこと」を言わないですますことがある。意見の相違はあっても、覆い隠してしまうこともある。
 しかし、大人とは、思ったことを表出したい生き物である。
 行き場のないメッセージは、かならず「アングラ化」する。
 しからば、内に秘めたメッセージは、どこへ向かうのか。
 まずは、ひそひそ声で、陰口がなされる。
 さらに現代では、そのいきつく果てのひとつとして、さらに広大な空間が生まれている。オンラインだ。
 意味深なメッセージを書いてみたり、宛先のない掃きだめのような罵詈雑言があふれる空間が生まれたりする。
 そして組織には、今日も、「日常」が沈滞する。
 人々は不機嫌な面持ちで、今日も、お互いを見つめる。
  ▼
 どんな組織であっても、人が介在する限り、コンフリクトはつきものである。
 問題は「コンフリクトがあること」ではない。
 それを組織のメンバーが、どのように受けとめ、どのように解決しようとするのかである。
 よい組織とは、コンフリクトがない集団ではない。
 コンフリクトを恐れず、話しあう集団である。
 「アングラ」「伏線」「ふくみ」が支配する日常を生きるのか。
 はたまた、オープンなコミュニケーションがながれる日常を生きるのか。
 自戒をこめていうけれど、どちらがよいのかを決めるのは、あくまで「自分たち」である。

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