2009.7.23 07:47/ Jun
企業人材育成には、OJT(On the job training)とOFF-JT(Off-the job training)という2つの強固なラベルがあります。企業の中の学習、教育訓練を語るとき、誰もが、これら2つの言葉を使います。
アカデミックな定義としては、OJTとは
「職場において実施される、上位者と下位者の間の1対1の教育訓練」
をさします。それは「上司からの指導助言」と「上司からの権限委譲」から構成されるとされています。この2つの構成要素から考えるに、上位者とはいっても、そこで想定されているのは、限りなく「上司」に近い、ということがおわかりでしょうか。
一方、「OFF-JT」とは
「職場を離れて実施される教授行為」
をさす場合が多いと思います。
しかし、このOJT、OFF-JTという言葉は、様々なものを見落としてしまいがちです。
たとえば、OJTという言葉からこぼれ落ちてしまうのは、「職場の様々な他者と出会い、コミュニケーションする中での学び」です。
私たちが職場で「学ぶ」機会は、上司とのあいだだけに存在するものでしょうか。
あなたが最も成長したと思うとき、その傍らには、誰がいましたか?
あるいは
あなたが最も成長したと思う仕事を「一本の映画」にたとえるとするならば、そのエンドロールには、誰の名前を書きますか?
わたしたちは、実際は、同僚、部下、顧客・・・様々な人々と出会うことによって、学んでいます。しかし、OJTという言葉は、主に「上司」「上位者」に焦点化します。我々が日々経験するダイナミックな学びを見落としてしまいがちです。
一方、OFF-JTという言葉はどうでしょうか。こちらも、大切なものを見落としてしまいます。それは研修室における「インタラクティブでリフレクティブな学び」です。
一般に、OFF-JTで指示されている内容が「教授行為」とされているからです。とかくOFF-JTという内容から連想するのは、「知識を注入すること」に目がいきがちです。一方で、受講者の方々が、相互に話しあい、日々の仕事のあり方をリフレクションすることは、忘れ去られがちです。
さらに、さらに、もうひとつ見落としてしまうものがあります。それは、「OFF-JTとOJTの連携」です。
カリキュラム(学習経験:教育学では学習者の学習体験の総体をカリキュラムとよびます)という観点からは、そこに一貫性があってもよいものなのに、この2つの言葉があるばっかりに、連携が失われます。
OFF-JTは「研修所」で、OJTは「現場」でコントロールするという役割分担も生まれてしまいます。言語が現実を構成する、ということの典型が、OFF-JTとOJTにもいえるのです。
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要するに、僕が、言いたいことはひとつです。
皆さん、思い切って、OFF-JT、OJTという言葉の使用をやめませんか?
グッバイ、OFF-JT!
ほんじゃねー、OJT!
ってな感じです。
名残惜しいですか?(笑)
これらのカテゴリーは、見落とすものがあまりに多い。しかも、その見落としているものが、あまりに重大であり、現在のビジネス環境に照らして、失ってはいけないもののように、僕には思えます。
かつて、大量生産 – 大量消費を是とする時代は、OFF-JTとOJTという言葉の利用は、機能していたのかもしれません。しかし、今はどう考えても、これらの言葉は機能しているようには、見えません。
OJTに関しては、一般に、よく人は、
「OJTが機能していない」
といいます。
しかし、よくよく考えてみると、
「OJTという言葉が機能していない」
「OFF-JTという言葉が機能していない」
のだと思うようになってきました。
そういえば、僕が企業の研究を始めた頃、ある違和感を常に抱いていたことを思い出します。
教育という観点から見れば、「ラーニングはラーニング」であるのにもかかわらず、企業では「OJT」「OFF-JT」という言葉で、それが分けられている・・・ここに僕の違和感があったのかもしれません。そのときから、いつか、OJTとOFF-JTに「グッド・バイ」を告げる日が来ることは、僕にとっては、宿命だったのかもしれません。
OJTとOFF-JTという二つのカテゴリーの利用を辞めて、もういちど、自社の人材育成を見直すとき、そこに、「新しい育成のあり方」が生まれるのではないか、と思っています。
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それに、きっと、そんなに現場には抵抗がないと思いますよ。
理由は2つあります。
ひとつめは、これはMCCで授業をしているとき、受講者の方々と話していて気づいたのですけれど、「現場の方々は必ずしもOJTやOFF-JTという二つの言葉を知らない」ということです。それは人事で流通している言葉でありますが、現場で流通している言葉ではありません。
ふたつめ。それにもかかわらず、「OJT」や「OFF-JT」という言葉に関する現場の方々のイメージは、必ずしもよくない、色褪せているということです。そこには、どうしても「やらされ感」「またか感」が漂っている。
それなら、新しい育成のあり方、それにともなう新しい言葉をつくって普及した方が早いと思うのですが、いかがでしょうか。
えっ、御社では、まだ、
OFF-JT、OJTという言葉、使ってるんですか?
—
追伸.
また6時、研究室です。今日こそ、原稿を完成したい・・・。今から11時までが勝負です。でも、、、眠たい。嗚呼、そちらの国からお呼びがくる。閉じようとするまぶたを、セロテープでこじあけて、何とか生きながらえようと。
今日は、慶應MCCの「暑気払い」です。受講生の中に、真のナポリピッツァ協会の方がいらっしゃって、皆さんでピッツァを楽しむことになっています。24名くらいに宴会になるでしょう。実際、授業では皆さんとお話しする機会は限られます。楽しみにしています。
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