2009.3.30 06:48/ Jun
研修評価の話です。週のはじめですが、ちょっとややこしいことを述べます。
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先日、日立総合経営研修所の堤さん、柳さんと一緒に、「研修評価のあり方」について議論しました。
研修評価の議論で、よく言われるのは次のようなことです。特に、ID(教授設計理論)のコンテキストでは、このように言われることが多いのです。
「研修評価を行うためには、研修デザインの部分で、学習目標を行動目標として記述しなければならない。これができていないから、結局、何を学んだのか、何を習得したのかがわからなくなってしまい、故に、研修評価ができない」
おっしゃるとおり、そのとおり。
明確な行動目標を教授内容としないかぎり、教授内容を精選も吟味もできない。故に、何を学んでるんだか、よくわからない研修や授業ができあがります。
そういった研修や授業は、まだまだ多いですね。皆さんもご経験がおありなんじゃないでしょうか。家に帰ってきて、「今日のあれは何だったんだ?」というような研修や授業。僕は、何度もありますよ。
だから、教授設計理論が「学習目標を行動目標化することは重要だ」と目くじらたてて主張することは、もっとやってもいいんだと思います。言い過ぎても言い足りないくらいです。
教育プロパーの人が、想像する以上に、ぺんぺん草もはえないような研修や授業は多いものです。そういうものは、絶対に「評価すること」はできません。
でも、そのことを重々承知し、かつ、その意義を踏まえた上で、下記のように僕は述べたい。
よく研修評価で語られるこの言い方 – 研修評価ができない理由は学習目標が行動目標になっていないからだ – は、非常に「ナイーブ」だと思うんです。
はっきりいうと、問題はそこではない。問題は、「学習目標をきちんとたてられないこと」ではないんだと思うんです。
むしろ、問題は「学習目標をたてるという活動に対して、ステークホルダーが巻き込まれておらず、彼らの中に合意をとれていないこと」にあるのではないでしょうか。
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たとえば、こういうことです。
今、「学習のニーズ」が、経営層か、あるいは事業部で生まれます。そのニーズはまだまだ「漠然」としているとしますね。
そのニーズを、育成担当者は言い渡される。で、通常はベンダーの方に来てもらって、たいていは、彼らから提案を受けます。力のある育成担当者になれば、ベンダーと協業するということもありえるかもしれません。とにかく、この段階で「学習目標」というものがたてられます。二人でやりとりをして、「これでいいよね」ということで、研修をやる。しかし、問題は「ここ」です。
はたして、経営層や事業部が思っている「ニーズ」と、自分たちでたてた「学習目標」は本当に同じものだったんでしょうか?
つまり、ステークホルダーから見た場合に、「確かに、この学習目標は、僕がかかげたニーズに準拠したものだよねー」と思えるものなのでしょうか。
別の言い方をすれば、「学習目標」をきちんと経営層や事業部と「にぎっている」のでしょうか。つまり、その学習目標は、人材育成のステーホルダーにとって、「納得」のいくものなのでしょうか?
たとえば、極端な話をしますね。
今、仮に「営業力を強化せよ」というものが、経営層や事業部から掲げられた「ニーズ」だとします。その際に「顧客に対してプレゼンができる」という行動目標化された学習目標を、育成担当者とベンダーの方でかかげ、研修を実施したとします。
ここで、重要なことは「営業力を強化せよ」という学習ニーズを実現するための「下位目標」が「プレゼン研修」で実現できるのか、ということです。さらにいうならば、この「プレゼン研修の結果」をもって、「営業力強化の評価」としてよいのか、ということです。
「学習目標がズレる」とすべてがズレます。その場合は、実施する研修もニーズからはズレてくるし、そのあとで、どんなに精緻な評価をしようとも、ズレてきてしまうことになります。
つまり、どんなに評価をやっても、経営層やラインからみれば、「適切な評価をやっていない」ということになってしまうのだと思うのです。最悪の場合には「適切な研修をやってない」ということになる。
結局言いたいことは、こういうことです。
学習目標は、教育に携わる人々「だけ」では、決して、立てられないのです。
そこには、教育を専門としていない人たち、つまりはステークホルダーが関与し、参画していなければなりません。
しかし、このことは意外にも、あまり実践されません。まして、教授設計理論の内部では、なかなか触れられることがありません。
くどいようですが、再度、言います。
「研修評価ができない」という場合に、求められているのは、「誰がイニシアチブをとって、誰を巻き込みつつ、学習目標をどのようにたてるのか」ということです。
その際には、経営層、事業部、ベンダー、育成担当者という異なる役割をもった人々のあいだのコミュニケーションシステムや、彼らが合意形成を行う「場」をデザインしない限り、 – つまりは、ここにディスコミュニケーションが存在するかぎり – 問題は解決しないように思います。
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さらに想像力を逞しくして物事を考えていくと、教授設計理論におけるADDIEモデルというのも、再考しなければならないとも思います。
それは「教室の内部の出来事をデザインする」ためのヒューリスティクスとしては機能するんでしょうが、どうも足りないように、僕には思えます。
Analyze – Design – Development – Implement – Evaluationのモデル、いわゆるADDIEの最大の欠点は、これらのプロセスを通してつくられる研修に関係するステークホルダーとIDerのコミュニケーションプロセスに対する配慮が、あまり見られないことです。
「全くない」わけではありません。しかし「十分ではない」と思うのです。ADDIEは、インストラクショナルデザイナーの仕事のプロセスを記述しているようで、その対象は「教授」「教材」によっています。
本当に求められていることは – ステークホルダーとのコミュニケーションや合意形成 – といったような「政治的交渉のプロセス」なのですが、それは理論内部で強調されていません。
つまり、こういうことです。
ADDIEのモデルで、きちんとした教材ができました!
でも、その教材は、経営課題にはズレていました!
みんな他のものを求めていたので、不満が高まりました!
ADDIEのモデルで、きちんと評価ができました!
でも、その数字は誰も求めていませんでした!
みんな他のものを求めていたので、不満が高まりました!
こういうことがおうおうにしておこりうるということです。
僕は、企業人材育成の分野では、「教授設計理論のモデル」をそもそも見直す必要があるようにも思っています。
「教室内部の教授」をデザインするADDIEモデルを拡張する必要があるように思います。「教室外部のステークホルダーとのコミュニケーションデザイン」を内包した教授設計モデル、こちらをもっと強調したモデルをつくる、ということです。
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以上、拡散的に述べました。
くどいようですが、教育評価論においては、
「評価ができないのは、学習目標がたってないからです。学習目標をたててください」
と声を張るだけでは不十分です。それは「やってあたりまえ」のことです。ですが、それができたからといって「ステークホルダーが満足する研修評価」ができるわけではありません。
結局、人と人の関与の仕方、人と人のコミュニケーションのあり方を考えていかなければなりません。
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ちなみに、7月あたりのLearning barでは、「教育評価」を扱いたいと思っています。現在、日立総合経営研修所の堤さんとその準備を進めています。
ぜひお楽しみに。
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