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2009.2.16 09:09/ Jun

社内運動会、社員寮、社員旅行

 ここ数年、社内運動会、社員寮、社員旅行など、バブル不況の時期に廃止したものを、復活させる動きがあるそうです。
 確かに、某新聞社のデータベースを検索すると、社内運動会、社員旅行、社員寮に関する記事は、この数年で増えているようですね。記事についてはざっとしか見ていませんが、比較的好意的な書きっぷりのものが多いようです。
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 社内運動会、社員寮、社員旅行・・・これらの試みは、おそらく、成果主義などの人事施策によって失われた「人々のつながりを復活させたい」「結束力の強い職場をつくりたい」というニーズから生まれ出たものだと想像します。
 現在、人々が過ごしている職場は、終身雇用と年功序列が支配していた「かつての職場」とは違いますね。もちろん、変わったところもあるし、変わらないところもあるんだろうけど、1980年代の「それ」とは、おそらく変わっているのではないか、と想像します(少なくとも大学は違います)。
 少なくともかつてよりは、職場がアトム化(原子化)し、「個」と「個」が分断されている。プライベートとオフィシャルも、明確に「線引き」する人が多いのではないでしょうか。
 先日、お逢いしたある方が
「社員旅行のお風呂では、新入社員が、部長や課長の背中を流すのが通例だった。だから、部長や課長が風呂にいくタイミングをずっと気にかけていた」
 とおっしゃっていましたけれども、今、そういうことを気にかける若者は、昔ほどはいないような気もします。実際のところは、どうなのかわかりませんが。
「かつて」を知らない僕の目からすれば、そういうお話を皆さんに聞かせていただくたびに、
 「かつての職場は、なんだか、家族みたいだな」
 と思えてしまいます。「プライベートなのか、オフィシャルなのか、よーわからんなぁ」という奇妙な感じがしてしまうのですね。
 まぁ、ともかく、Anyway、どうも昔よりは、職場の「結束」とか「つながり」といったものが失われている。つきましては、それを向上させたい。だから、イベントを興したり、施設を建設する、ということなのかな、と思います。
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 でも、こういう話を聞くたびに、「奇妙な違和感」というか、「不思議な疑問」をもってしまいます。
 まず真っ先に心に浮かんでくるのは「自分だったら、背中流されるのも、流すのもイヤだな」と思う感じ。これは僕の好き好みの問題なので、どーでもいいとしましょう。どちらかというと、集団行動は昔から「苦手」です。
 中原君は、何をするときにでも、中原流をねらうよね
 と、ある女の子に言われたことがあります。
 ということから考えると、仮に「中原流の背中流し」を考えつけば、喜んでやったのかもしれません。
 閑話休題、話がそれました。
 とにかく、そういう僕個人のキャラの問題よりも、より重要な疑問は – 素朴な疑問なのですけれども –
「集団凝集性や集団結束力を向上させることで、職場のパフォーマンスは向上するのかな」
 という疑問です。
  ▼
 僕が思ったことは、つまり、こういうことです。
 集団の凝集性や結束力を高めること以上に、本来、問われなければならないのは、職場のメンバーが、自分たちの仕事やめざすべきところに対する合意(コンセンサス)を、どの程度共有しているか、ではないのではないでしょうか。
 今、仮に職場のパフォーマンスをPとします。
 そして、集団凝集性をN、集団にどの程度コンセンサスがあるかどうかをCとします。
 そうすると、
 P≠f(N)
 だと思うんですよね。
 むしろ、
 P=f(N、C)
 なのかな、と思ってしまいます。
 文章で表現するとこうなるでしょうか。
「職場の結束力をいかに高めても、自分たちがめざすべきものや、自分たちの仕事に対する意味や意義が共有され、合意されていなければ、パフォーマンスにはつながらない。
職場の結束力の強さをもってして、結局、何を実現し、何を目指すのか、に関して、きちんとコミュニケーションがなされており、コンセンサスが得られてなければならない。
そして、そこで共有されているコンセンサスが、その職場のひとりよがりの考えではなく、外部環境とてらして考えて、優位をたもてるものではければならない。
むしろ、しょーもないことが共有され、合意されている場合に、職場の結束力が高いことは、結局、アダになってしまうのではないだろうか。そのことは、パフォーマンスにつながらないのではないだろうか」
  ▼
 この考えは何ら学問的な裏打ちがあっていっていることではありません(スンマセン、、、本当は調べればいいのですけれど、今、おうちで、本がないのです)。
 自分のこれまでの経験から、「結束力はやたら高くても、しょーもないことにコンセンサスを見いだしていて、しょーもないことしかできない集団」をたくさん見てきました。その経験から、何となくそう思うのですが・・・。
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 それでは、もしこのことが「真」だとして、次に問われるのは、「どうやって、自分たちの仕事やあり方に対して、意味や意義を共有・合意するのでしょうか」ということですね。
 どこかでそういう「場」を持つか、あるいは、そういうことを共有できる機会を、つくらなければならないということになると思います(敢えて機会や場をつくらなくても、結果としてそれができている集団はたくさん存在します)。
「社員旅行」「社員運動会」が、そうした「場」として機能するハズだとおっしゃる方もいるかもしれませんね。もしそうだとしたら、それでいいのだと思います。
 が、社員旅行は概して「飲んで、愉しんで、終わり」、社員運動会は「身体を動かし、家族を紹介し合って終わり」になる可能性はないでしょうか。
 もし、社員旅行や社員運動会が、そうした場としても機能することをめざすならば、そこには、綿密な「場のデザイン」「コミュニケーションのデザイン」が必要になると思います。
  ▼
 アトム化した人々が、それぞれ、仕事、組織、お互いに対して、どんな意味を共有するか。
 今、大切なことは、そういうことなのかな、と僕は思います。

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