「オレはどうすればいいんだ」
付き人の頃末君に言う。
「少し休憩をとってください」
「(ロケの)本隊は、いつ来るんだ」
ちょうど雨が降っている日だったから、
「出番はなくなりました。ロケは中止です」
そんな調子で、彼がずっと相手をしてくれた。(中略)
親父の身体に染みついた役者魂を見せつけられ、胸が詰まる思いだった。
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最期の最期まで役者であり続けようとした男は、生と死の境でも、ロケ現場で出番を待っていた。そして、旅立ちの朝は来る。
いかりや長介、享年72歳。
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いかりや浩一著「いかりや長介という生き方」を読んだ。いかりやの長男である浩一氏が記した、親父の人生記である。
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僕の子ども時代は、「8時だよ全員集合」が全盛期を迎えていた時代である。「だめだこりゃ」のいかりや長介は、毎週、僕たちの目を輝かせていた。
しかし、この本に書かれている「いかりや長介」は、僕が子ども時代にブラウン管を通して見ていた、「ドリフターズのリーダーとしての彼」ではない。
ミュージシャンとして、芸人として、そして晩年は俳優として、生涯現役に拘り続けようとした、一人の人間「碇矢長一」である。
その人生は、決して平坦なものであったわけではない。二人の妻の死、男で一つの子育て、弟子志村けんとの確執・・・そしてドリフターズの解散、俳優としてのゼロからの出発、突然のガン宣告、そして転移。
ブラウン管の影では、人々の知らないところで、もうひとつの壮絶なストーリーが進行していた。
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個人的になんといっても、胸をうったのは、ドリフターズ解散後のいかりや長介である。
ドリフターズ解散後、加藤茶と志村けんが「加トちゃんケンちゃんごきげんテレビ」で大活躍をおさめているあいだ、いかりや長介は、役者としての再スタートを切ろうとしていた。慣れない演技に、当初は相当苦労していたらしい。
悩みつつ、暗中模索の日々が続く。
「あー、いかりや、もうダメダメ」
と人から揶揄されることもなかったわけではないだろうと想像する。
ドラマに出演しては、自分の演技を何度も何度も見直し、勉強する日々が続いた。俳優になりたい。再起を果たしたい。しかし「意図」するだけでは、それに達することはできない。それには「行動」が伴わなくてはならない。
人間はかくあろうと意図したものになるのではない。
かくあろうと投企したものになるのだ。
(ジャン=ポール=サルトル)
しばらく混迷の地を歩き、いかりや長介は、ようやく陽の目を見る。「聖者の行進」をへて「踊る大捜査線」で一躍スターダムへ。和久刑事の名演は、アカデミーにも輝いた。
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本書を読んで、ウィリアム=ブリッジスのトランジション論を思い起こした。
ブリッジスのトランジションでは、人間のキャリアを「終焉」「中立圏」「開始」の3つの連続体として把握する。
「終焉」とは「何かが終わること」「開始」とは「新しいはじまりの時期」、、、そして「中立圏」とは「混乱や苦悩の時期」のことをいう。
人は変わるためには、どうしても、この「中立圏」が不可欠である。いかりや長介にとっての中立圏とは、「ドリフターズの終焉」と「役者の開始」の間にあった、苦悩の時期であったことと想像する。
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いかりや長介は、一生「学習者」であったのだと思う。
やっぱり、僕はそういう人を尊敬する。