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2005.10.20 20:38/ Jun

グダグダシンポにご用心!>自分

 シンポジウム…
 僕自身、この「形式」で他人に講演をしていただいたり、はたまた自分が呼ばれることも多いんだけど、どうも、このところ、いわゆるこの形式のイベントが好きになれないんだよねぇ。
 正直、あんまり、「オモシロイ」と思えないんですよね、この形式って。講演内容がオモシロくないというのでは断じてありません。僕の講演はオモシロクないけど。
 そうじゃなくて、この形式のイベントが生み出すドキドキ感、お得感みたいなものが少ない気がします。いや、綿密に練られたシンポは知的にオモシロイんだけど、そういうのって本当に少ない気がするのです。
 「じゃあ、やんなよ」と殴られそうだけどさ。
 おっしゃるとおり!ですね。
 自戒をこめて懺悔します、今日は。
 ただね、なるべく多くの人を集めたかったり、横やりがはいったり、いろいろ事情があってですねぇ・・・そうなってしまうことも多いのです、ブツブツブツ・・・ゴメンなさい。
 少しでもプレイフルになるよう、努力します。
 —
 日本で行われる…いや、あんまり海外も変わらないけど…典型的なシンポジウムといえば、だいたいこんなんじゃない。
 まずテーマがあるよね。で、そのテーマに「関係のある人たち」講師として集める。
 で、細切れにするよね、全時間を。
 最後に30分くらい「まとめ」とか「ディスカッション」「質疑」なんかの時間をとっておいて、それ以外の時間を全講師の人数で割っちゃうわけだ。たとえば一人15分みたいな感じで。
 で、講師に順に語ってもらう。語る内容は、講師にだいたいまかされてる。主催者側も、何を話すかは直前まで知らないことが多い。
 事前のうち合わせは、ない方が多いかな。「みんな忙しい」ということで、ほとんどの場合、ぶっつけ本番ですよね。
 だいたい講師に呼ばれる人は決まっていて、「あーどうも」なんて言っていることが多い。
 でも、当然、講師同士、お互いの話しがどう関係しているかは、あんまりわかっていない。壇上で、「へー、そういうことなの」という感じでようやくわかる。
 講師が5人いたら、3名くらいは時間超過しちゃう。本当に「シャキ」っとはじまって、「カキーン」と追われる人は少ない。
 最後の人は大変。「皆さんに、既に言われてしまいました・・・」なんて弁解しつつ、スライドをどんんどん送ることになる、とにかく時間がないから。
 あのね、だいたいシンポジウムで「おおとり」の講師をつとめるっていうのは、「もう自分の好きなことは語れないこと」を意味します、だって、時間がないもん。「オマエはもう死んでいる」って感じです。粛々と、残った時間の中でベストを尽くすしかない。
 で、それでも時間が足りないから、「質疑」とか「ディスカッション」の時間が大幅に削られる。それらは時間をコントロールできないし、時間食うからね。中には、質問なんだか、自分のやったことの自慢なんだか、よくわからない<質問>をする「困ったちゃん」がいて、よけいに時間を食う。
 かつて「そのことについては、わたしも研究しているが、あなたの発表の中には、わたしの文献が引用されていないから不十分であり、研究とは言えない。勉強不足甚だしい」なんていう「質問」をしちゃうオッサンがいました。
 質問じゃないってーの、それは。なんて「困ったちゃん」だ。
 閑話休題
 「質疑」とか「ディスカッション」とかを削るときは、だいたい主催者は、「会の終了後、懇親会をしますので、その際にでも、個人的につかまえてください」なんて言っちゃうことが多い。で、懇親会にいったら、「めあての先生はもう帰っちゃってるか、あるいは、人だかりになってとても話しにいけない」みたいなオチもあるかな。
 質疑やディスカッション、ハイ消えたぁ!。
 で、何をやるかっていうと、司会者がまとめを行いつつ、ひとつの大きな質問を講師になげかける。で、講師はこれに順番に答えていくって感じ。
 いきなり突然話題を振られるから、人によっては何を言っているかわからないことになる場合がある。そういうのは見ていて痛々しい。
 でも、振り自体が無理な場合もある。「IT教育、さてどうでしょう?」って言われたって、答えられないよ・・・。「○○のことについては、わたしはもっとも重要な問題だと思うんですが、いかがでしょうか」って言われてもさぁ・・・「オレ、重要だと思わないんだけど・・・」みたいな時は、本当に何をしゃべっていいかわからない。
 もちろん、講師たちが言っていることは、あまり噛み合っていない。コメントも「おおとり」をつとめると大変。だいたい「まとまらない」んだから。結局、「わたしの言いたいことは既に皆さんからご指摘いただいたので」みたいな感じで同じことをいう。
 それでタイムアップです。
 参加者はシンポジウムのあいだ中、しゃべる機会がないから、不満をかかえる。講師は、どことなくやるせない思いで、会場をあとにする。
 —
 これ、「ダメなシンポジウム」の見本なのですが、自戒をこめていうと、こういう風になりがちなんですよ、本当にシンポジウムというイベントは。
 10個シンポジウムがあったら、9つはそうですね。僕は、そういうシンポを「グダグダシンポ」って呼んでいる。
 どことなく、シンポって「手軽」にやっちゃえるイメージがあるんでしょうね。「とりあえず講師を決めて、あとは当日、でたとこ勝負」みたいなね。自戒を込めて言いますけど。
 決定的に不足しているのは、1)主催者側がシンポ全体で何を伝えたいか、の確認、2)講師とのうち合わせ、3)受講者のインタラクションの確保、4)演出と当日の流れの周知、5)タイムキーピングとかでしょうか。
 要するに、「事前準備」と「演出」なんですよね。
 やっぱり、お手軽にやるべきものじゃないんだろうね。しっかり打ち合わせて、キチンとやるべきなんでしょう。アタリマエですよね。
 「グダグダシンポ」にならないよう、精進いたします。
 ちゃんとやれよ>自分

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