2005.10.9 22:27/ Jun
blogとかSNS(Social Network Service)とか、一時期の半狂乱的な流行はずいぶん落ち着いてきたように思う。
数年前から、これらをビジネスに役立てようとする議論は、あったことにはあったんだけど、どうも、僕には、それがにわかに信じられなかった。ていうか、今でも、その効用をあまり信じていない。
blogは、多くの場合、こんなシナリオで利用される。
まずは、商品のblogを立ち上げる。で、オピニオンリーダーになりそうなblogerに、その商品の記事を書いてもらう。それらの記事には、コメントやトラックバックがたくさんつくだろう。そうすると、「ネズミ算式に購買層が広がる」・・・ってのが、主なシナリオだと思う。
SNSの場合は、たとえば、同じ趣味や興味をもった人に利用してもらう利用してもらうSNSをたちあげる。たとえば、映画なんかがわかりやすい。で、それらのユーザーに自分の好きな映画を登録してもらい、批評を書いてもらう。そうすると、相互リコメンデーションの場ができあがり、人のおすすめの映画を、お互いに見るようになる。で、結果として売り上げがあがる、みたいなシナリオである。
両者とも、利用方法はもちろん、こればかりではない。たとえば、blogにしても、SNSにしても、社会のナレッジベースに使うだとか、社内日報に使うだとかいうアイデアはある。だけれども、これは直接的にプロフィットを生み出すわけではないので、今日の議論からは敢えてはずす。これらをはずすと、だいたいこんなところだろう。
で、なぜ、僕がこれらの効用を信じられないかっていうと、そりゃ、局所的かつ一時的には、うまくいくかもしれないんだけど、結局、誰かが何かを「書かなくては」ならないのである。そして、「誰かが書くだろう」という善意に依存しているという意味で、それが長続きするのかなぁ、という懸念があった。
「書く」ことは、悪いけど、甘くない。
そりゃ、一回二回なら、書けるかもしれない。また、そういう偶然書いた事柄が、爆発的な書き込みの連鎖につながるかもしれない。そういう「可能性」は否定できない。
だけれども、一般に書き続けること、さらには情報をアップデートし続けることには、コストが生じる。人が書き続けるためには、コストを上回るベネフィットが生じなければならない。企画側にいる人間は、そういう均質な意欲あふれる個人を想定しがちであるが、実際の個人は、そう甘くない。
そりゃ、中には、ブロガーのなかには、ベネフィットを感じられる人もいるかもしれない。精神的なベネフィットもあるだろうし、経済的なそれもあるだろう。だけれども、すべてのblogger、SNSに関与する人たちがそのベネフィットを感じられるかっていうと、これまた、それほど甘くない。一人がベネフィットを感じられたからといって、それが連鎖する可能性は、また低くなる。
本来ならば、これを仕掛けるビジネス側で、彼らに対してベネフィットを保証する何らかの仕組みを用意しなければならないのだと思う。だけど、多くのSNS、Blogビジネスサイトにとって、そのあたりは、「その件に関してはムニャムニャ・・・」という感じでうやむやになっているのが現状ではないかと思う。
アフィリエイトプログラムと連動するなどの施策をとっているところもあるんだけど、直接的に上記の問題を解決するほど、ユーザにベネフィットをもたらすか、というと、そうでもなさそうに見える。
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「人々のつながりが容易にできる」と、甘く見てはいけないのではないかと思う。
伊勢まんじゅう「赤福」よりも甘いぞ、その考えは。
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