2008.8.14 09:34/ Jun
「うちの組織にはビジョンがない」
「トップはビジョンを示してくれないと困る」
「うちの社長は明確なビジョンをもってない」
と嘆いている人を、たまに見かけます。こういう方々を、僕は心の奥底で密かに「ビジョン症候群」と呼んでいます。
正直いって、僕は、ビジョン症候群に罹ってしまった方々の言葉を「鵜呑み」にしていません。というより、どちらかというと「眉唾だなぁ」と思って聞いています。
なぜか?
—
僕の少ない経験からいって、「組織のビジョンが欲しい」という方に限って、「ビジョン」ができたら文句をいい、何も自分からアクションをとろうとはしない傾向があるからです。
いざ、ビジョンが明示されたら、
「そもそもビジョンとは上から与えられるものなのか」
と文句を言い、
「ビジョンを上から与えられても、何をしていいんだか、わからない」
「こんな不明瞭なビジョンじゃ、何から手をつけていいかわからない」
と言う。
僕の短い人生で、「ビジョンを欲しつつ、それが与えられたときに、そのビジョンに基づいてアクションをとった人」を、悲しいかな知りません。
「上」が何かをやってくれるに違いない。「ビジョン」という名の「プラン」や「ルール」をつくって、「上」が何をしたらいいか教えてくれるに違いない。そう思っている方が多いように思います。
これは、ビジョン・ロマンティシズムといってもよい。
—
かつて、松下幸之助さんは、正月に全社員を集めて、「訓辞」をなさっていたそうです。
そこで示される<ビジョン>は、どちらかというと、シンプルでいるけれども、難解なものでした。逆に言えば、どうとでも解釈可能なものが多かったそうです。
重要なことは、訓辞が終わったあとで、全社員が行う会議にありました。
「社長の言っていたことは、こういうことだったのではないか」「いや違う。社長はきっと、こう述べたかったに違いない」
というかたちで、社長の示したことを相互に解釈する会、ビジョンを語り合う会が開かれたそうです。
—
ビジョンとは、組織メンバーの相互解釈の中で明らかになり、達成されるものなのではないでしょうか。トップができることは、「相互解釈のためのタネ」と、「タネを解釈しあう場をつくること」なのではないでしょうか。
そして、ビジョンとは、それぞれの立場で解釈され、それぞれにインプリメンテーションされてはじめて、明らかになるものなのではないでしょうか。
ビジョンとは、あなたが語り合うものである。
僕はそう思っています。
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