2008.8.6 07:00/ Jun
先日、テレビリモコンを片手にザッピングしていたら、徳永英明が、昔の自分のベスト曲を歌う番組を見つけた。
ホロ酔い気分でボーッと見ていたら、だんだんと懐かしくなってきた。別にとりたてて徳永英明のファンであったわけではないのだけれども、訳もなく懐かしさを感じた。
試しに口ずさんでみると、意外なことに、あとからあとから歌詞がどこからともなく出てきた。
「別にオレはファンであったわけではないのに、なんで歌詞を丸暗記しているんだろう」
その曲が、FMラジオで頻繁にオンエアされていた頃の自分思い出も、次から次へと脳裏に浮かんでは消えた。不思議な数十分を過ごした。
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テレビが終わったあとで、「徳永英明」をネットで検索した。
Rainy Blue(1986年)
輝きながら(1987年)
最後の言い訳(1988年)
壊れかけのradio(1990年)
驚くべきことに、僕がよく知る彼の歌が、だいたい今から20年も前の歌なのだという。20年前といえば、僕は中学生になったばかり。20年・・・その年月の長さに圧倒された。
知らないうちに、ずいぶん、長い時間が過ぎたんだな、と思った。
—
子どもの頃、父親と母親が、よく、テレビの「懐メロ番組」を見ていた。当時、父親と母親が懐かしがっていた曲の多くは、いわゆる「グループサウンズ」とよばれていたもの。その当時からさかのぼって、だいたい20年くらい前のものが多かった。
もちろん、子どもだった僕には、父親や母親の懐かしがる曲の真価はわからなかった。むしろ、「なんで、この人たち、こんな格好して歌ってるんだろう・・・なんでこれが懐かしいんだろう」とすら思った。父親と母親を不思議そうな顔で眺めていた。
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ふと我にかえると、いくつかの疑問がわいてきた。
僕が徳永英明を聞いて懐かしく思う気持ちは、あの頃の父親や母親がグループサウンズを聞いて懐かしがる気持ちと同じなんだろうか。それとも、違うんだろうか。
さらに、僕が懐メロを聴いて懐かしく思っている様子を、愚息TAKUZOが見た場合、どのような「まなざし」で見つめるのだろうか。
当時の僕と同じように、「なんで、これが懐かしいんだろう」とすら思うんだろうか。父親である僕の「中」に、自分のあずかり知らない歴史があることを知るのだろうか。
そして、TAKUZOも人の父となり、いつの日か、ふとテレビのスイッチをひねって聞こえてきた「音楽」に、懐かしさを覚える日がくるのだろうか。
—
そこまで考えたところで、睡魔がおそってきた。
しょーもないことを考えてないで、もう寝よう。
明日もまた早い。
でも、歴史は繰り返すのかもしれない・・・
遠ざかる意識の中で、そう感じた。
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