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2008.6.8 09:12/ Jun

別れのデザイン

 雑誌「企業と人材」の最新号、川口大輔さんの論文の中に、下記のような言葉が引用されていた。
 ボストン大学のビル=トバート(Bill Torbert)という人の言葉らしいので探してみたけど、僕自身、原典は辿れていない。
 —
 もしあなたが、問題の一部でないならば
 あなたは、ソリューションの一部にはなりえない
 (If you’re not part of the solution, you’re part of the problem)
 —
 うーむ、深い。
 
 現場、そこで生きる実践者、そして外部から彼らを支援しようとする介入者。この実践者と介入者の関係を考える上で、上記の言葉が非常に含蓄にとむ。
 教育現場にアクションリサーチのかたちで関わろうとする研究者、組織の変革を支援しようとするコンサルタントなど、「現場へ外部介入する立場」で仕事をする職種には、示唆的な言葉ではないだろうか。
 ところで、ちょっと別の角度からの話になってしまうけれど、僕には、ひとつの「持論」がある。
 それは、「現場の支援」と称して外部から現場の営みに介入する人間は、「介入のやり方」を考えることと同時に、「介入の解除の仕方」、つまりは「別れのデザイン」を常に考えるべきだと言うことである。
 比喩的ではあるけれど、外部介入者は、現場の実践者と永遠に、ともにいることはできない。「介入者と実践者がともにあるべきだ」というのは「理念」としては美しいが、それぞれの立ち位置や仕事の目的が違う以上、いつかは「別れ」がくる。
 あらゆる人間関係がそうであるように、人々が出会えば、いつか「別れ」がくる。介入者と実践者だけ、それを免れることはできない。
 実践者が、「介入者の助け」なしでも、自分の力で、自分が生きる場所を維持し、変革していけるよう支援を行うことが、とても重要ではないか、と思う。外部からの支援や介入がなくなったとたんに、「元の黙阿弥」というのでは、あまり意味がない。
「いかにフェイドインすること」と同時に、「いかにフェイドアウトするか」を考える。口で言うのは簡単だけど、これはとても難しい課題である。
 現場、実践者、介入者・・・いずれにしても、一筋縄でとける問題ではない。

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