2007.10.4 08:28/ Jun
佐々木俊尚著「フラット革命」を読んだ。
フラットと聞くと、「The world is flat」のトマス=フリードマンを思わず想起してしまうけれど、本書で「フラットになりつつあるもの」として描かれているのは「グローバル経済」ではない。「言論空間」「マスメディアと個人の布置」といったものである。
本書を要約すると、下記のようになるだろうか。
1.インターネットは(ブログやSNSなどに代表される)、言論空間を徹底的にフラットにしている
2.肩書きや権威に基づくような発言 – つまり「誰が言ったか」ではなく「何を言ったか」が問われるようになりつつある
3.そのような中で、肩書きをもつような人、マスメディアの果たす役割が変わろうとしている
—
このようなフラット化の中で、マスメディア側は当然反発を強める。あるニュースキャスターは、インターネット上の様々な書き込みを、「便所の落書き」と呼んだ。
「新聞には責任があるが、個人には責任がない。個人が勝手に報道しているのが問題だ。新聞社のように倫理規定がない個人が勝手にこんなこと(ブログなどでの報道)をしたら、歯止めがきかなくなる」
佐々木氏は、上記のような考え方がマスメディアとインターネットのあいだに起きている長い紛争の根っこにある、と喝破している。
本書では、このようなマスメディアとインターネットの間の葛藤を、様々なエピソードをもとに論じている。実際に世の中で起きた事件をもとに論じているだけに、とても興味深く読むことができた。
—
一読した感想としては、「言説空間のフラット化」という問題提起は、非常にまとを得ているな、と思った。しかし、同時にこれまで発言が常に重んじられてきたエスタブリッシュやマスメディアも一様ではないのにな、と思った。
エスタブリッシュの中でさえ、「インターネットを使ってさらに価値を上げようとする人々」と、それを「嫌悪し、忌避する人々」、さらには「このまま嵐が通り過ぎるのを貝のように待つ人々」との相克が見て取れると、思う。
マスメディア、インターネットをめぐる攻防、そしてエスタブリッシュのサバイバルゲームは、いままさにはじまったばかりである。
最新の記事
2024.12.25 10:57/ Jun
2024.12.8 12:46/ Jun
2024.12.2 08:54/ Jun
2024.11.29 08:36/ Jun