2017.5.17 05:37/ Jun
最近の僕は、自宅に帰ったあとの読書は、こってりとした「哲学書」や「思想書」を読むことが多くなっています。
「読む」といっても、寝る前の30分くらいの時間なので、数ページを時間をかけてじっくり読みつつ、だんだん眠くなってきて「おやすみ3秒・のびた君状態」です。しかしながら、どうも最近、思想・哲学とか、そういう理論めいたものが読みたくて仕方がありません。
昨日は「ガダマー」を数ページ読んで撃沈です。
うーん、わからん(笑)。
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昨年度あたりから生まれているこの現象・・・どうしてなのかな、と考えてみますと、
「無意識に、自分で頭のバランスをとろうとしているのではないか?」
という結論に到達します。
おひさまが出ている時分の僕は、「データ」「実証」「論理」といったものと格闘しながら、日常を生きていますが、ここで「動かしている頭の部分」は、いわゆる「データ脳」です。「データ脳」は、現場を「見える化」し、そこから、どのような抽象的な原理・原則を導くことができるかを考える思考です。
僕は、やっぱり、こういう「泥臭い知的作業」が好きなので、日の出ている時分は「データ脳万歳!」ですが、毎日毎日、こういうことを続けていると、「知的に乾いて」きます。少なくとも、僕の場合はそうです。
おそらく、そこで、何とか「知的に乾いていく自分」を補おうとしているのが、「寝る前30分、哲学・思想を読む」という行為なのかもしれません。「データ脳」とは対照的な空間にあるーいわゆる「理論脳」を一日の最後に使い、「データ脳」を酷使した部分を休め、バランスをとっているのかもしれません。
ま、自分の事ながら、本当のところはわかんないけれども。
「理論脳を用いると、眠気が増してきて、よく眠れる」という理由かもしれないけれどね(笑)
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今日は「データ脳」と「理論脳」という、まったくの妄想めいたお話(!?)をしました。
まぁ、もっと砕けていえば、
「データに触れること」と「理論に触れること」のバランスをとりたいよね
ということなのですが、皆さんには、こうした願望はありますでしょうか?
まぁ、僕だけなのかもしれませんけれども。
最近、「データ」と「理論」のバランス、とれていますか?
「データ脳」と「理論脳」、どちらか片方を酷使していませんか?
そして人生はつづく
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