2006.7.28 16:00/ Jun
「先日、中原さんは仏教の本を紹介していましたが、なぜ、教育が仏教と関係あるんですか?」
ここ数日で同じような趣旨のメールを何通かいただきました。
中には「とうとう仏教ですか・・・行き着くところまでいきましたね」なんてメールもあったりして、あっそう?、ご心配かけてますか?(笑)、いいの、いいの、思考は自由ですよ。
ともかくメールをいただいた皆さん、ありがとうございます。
確かに先日のエントリーは、ちょっとわかりにくかったかもしれませんね。ですので、今日は「がんばれ仏教!」から、「前書き」の一部を引用しつつ、もう少し説明致しましょう(p6-11)。
—
3年ほど前のこと、「NPOとしての寺の可能性」というシンポジウムの基調講演に呼ばれたときのことだ。
お寺という存在が、単に法事や葬式を行う場ではなく、教育や福祉や村おこしやアートや国際交流といったNPOとして活動できるのではないかという斬新な提言が行われたシンポジウムだった。
(中略)
シンポジウムが終わったあとの懇親会は、(中略)たくさんの若者がつめかけていた。私がショックを受けたのは、一人の若者のこんな発言だった。
「僕は寺の息子なんですが、よく葬式仏教って言われますけど、今のままの葬式を続けていたら、僕らの世代が喪主になる頃には、もうこんな葬式ならいらないって、坊さんは呼ばれなくなっちゃうと思うんです。
ありがたくもないし、宗教的でもないし、家族の気持ちをケアするわけでもない。僕の同級生とかと話してると、もうそんな何の意味もないものなら、やめてしまおう、少なくとも坊さんは、もう呼ばなくてもいいって、言い出すように思えるんですよね。
それで、もうやめよう、っていう人がある割合になったときに、誰も坊主に葬式を頼まなくなり、すべてが崩壊するような気がするんです」
(中略)
死んだあとにほとんど知らない僧侶がやってきて、その葬式が宗教的に格調高いわけでもなく、遺族へのケアが行われるわけでもなく、単にお布施と戒名料が請求されるといったような場合は、「もうこんな僧侶は葬式にはいらない」となってしまう可能性はある。
そして、そう考える人が、人口の10%でも出てきたときに、それは早晩20%にも40%にもなり、劇的に増加するかも知れない。
(中略)
しかし、伝統教団の人たちが深い危機感を持っているかといえば疑問である。あるいは、危機感はあっても何か行動に起こそうとしているかは大きな疑問だ。
私は仏教関係の教団や団体から講演に招かれることが少なくないが、多くの講演で訊ねられるのは「21世紀の仏教には何が期待されているでしょうか」とか「現代の寺に求められるものとは?」といった質問である。
(中略)
私はあるときからはっきりと答えるようにしている。
「21世紀の仏教には何が期待されているでしょうか」
「何も期待されていないでしょう。そもそも期待するに足るものだと思われていないと思います」
「寺には何が求められているでしょうか?」
「何も求められてはいないでしょう。そもそも、私たちの求めに応じて動くという態度をこれまで寺は示してこなかったし、何かを求める対象のうちに寺は入っていなかった」
(中略)
現在の仏教の一番悲惨なところは、人々から何も期待されていないところだ。期待するに足る存在だと思われていない。「どうせこんなものだろう」とあきらめてしまっている、というか、最初から期待感がないので、あきらめすらないというべきだろうか。
期待もされていないから、本質的な批判もなく、自分たちを問い直す契機もない。期待もされていないから、優れた人材も集まらない。期待もされていないから、その期待に答えようと努力もしない。期待もされていないから、自分たちが何をしているかの情報公開もない。
こんな状態が続けば、日本の仏教は早晩死ぬ。
「がんばれ仏教!」、私はそんな深い危機感の中で瀕死の仏教に対して、この本を書こうとしている。
—
「死者」を送り出す儀式のみを取り扱うようになった戦後仏教。それは「葬式仏教」と揶揄されてきました。しかし、その「葬式」ですら危なくなってきている。事実、高齢化、農村の過疎化などの問題によって、寺の存続自体が危機に瀕しているのですね。
葬式仏教の前・・・もともと寺は「学び、癒し、楽しみ」の場であった。地域に根ざし、さまざまな人々が集まり、教育、文化、福祉を担う存在であったわけです。つまり「死者」のためにだけ存在するのではなく、「生きとし生けるもの」のためにも、それはあった。
そうした「かつての寺の機能」を取り戻そう、寺を中心にした町、地域の復興を行おう、というビジョンを本書では提示しています。ビジョンだけではなく、現実に「アンビシャス」をもった「ボーズ」たちの取り組みを紹介しているのですね。
—
話をもとに戻しましょう。
で、なぜ「仏教と教育」が関係あるかですが、先ほどの前書きの「仏教」の部分を、教育用語に適宜置き換えて読んでみて下さい。そうすれば、僕がピンときた理由がおわかりいただけるかと思うのです。
とにかく、本書は教育のあり方を考える上で、ちょっと違った角度からヒントをくれていると思うのですよね。おすすめです。
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